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【革マル派結成宣言】日本革命的共産主義者同盟 革命的マルクス主義派 結成宣言

A 政治局内多数派の腐敗

全国の同志諸君!
革命的労働者、革命的知識人・学生諸君!

わが同盟「政治局」を僣称する政治局内多数派の、革命的マルクス主義からの逸脱と腐敗とは、いまやその極にたっした。

昨日まで「非組織性」の名を借りて、下からの同盟内闘争の組織化を抑圧しつづけてきた彼らは、今日ではついに「通敵行為者」「党破壊者」の名をもって、われわれと一切の同盟内の批判者を組織的に排除するにいたっている。

「日和見主義」「神秘主義」というまったく空論主義的な言葉で低俗な反山本キャンペーンをくりひろげてきた『前進』は、第一二二号以後は、彼らの分派機関紙として、批判者の文書を批判の材料としてのみ掲載することを公言している。そこにわれわれは「闘え」「闘え」という怒号と「闘っている」という報道を見ることはできる――だが、それらは、理論化されていない単なる報道であり自己反省のない自己陶酔的なそれでしかないがゆえに、しばしば犯罪的な組織暴露となっている。いわく「炭労スト中止・政転路線ふっとぶ」。いわく「鉱山占拠・唯一の正しい戦術」。いわく「三六拒否から物だめへ」など。しかし、そこには、今日われわれが革命的労働者として、革命的共産主義者として、いかにたたかうかをさししめす文章は何一つみいだすことができないのだ。そして、革命的労働者・学生の中核形成の闘いを「ケルン主義」とか「セクト主義」とかと罵倒するにいたっては、『前進』を占拠した政治局内多数派は、もはやわが革命的共産主義運動によって打倒されるべきものでしかないのである。

昨六二年一〇月、わが同盟第三回全国委員総会(三全総)“路線”批判に端を発したわが同盟の内部闘争のただなかで、政治局を僣称した官僚どもとその一派は、彼らの労働運動主義と官僚主義とを全面的に開花させてしまった。

『前進』第一〇六号で山本勝彦が「三全総路線」のなかにあらわれていた労働運動主義および地区的な党組織建設路線をめぐる混乱を切開するために開始した闘いは、ただちに武井健人(本多延嘉)をはじめとする他の政治局員(ただし倉川および森をのぞく)の没理論的で肉体的な反撥に直面したのであった。

「社共につぐ第三の潮流」としてのわが同盟の登場などと叫びながら、わが同盟を社共両党と同一次元で論じ、その労働運動主義にもとづいてそうした幻想的段階を設定して、有頂天になっていた官僚どもにとっては、労働運動の「戦術の緻密化」によって戦闘的労働運動が「防衛」されるのではなく、まさしく革命的中核を創造する闘いにふまえた柔軟な統一戦線戦術の適用を通じてその創造や防衛も可能となるのだ、というわれわれの批判は、まさに彼らの“路線”の根本にかかわるものであった。しかるに、彼らは、こうした批判にたいしてもっぱら没理論的に反撥し、「書記長と議長との対立は重大であるから……」などという官僚主義的口実をつけて、理論闘争の『前進』紙上での展開を一方的に中絶した。

あばきだされた労働運動主義的偏向は、キューバ闘争・動力車闘争をはじめその後の階級闘争のすべての問題のなかで開花していき、またわれわれの批判を抑圧せんとした官僚主義は内部闘争のなかでいよいよ深まっていった。たとえば『前進』紙上で「アメリカはキューバから手をひけ」というスターリニスト然たる右翼的スローガンが最初に提起され、次には「絶対平和主義者を暴露しなかったのは、まずかった」などとピントはずれの自己批判がなされ、さらに三転して「はじめは米帝反対、後でソ連反対」といった革命的マルクス主義の立場とはまったく無縁な二段階戦術が提起されたのであった。そして、こうしたジグザグがあばかれ追求される場合には、「キューバ危機への反応がおくれたことを自己批判せよ」なとどいう大衆運動主義まるだしの居直りをもって、官僚どもは答えたのであった。

一九六二年秋における労働者階級の最大の闘いであった動力車労組の運転保安闘争において彼ら官僚どもは、「社民やスターリニストであっても、戦闘的ならあまりケチをつけるな」(政治局通達第二号)などといって、闘争過程でダラ幹を暴露する闘いを抑圧し、もっぱら「尻おし」に終始すべきであると主張し、そして闘争後の時点で、右派も左派もともに裏切りの責任者であって、われわれのみが断乎たる実力闘争を要求したのだということを、分裂して主張しないのは日和見主義であり党建設主義のあらわれだ、などとがなりたてた。これらは明らかに、労働戦線の内部における現実の力関係の分析と革命的ケルン創造の闘いをまったく喪失した、大衆運動主義・労働運動主義にもとづく戦術の二段階化、ならびに、かかる誤謬を補完しおしかくすための「裸おどり」の強要を端的にしめすものにほかならない。

