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蜜蜂と遠雷

「競争」がどうも苦手で、コンクールなどという言葉を聞くと嫌悪感さえ覚えるほどだった。

好むと好まざると、誰しも競わなければならない場面は沢山ある。
学校で成績を競ったり、部活で競ったり。社会に出ても会社同士、同僚同士で何かを競うこともあるだろう。競争には勝ち負けが伴う。誰が優れていて誰が劣っているのかそれを決めるのが競争だ。

スポーツであれば勝負が分かりやすい。
美を競うコンクールであれば「美しい者(物)」が勝ち、そうではないと判断された者(物)たちは負ける。
音楽のコンクールでも、技術性・芸術性が高い者が勝ち、そうでない者たちは負けるのである。

でも一体誰がそんなことを決めるのか。特に芸術に関して勝ち負けが決まるのがどうも納得いかない思いだった。
勝者は勝者としてもてはやされるが、敗者には価値はないのか?
そんなことを考える私はひねくれているのかも知れない。単に敗者に同情し、勝者に嫉妬しているだけかもしれない。

だが、この本を読んでコンクールの印象が変わった。

書店でこの本を見つけたのは2年以上前。話題の本だったのだろう。書棚の見やすい場所にずらっと並べられ、書店からのコメントも書き添えられていた。一旦手に取ったものの、コンクールを扱っているということが分かり、これは私向きではない、とすぐ書棚に戻してしまった。

そんなことをすっかり忘れていた頃に、引越しのための片付けをしていた友人からもう読まないからと本を何冊か譲り受け、中に混じっていたのがこの本だった。

何気なく読み始めたら話に引き込まれてしまい、すぐに読み終えてしまった。嫌悪感も全く感じなかった。

それはこの物語が天才たちを扱っているからかもしれない。他者との競争が必要ないほどそれぞれ特有の才能を持った天才たち。
コンクール中、他の出場者から良い影響は受けても、絶対に勝たなければ、と意識するような場面が全く出てこないのである。おまけに出場者たちは友人になる。

今までの私の頭の中ではそんなことあり得なかった。

これはフィクションであり、実際のコンクールでは出場者同士のエゴが渦巻くこともあるのかもしれない。でももしかすると、本当に音楽が好きでそれを極めたいと思っている人達にはコンクールでの勝ち負けは単なるその時の結果であり、彼らの音楽に対する姿勢には影響しないのかもしれない。むしろ互いから刺激を受け合う良い経験の場なのかもしれない。

去年ショパンコンクールに出場・入賞した日本人ピアニストたちが大きな話題になった。彼らのインタビューなどを読んでみると、本の中の登場人物のように、コンクールをゴールにするのではなく、この先自分がやってみたいことをそれぞれが持っているのが良く分かる。

勝ち負けを決めるのはあくまで外野であり、他人の評価である。もちろん良い評価がもらえれば嬉しいだろうが、当の本人たちはそれほどこだわっていないのかもしれない。彼らが見据えているのは全く別の場所なのである。

ああ、そういうことなのか、と納得した。

コンクールへの見方、というより、芸術家たちに対する見方を変えてくれた本だった。

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