masumi
2022年までの投稿です。
元現地ガイドの視点からデンマーク中心に北欧のあれやこれやを綴ります。 個人的にツボにはまったこと、雑感など、あまり旅の役には立たなさそうな小ネタも冗談交じりに書いていきます🎶
ネパールの思い出を綴っています。
物語『夢みる人びと』 学生時代、この物語の作者について論文を書いた。 このコーヒーの苗の例え話は、この『夢みる人びと』以外の物語にも時々使われる。作者アイザック・ディネーセン(本当の発音はディーネセン)は20世紀前半に活躍したデンマーク人作家カーレン・ブリクセンと同一人物である。彼女の名が最初に世に広まることになった物語集がこの「七つのゴシック物語」であった。 彼女は夫に連れ立って、一時期デンマークから遠く離れたケニアでコーヒー農園を経営していた。コーヒーの苗の話はそこ
昔よく通った道を久しぶりに歩く時や、以前訪れた旅行先にまた出向く時、記憶の上書きをしているような気分になる。 一定期間その場所を離れてまた同じ場所に戻ってくる時、その場所を歩きながら当時のことを思い出す。 例えば特別な感情もなく使っていた通勤路にも、なんらかの記憶が纏わりついていてそこを通るだけで普段思い出さないような昔の出来事が急に蘇ってきたりする。 昨年私は久しぶりに長期間日本に滞在した。 日本社会で再び仕事をするという体験もした。実に15年ぶりのことである。 新し
エアロマンシーという言葉をご存知だろうか。そのときの気象条件から啓示をあおぐ、いわば空のオラクルカードのようなもの。 ※こちらの記事に詳しく解説されています。 記事の著者であるMayama MamiさんはSNSを通じてお世話になっている方なのだが、エアロマンシーという言葉を初めて知ったのも彼女のラジオ配信だった。 言葉の意味よりも「エアロマンシー」というなんとも言えない語呂の良さが妙に頭に残っていて、新しく習った単語の発音の心地よさを試すかのように気がつくと頭で何度も再
母は買い物が大好きだ。特に理想の洋服探しに目がない。 モールに出かけると必ず一通りの洋服屋をめぐり、品を手に取り鏡に当ててみては、これはちょっと短すぎるわね。色が合わないな。もっと真っすぐのシルエットのが欲しいのよ。襟首がもっと上がったデザインのが良いな。 こうしたらスタイルよく見えるでしょ。と、ああでもない、こうでもないとつぶやきながら品定めをする。 私はと言うと、それほど洋服にこだわりがないものだから、ふーん、そうねー。あぁそう、今はそういうのが流行ってるの?とまあ気
8月はずいぶんきつい1ヶ月だったと思う。 田舎の僧院生活でほとほと疲れて、やっと都会に出て静養できると思ったものの体調は戻らず。それどころか2度も「これは控えめに言ってヤバいのではないか?」という発作のような症状に見舞われた。 ゲストハウス(注1)の部屋で寝たいだけ寝て、食べたいものを食べて、1日に1度は散歩に出かけるようにした。昼間の太陽は暑く、そうかと思えば急な大雨で道が洪水になることもあったけれど、カフェに行ったり、スーパーに行くという理由をつけてとにかく外には出る
『何も考えない』 いつもの朝の日課をこなしているときに浮かんだ言葉。 確かに最近考えすぎている。 右から左から前から後ろから遠くから近くから 全ての方向から入って来る情報。 そしてそれらを頭の中で処理して 感情という形で外に出して見たり 知識という形で落とし込んだり 「体の工場」がフル稼働している。 その中で処理しきれないものは中途半端に脇に積み上げられ 考えても答えが出ない案件なのに、来る日も来る日も考える。 答えが出ないものは考えても仕方ない、 と分かってはいるもの
自分よりも優秀な人はきっと星の数ほどいるだろう。 でもチャンスがやって来たら受けるべきなのかもしれない。 私の仕事が偶然相手の目に止まった、 たまたま私のやっていることを聞いた、 知り合いの知り合いだった、 など、思いがけないことが重なって結びついた縁だから。 一見繋がることがないように思えること・人・物が繋がる。 その時点で何かがある証拠。 まだまだ経験が浅いですから、 〇〇だけしかできないんですけど、 他にももっとできる方がいらっしゃるかも、 など、そんな言い訳は忘れ