他方、昨秋学生運動の最大のもりあがりをみせた大管法統一行動において彼ら官僚とそのエピゴーネンどもは、統一行動の組織化の過程における、またそのただなかでの、われわれの独自的闘いの貫徹を完全に否定し、もっぱら「統一行動そのものの意義を確認せよ」とか「他党派批判よりも先にまず大衆を獲得せよ」とかとわめきたてたにすぎなかった。

要するに、全逓闘争でも、合化闘争でも、炭労闘争でも、また六三年春闘でも、彼らの路線――「まず大衆を闘争に結集し、ついで裏切られた時点で既成指導部をあばく」という二段階戦術が、さまざまの形でつらぬかれた。こうして『前進』では「実力闘争」という言葉が無内容に乱発され、「闘え」「闘え」という「尻おし」がくりかえされた。そしてまた、同盟員にたいしては、キューバ危機のさい一人ででもデモにいかなかったのは誤りであった、などという途方もない自己批判が強要された。

いいかえれば、わが同盟の独自活動を大衆闘争のなかでいかに貫徹していくかの組織論的解明が欠落している、というわれわれの批判を、官僚どもとその追従者たちは、なんら理解することができなかったし、また理解しようともしなかったのである。そしてまた、われわれが組織的に展開した内部闘争が「上からではなく下から」、「機関を上から順番に通さずに」おこなわれているとの理由で、これを「組織原則からの逸脱」であると彼らは恫喝し、また「フラク的会合を書記長に報告しない」という理由で政治局内少数派を政治局から組織的に排除した。さらに『前進』にはサクラ投書をのせたりしながら、さまざまの誹謗中傷をならべたて、官僚どもは「反山本」のキャンペーンを展開したわけである。

こうして、一九六三年一月の全学連第33中委において、政治局内多数派の“路線”が完全に粉砕されるやいなや、彼ら官僚どもは、マル学同「中核」派なるものを、なんらの理論的同一性もなく、わずかに「反山本」を旗じるしとするにすぎない肉体派を、彼らのエピゴーネンをかきあつめて結成するとともに、他方ではわれわれを組織的に排除するための陰謀をおしすすめたのであった。

B 労働運動主義とその根拠


 政治局僣称派が、今日「わが同盟の飛躍的前進のための決定的な環がなんであるかを明示した」(『前進』第一二〇号)とベタほめする「三全総路線」には、しかし実は逆に、今日における彼らの堕落の「理論的」根拠がしめされている。

「三全総」においては、労働者階級の内部におけるわれわれの闘いが基本的に全然総括されておらず、わずかに反戦闘争と選挙闘争とが不十分に、しかも間違って総括されているにすぎない。そして選挙の票数からわれわれの運動の「拡大」という評価をわりだし、そのうえにだされた現在的任務が「戦闘的労働運動の防衛」のための「戦術の緻密化」路線であり「大衆との接点を拡大するための空論主義の克服」であったのだ。

たしかに、今日の労働運動を戦闘的=左翼的に展開するという課題が、われわれの革命的ケルンを創造する闘いの前進にともなって、より一層われわれに課せられていることは事実であり、またそのために現にわれわれはたたかっている。

しかし、今日までのわれわれの反帝・反スターリニズムの闘いは、労働運動の戦闘的展開それ自身のためにあったのでは決してない。いな、労働運動の一時的、現象的な左翼的展開を自己目的化したり、またそれによって革命が準備されるというような幻想におちこんだりする傾向にたいして、われわれは徹底的にたたかうなかで前進してきたのであった。

今日の階級闘争の問題性は、まさに労働者階級自身が社会民主主義とスターリニズムによって底深く汚染されていることにあるのであって、この汚染からイデオロギー的にも組織的にも脱却した革命的労働者が大量につくりだされ、しかも彼らによってになわれた真実の労働者党が創造されないかぎりは、労働運動の革命闘争への高揚は決してありえない、ということを自覚することのなかに、われわれの闘いの出発点があり眼目があったのである。

