晴れた日に思うこと

良い天気。

人によってその定義は違うが、いわゆる『晴れ』の天気を、良い天気と思う人が大半だろう。わたしもそう思う凡人のひとりだ。

まさしく、今日は良い天気。
こんな日には、どこか遊びに行きたいとか言うお年頃も過ぎ、布団干したい、洗濯物を干したいと思うお年頃になってしまった。
しかし、朝家を出て日が沈んでから帰るという、雇われの身の私。
外に何かを干して家を出る賭けなどできまい。
布団は雨に降られて濡れたならしっかりと諦めがつくが、雨に濡れなくても夜露がじっとりとした布団には、かなりどうしていいか迷う無駄な時間に加えて、どうにかするという、これまた無駄にしんどい時間がかかるハズだ。
洗濯物も然り。

お天道様は平等に私たちを照らしているとか言う、呑気なお方がいらっしゃる。
もはや、私のような人々には、その平等は、不平等でしかない。
平等などこの世に存在しないことくらいわかってきたけど、日光でさえ、平等ではないことに、ようやく気づき始めた。

と、天気とは裏腹に何でもかんでもジメジメと陰湿な雰囲気が漂う文章しか書けないのは、何故だ。

根暗すぎる文章、幼稚すぎる思索。

思春期に太宰を読みすぎたから?

筒井康隆を読みすぎたから?

そういう自分と一生付き合うのだ。

ケッ。

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