ふわっと口語で愉しむ『言志四録』 今週の言葉「166 看板」+chat「学ばない人」
166 看板
なにかを学ぶ時に、
自分がなにを学んでいるのか
ひけらかすのは、
以下、ふわっと口語で愉しむ『言志四録』まとめ
chat「学ばない人」
何十年か前、日本は「教育熱心」な国民で、同時に「勤勉」な国民だ、と思っていた人も多かったはずですが、それは過去の話です。実態としては、学ばない人はどんどん増えている。だいたい、大学まで卒業していても、「何を勉強してきたんだ、コイツは!」と思われている。つまり、学ばない、あるいは学べていないのです。
もちろん、優れた人もいます。優れた人は目立つので、いろいろな話題になるから、「優秀な人がいっぱいいるなあ」と感じるかもしれないけれど、そんなことはなく、ほんのわずかな人だけなのです。もちろん分野ごとに優れた人はいるので、詳しく知らない分野についてはわからないままとなります。漠然と、思ったよりは優れた人が大勢いるような気になる。だけど、自分の身の回りを見てどうでしょう。何人いますか、とてもよく勉強していて、なおかつ「さすがだな」と思えるほど優れている人は。
もし周囲が優れた人ばかりだとすれば、あなたもきっと優れている。つまり少数派に属していることになるのでしょう。
私の周囲は私に比べれば圧倒的に優れた人たちばかりですが、ノーベル賞候補になるとか、「期待される百人」みたいなのに選ばれているような人や、日本一になったり、表彰されているような人は、あまりいません。もちろん、私のケースを一般化するわけではありませんので、むしろ私が例外なのかもしれないけれど。
学ばない、学べていない理由をChatGPTに聞いてみたら、関心の欠如、動機の欠如、ひとつの思考パターンにとらわれている、自信の欠如、挫折したままになっている、環境が悪い、といった要因を並べてきました。
なるほど。その逆をやれば、学ぶ人が増えるということなんでしょうか。
環境については、まあ、ちょっと複雑ですよね。
一緒に暮らしている人、近くの人たちの影響はとても大きい。学ばない人ばかりなら、そこから学ぶ人が育つ可能性はかなり低いだろうな、と思います。やり方、考え方、日常が違い過ぎると、それを払いのけて自分だけ進んでいけるほど天才的な人以外は、環境に飲み込まれます。
もし、いまの日本で学ばない人、学べない人が増えているとすれば、それはこの日本の環境が悪いわけだから、そこを改善できないとうまくいかない。学校だけの問題ではないでしょうね。
そんなときに、背中を押してくれる本として『勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春文庫)』(千葉雅也著)があります。哲学者である著者による、勉強をすることの意味や方法についての、極めて読みやすい本です(大学の新入生向け)。ここでは「欲望年表」を作ることを推奨しており、自身の欲をモチベーションとして学びに結びつけていきます。
今週の言葉では「おれ、これを勉強してるんだ(すごいでしょ)」的な看板を否定しています。それは「我欲」と言うことでしょう。自慢ですね。だけど、実際には、「自慢したい欲望」に突き動かされて学んだっていいのです。学ばないよりはいいに決まっている。そしてある程度の学習が進んでから、「もっと違う欲望」が生まれてきて、そっちへ進むことができるかもしれません。学ぶことで、そういう選択肢も生まれてくるでしょう。
つまり「欲」と「学習」はお互いに求め合って、高め合う関係にあります。「学びたい」だって欲望だから。そして自分の学びにふさわしい環境を手に入れて、そこでさらに学ぶことになります。
一方、「学びたくない」も「欲」だから、その欲を選択すれば、どんどん学ばない人になっていくだろうし、学ばなくていい環境を求めるでしょう。
つまり、私たちは学ぶ自由もあれば、学ばない自由もある。そしていま、私たちの前に現れたAI(人工知能)によって、学ばない自由はさらに一般化していきます。
学ぶことをやめた人類がどうなるのか。いや、すでにいまその徴候は私たちの周囲にあるのではないでしょうか?