このようなわれわれの闘いの基本的構造を、政治局僣称派は、そもそも理論的に十分主体化することができず、「労働戦線ではまだ労働運動をやる力量がないからケルンづくりをやるのだ」というような把握をさえ部分的にはもっていた。昨日まではこうした誤謬を部分的にしか暴露することがなかった彼ら官僚どもは、わが革命的共産主義運動の一定の前進、労働運動の内部におけるわれわれの闘いの部分的な高揚、それに参議院選挙のわずかばかりの票などに眼をうばわれ、こうしていまや組織づくりや組織戦術をまったく忘れはて、わが同盟の運動と組織を大衆運動主義的に改作する道を突進しはじめたのである。

たしかに口先では、彼ら官僚どもも、「革命的中核の形成」といい、また「プロレタリア党の創成」などと叫んではいる。だが、彼らはそれを、どのように実現するかの組織論的反省を完全に没却しているのであって、ただ大衆運動の左翼的展開に「党建設」を接ぎ木しているにすぎないのだ。

一つ一つの階級闘争・労働運動を左翼的に展開することを通じて、またこれを媒介として、同時に革命的中核を創造する、というこの一個二重の闘いを、官僚化したわが腐敗分子は把握することができない。真実のプロレタリア党建設をめざして、われわれの組織戦術を貫徹しつつ、その時々の大衆闘争を左翼的あるいは革命的にたたかうことは、彼らには「セクト主義」「党建設主義」「大衆蔑視」などとしてしか映じないのである。だから彼らが「戦術」を提起しても、それは、大衆の意識と闘いの具体的現実やそこでのわれわれの主体的力量を無視し飛びこえた一般論にすぎないのであって、つねに原則主義と大衆追随主義のあいだをゆれうごくものでしかないのである。たとえば炭労闘争の現実的な諸問題を分析し反ダラ幹闘争をいかにすすめるかを具体的に追求することをあらかじめ放棄する彼らは、「唯一の戦術」は鉱山占拠である、というような原則主義的極左方針を提起しておきながら、その二週間後には平然として「鉱山占拠は思想であって戦術ではない」などといってすましている、この無責任さ。

さらに、大衆運動の組織化と党建設との弁証法的把握を「空論主義」としてかなぐりすてる彼ら官僚どもは、同時に〈反帝・反スターリニズム〉戦略の喪失、その「反帝国主義」イズムへの歪曲をも背後で深化させている。〈反帝・反スタ〉戦略は、われわれの革命運動の過程的構造の把握によってつかみとられ定式化されたものであるが、しかし、過程においてその過程を実践的に止揚する実体(革命主体および前衛党)の形成と組織戦術の不断の貫徹が欠落するならば、必然的に「反スターリニズム」は単なるスターリニスト官僚打倒に実体化されざるをえないのである。これこそが、キューバ問題において露呈した「反帝」イズムの根拠である。

戦術提起における二段階化の誤謬、大衆運動主義=労働運動主義という偏向、そして「反帝」イズム――これらの諸偏向は、同盟内闘争における官僚主義と不可分にむすびついている。同盟建設におけるこの官僚主義的疎外は、前者の諸偏向を前提とし、かつ措定する。いいかえれば、思想闘争を通じて理論的=組織的同一性を創造し獲得するという形態においてではなく、まさに没理論的に、自己の方針や路線に反対するすべてのものを諸機関から排除するだけでなく、理論上の対立を組織的分離に直結するという点に、彼ら官僚どもの同盟組織建設における変質が集約的にしめされている。

今日までのわが革命的共産主義運動の歴史は、前衛党建設における種々の誤謬や疎外とのたえざる闘争の歴史であった。太田派や西派などの純トロツキストとの闘い、ブントとの闘いも、この問題に出発し、また帰着したのであった。革命的共産主義者同盟・全国委員会の建設もまた、そのような闘いを通じてなしとげられてきたのである。

ところが、ブント崩壊後、その同盟員の一部が、わが同盟のもとに結集し、また全学連の指導権をマル学同がにぎるやいなや、たちまちブント主義的な傾向が頭をもたげた。革共同・全国委やマル学同を、反代々木左翼(ブント残党や脱党しはじめた春日派=右翼スターリニストなどをふくむ)の運動を大きく結集したものとしてつくりかえよ、という要求にもとづいた「共産主義学生同盟」結成の策謀(いわゆる共学同問題)が、それである。この策謀は、それ自身としては、わが同盟内の断乎とした内部闘争(分派闘争のかまえをもった)によって粉砕されはした。けれども、この闘いは、かの策謀の思想的および組織論的根拠を徹底的にあばきだしながら、同時に、全同盟の思想的・組織的強化をかちとる闘いとしておしすすめられ教訓化されることなく、むしろわが同盟第一回大会において「基本的に解決された」とされてしまったのであった。