きっかけ 今断然気になっている場所がある。 インドのラダック地方だ。 と言っても少し前までは、名前はどこかで聞いたことがあるかも? という程度の全くノーマークの土地だった。 そんなラダックに興味を持ったきっかけは『ダライ・ラマに恋して』という旅エッセイである。 著者の真っ直ぐな視点と素直な様子が微笑ましくて、すごく楽しいエッセイだったのだが、それ以上に旅先で出会う優しくて朗らかなラダックの人たちに心惹かれるものがあった。 感激してツイートもしている⬇️ 行ってみたい
子供の頃学校で、写生をした記憶がある人は多いと思う。 屋外に出て、思い思いの場所にレジャーシートを敷き周りの風景を描き写していく。 校庭の風景を描くこともあったし、遠足がてら遠くまで出かけて行くこともあった。 絵を描くのは特に大好きというわけではなかったが、それなりに楽しかった。 屋外に出るというだけで特別行事感があったし、やり始めると割と何でも集中する性格なので、飽きて友達とおしゃべりして時間を潰すということもなかった。 そんな写生の一番初めの記憶は小学1年生のとき。
嫌なことがあったり 誰かに何か言われたり それまでご機嫌だったのに 急にブレーキをかけられて 失速してしまったような気分になる。 何でこんなことが起こるのか、 何であの人は酷いことばかり言うのか、 私が何をした? と悲しくなってしまったり。 そんなときは 信号が赤に変わっただけ と思っておけば良い。 交差点を渡ろうとしたら 直前で信号が変わることは普通にあること。 信号に対して、 なんで私の前で赤になるわけ? と腹を立てたりはしない。 1日中どこに行っても信号に引っ
点① 先日ツイッターでもリツイートさせていただいたTomoさんの記事。 これにとても感銘を受けた。 自分は何のプロだろう? 仕事はもちろんのこと、それ以外でも 何を「プロだ」と思えば気分がアップするだろう? 手を抜かないプロ、ちょっと疲れそうやな。 いつでも笑顔を見せることができるプロ、いいねー。 探し物を見つけるプロ、それめちゃ便利。 とか、しばらく頭の中で楽しい想像を巡らせていた。 記事では「扉を開ければプロ」という言葉が紹介されている。 どんな職種であってもどん
何から書こうか、どのように書こうか、そもそも書くべきなのか、色々考えた。 でも、頭の中を整理する意味でも書いておこうと思う。 可愛がっていたウサギが亡くなった。 最初の一文からなかなか決まらなかった。 「死ぬ」と書くとあまりに他人事過ぎるような気がする。 「旅立った」というのも違う気がする。 まだその辺りにいるような気がして旅立った感じがしないからだ。 「あの世」とは違う。 「命が尽きた」も違う気がする。 何かあっという間にスッといなくなってしまった。 そのウ
星読みBAR GIFT☆GIFT 星読み鑑定をしていただいた。 星をよく知る友人に話の流れで見てもらったことはあるけれど お願いします、と自ら申し込んで見ていただいたのは初めてかもしれない。 星については興味があり、いろいろな情報源から自己流で 「自分はどうやらこういう人らしい」という大体のイメージは つかめていた(と思う)。 なので、プロの方に鑑定をお願いしたこともなかったし、 いつか機会があれば誰かに見てもらえるとと良いな、という程度だった。 そんな時、いつも記
公園を散歩したときに眼鏡を外してみた。 ぼやーっとする視界。 木々の輪郭だけでなく、色も少しぼんやり。 目の代わりに別の感覚器官が余計に働き始めたのか、 音や肌の感覚に少し敏感になったような気がした。 (うっかり転んだりしないように、体の防衛本能が発動したのかも) 私の目は矯正されてるんだなー、 と感じた。 私の本当の目が捉える世界はこんなぼんやりした世界だ。 眼鏡で矯正されているおかげで、つまづいて転んだりしないし 遠くからでも人の表情がよくわかる。 それはとても
今朝(7月4日月曜日)もカモメのけたたましい声で起こされた。 日の出が早いこの頃、カモメたちも朝が早い。 時計を見たら4時過ぎだった…。 (カモメの話はこちらで⇩) そんな週の始まりに6月後半からの出来事を振り返ってみようと思う。 (長文です。のんびりお付き合いください) ■ホームレスの人に叱られた 夏至祭(6月24-25日)前からものすごく気温が上がったマルメ。 一時は28度まで上がるという、北欧らしからぬ日もあったここ1週間。 そんな暑いある日のこと、ホームレスの