また一九六一年秋以来の「米・ソ核実験反対」の反戦闘争においては、――ブント的大衆運動主義およびわが同盟内でのその再生産ともいうべき諸偏向(典型的には第四回全国代表者会議で噴出したそれ、つまりいわゆる「六・二五問題」や「共学同問題」などに象徴されるもの)がなしくずし的に解決されたことからして――、われわれの世界革命戦略を直接に大衆闘争の戦術として提起する(たとえば「反帝・反スタの反戦闘争を!」)というような最大限綱領主義その他の諸偏向がうみだされた。破産した原水禁運動をのりこえ「米・ソ核実験反対」の革命的反戦闘争を推進する、という実践的立場が、そこには完全に欠落していた。「兵士の獲得のための反戦闘争」とか、「反帝の旗をかかげて原水禁大会へ」とか、また「帝国主義とたたかわない平和運動は無意味である」とか、といった方針や主張は、まさに現段階における反戦のための大衆運動を純粋レーニン主義的にとらえ位置づけ歪曲していることを端的にしめすものにほかならない。ここにおいて、同盟(党)組織建設と大衆運動との一個二重の論理的連関を明確化し、最大限綱領主義や純粋レーニン主義が発生する根拠がブント式大衆運動主義の未克服にあるということ、あるいは前者は後者の裏返しの誤謬であるということがあばきだされ、内部闘争が全同盟的にたたかわれた。そして、こうした誤謬そのものについては、一応の自己批判がなされた。

しかしながら、ほかならぬ政治局のなかに発生した偏向にたいするこの闘いは、徹底的に貫徹されたわけではなかった。今日政治局を僣称している官僚ども、武井健人(本多延嘉)、北川登、岡田新(清水丈夫)、岸本健一(陶山健一)、山村克(白井朗)らにとっては、反戦闘争における左翼主義的偏向の克服とは、その単なるやりかたの自己批判でしかなかった、ということを、この間の内部闘争のただなかで彼らは次々と自己暴露してきたのである。――「反戦闘争における偏向は、それを単に技術的なものとして闘い、思想的なものとして闘わなかったことにある」(武井・三全総報告)とか、「ソ連核実験の反労働者性を暴露することに重点をおく最大限綱領主義」(北川・『前進』第一一六号一面)とかのデタラメさをみよ。

今日までのわが同盟内部における思想闘争そのものの不徹底性は、党建設の闘いの外在化という点にその主体的根拠があるのであって、そのいみでは、われわれ自身が政治局僣称派と同一性をもっていたといわなければならない。この同一性のなかにこそ、わが同盟組織建設のたちおくれの原因があるのであり、またこの同一性を打破し克服する闘いを通じて、革命的マルクス主義を歪曲し放棄し官僚化した政治局内多数派を打倒する闘いは革命的マルクス主義派建設のための闘いへと前進するのである。あまりにも急速に、あまりにも深刻にすすんだ同盟指導部内における腐敗にたいする断乎たる闘いの展開として、われわれのこの自己批判は実践的に貫徹されなければならない。

われわれの革命的批判を全同盟からできるだけ隠蔽し、問題の本質を「山本の非組織性」なるもののキャンペーンによって、混乱させようとたくらんだ政治局内多数派の腐敗分子は、結局、同盟内に克服されずにひそんでいたあらゆる思想的弱さと汚物を一挙に彼らの下に湧きださせ、そしてこの汚物に依存して「反山本」フラクを形成してきたにすぎない。われわれの内にある政治局僣称派との同一性のゆえに、われわれは、今日この「反山本」フラクの形成をゆるし、官僚どもによる上からの組織排除の策謀を、完全に粉砕することができなかったのである。

いまやわれわれは、こうした自己批判のうえにたって、池ブクロにたむろする官僚一派との闘争を通じて彼らとの同一性を切断し、われわれの戦略を、われわれの運動=組織路線を、大衆運動の組織化においても同盟組織建設においても、現実化し物質化していく闘いを貫徹していくために、分派闘争を断乎として展開しなければならない。

C 分派闘争を断乎として推進せよ!

 全国の同志諸君!
 革命的労働者・学生・知識人諸君!

今日までのわが革命的共産主義運動の基本原則を「古いカラ」としてなげすてつつ、スターリニストよろしく反対派を「通敵行為者」「党破壊者」として組織的に排除するまでに腐敗堕落してしまった政治局内多数派=ブクロ官僚一派にたいして、〈反帝・反スターリニズム〉の闘いを断乎としておしすすめようとするすべての人びとは、みずからの主体性を賭けた対決をなすことなしには決して前進しえない。

あらゆる職場や学校において、大衆闘争の左翼的あるいは革命的展開のただなかで社会民主主義・スターリニズムから決別した革命的中核を創造し組織的に結集しつつ、わが同盟組織を確固としてうちたてる、というこの闘いの場において、ブクロ官僚どもの大衆運動主義の誤謬が、二段階戦術への転落が、そして同盟組織建設と組織指導における官僚主義が、徹底的にあばきだされ、粉砕されなければならない。このような理論的=組織的な闘いを通じてわれわれは、われわれの内部から党建設を外在化する一切の傾向をたたきだし、大衆運動主義=労働運動主義と官僚主義とを克服し、わが革命的マルクス主義派を創造する闘いをおしすすめなければならない。もちろんこの闘いは、大衆運動の不断の展開からきりはなされた単なる「立脚点」の確立を自己目的化する傾向(立脚点主義)を是認することを少しも意味しない。

われわれのかかる組織的闘いにたいして、ブクロ官僚どもは、これまで以上の下卑で没理論的な誹謗や中傷をあびせかけてくるであろう。それらは彼ら自身の自滅の一歩ではある。たとえ極めて下劣な攻撃であったとしても、その思想的根拠をあばきだしつつそれを原則的にはねかえしていくためのイデオロギー的および組織的闘いを、われわれは徹底的におしすすめるべきである。そうでないかぎり、われわれの闘いに混乱と消耗とニヒリズムがうみだされないとはかぎらないのである。

今日までの同盟内闘争、分派闘争を通じて、われわれは数多くの教訓を学んだ。そのすべてについて、ここで語ることはできない。その最大の教訓の一つは、まさに党建設における党内闘争の意義についてであった。

党内に発生した一切の誤謬や偏向にたいして、つねに主体的なかまえをもって対決し、それらを批判し克服するための理論的=組織的闘いを通じて党組織建設をおしすすめ、不断に党組織としての理論的=組織的同一性と同志的信頼とを創造し獲得し、さらにそれらを高度化していくこと――このことが、つねに実現されない場合には、前衛党組織の確固とした建設は決してなしとげられないのである。

われわれは、右のことを、政治局内多数派に代表される腐敗分子をうみだしたわれわれ自身の闘いの痛苦な自己批判としてつかみとると同時に、われわれの分派闘争において貫徹していくであろう。

ブクロ官僚どもの大衆運動主義と官僚主義、春闘や日韓闘争などにたいする彼らの方針および総括におけるそれらの具体的なあらわれの一つ一つをその理論的=組織的根拠にまでほりさげ克服するための闘いを、われわれは徹底的に組織的に実現すると同時に、これをわが同盟の新しい組織建設のための思想闘争として展開しなければならない。そうすることによって、官僚化した政治局内多数派にたいする反対派としてのわれわれの自己止揚をなしとげ、わが革命的マルクス主義派を確固としてうちたてるのでなければならない。

この間の同盟内論争の検討が、われわれの闘いの経験と点検にふまえつつ、われわれ自身を強めるために、もう一度おこなわれなければならない。それを通じて、われわれ自身の過去からの脱皮が、総括としてなされなければならず、またこの闘いはそれぞれの場で物質化されなければならない。

水ぶくれと寄せあつめによる「党建設」を、われわれは絶対に拒否する。一方ではブントや「共学同」問題などの自己批判を少しも問題とせずに「常任、職革」を次々と任命したり、他方では『賃労働と資本』を半分読めばマル青労同に入れ「春闘のなかで鍛える」などという岸本式のデタラメな「組織づくり」をしたりするブクロ官僚どもとは、われわれはまったく無縁である。

われわれの機関紙『解放』は、『前進』のような「流し込み」と「尻おし」のための大衆新聞ではなく、明白に反スターリニズムのために苦闘する労働者・学生・知識人の思想闘争の武器としてつくりだされるであろう。

ブクロ官僚どもの「尻おし」的指導のもとでまったく怠られてきたわれわれの組織活動と大衆運動の組織化にかんする理論的追求を、そしてわが同盟の新たな指導部および幹部をつくりだすための自己教育とともに、われわれはおしすすめていくであろう。

わが革命的マルクス主義派に栄あれ!
 反帝・反スターリニズムの闘いの前進のために、腐敗した政治局内多数派を打倒せよ!
 プロレタリア党創造の闘いの前進のために、革共同・革命的マルクス主義派に結集せよ!

一九六三年四月一日

革命的共産主義者同盟全国委員会
議 長          黒田 寛一
副議長          倉川  篤
政治局員         森   茂
国鉄委員会議長      吉野  徹
全逓委員会議長       原   晶
中央学生組織委員会議長  土門  肇

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