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リアルに「恩返し」なんていう教授

1ヶ月ちょっと、大学院がお休みでした。その間の変化といえば、Master of Development Studiesをコーディネートする教授が変わったことくらいでしょうか。わたしが願書を出す前にお話を聞いたりしたり、試験について問い合わせたり、無くした財布を一緒にさがしてくれた教授が退き、新しいK教授がいらっしゃいました。で、早速その教授から7月に入って、わたしたち14期生に声がかかったんです。

論文のワークショップをやろうではないか

K教授は、わたしたち同期でいちばん成績優秀なクラスメイト出木杉くんの論文の指導教官でもあります。前期が終わってから45日間も休暇があったわたしたちの論文の進捗をとても気にしてくださいまして。
「進捗確認のワークショップをやろう!」と提案してくれました。見本となり基本となるのは出木杉くん。彼の論文提案についての発表をもととしたワークショップです。わたしのような平凡以下の学生は、出席するのみ。

正直うらやましかった

ワークショップを通して、K教授と出木杉くんのやりとりがうらやましくてしょうがなかったです。45日の休暇の間に10回程度は会って、論文のアドバイスや進捗確認を行ってきたというのです。聞いてみると、なんと、他にも自分の指導教官とはほぼ毎週会って、加筆修正をしてもらい、もう仕上がるなんて言っているクラスメイトも。
わたしはといえば・・・、加筆修正どころか、最初の1回の挨拶しかしておらず呼び出されることもなければ、メールに進捗を添付しても、「Good! 」「Well done!」そればかり。そいう言われても、ぜんぜんうれしくない。だって、自分でわかっているんですから、自分の論文はこれではダメだって。
他の人みたいに、「これを読め」って参考資料もらったり、真っ赤に添削してもらったり、ほしいなぁ〜。その思いに打ちひしがれて帰りました。

原点に立ち返って

バイクで家まで帰る道すがら、わたしはふてくされていたと思います。「なんでわたしの教授は見てくれないの? 」「なんでわたしばっかり自分で文献探してあってるかどうかわからない文章を書き続けているの? 」「効率悪くない? 」って。
でも、夜、じっくり考えてみたんです。自分のふてくされっぷりを。

間違っていました。わたし。
わたしはなんのために、わざわざカンボジアの大学院い来たの? という原点に立ち返って考えてみたら、自分で文献を探して、自力で書いて、自信がもてるレベルにして、担当教授に見せないとダメじゃないか!? って。
何を待っていたのだろう? どうしてショートカットしたり、楽をしたりしようとしていたのだろう。
わたしの目標は、うまいこと論文を提出することじゃなくて、納得のいく学習を納めることにあるので、楽をしちゃダメだって、気づいたんです。

新たなる作戦

もうふてくされるのをやめて、来週は、担当教官に仕上がりを見せます! そう決めて、仕上げていきます。
そして晴れてアポイントが取れた暁には、次と次の次のアポイントまで取ってしまえば、「なんで会ってくれないの? 」問題は解決、これでいこう!
名付けて”ふてぶてしくしつこく作成”です。
人に与えられるのを待っているなんてのはナンセンス。たまたま、周りのクラスメイトたちはそういう環境にあるけれども、わたしは、自分で動くべし!

K教授のことば

さて、ワークショップ中に、ついついもらしてしまったわたしのことば。「いいなぁ、そうやって親身になってくれる先生がいて」
それに対してのK教授。
「わたしが大学院生だったころ、自分の教授には本当にたくさん教えていただき、面倒をかけたし、親身になってもらった。その教授に恩返しをするつもりで、いま、自分の学生たちに、自分が持っているものをすべて捧げるつもりで教えている。だからなんでも聞いてほしい。自分が知っていることなら協力するから。」

いま、恩返しという気持ちで仕事をしているK教授に出会えたこと、とても幸せに思いました。
わたしは仕事のとき、後輩たちにはなるべくご馳走をするようにしています。理由は、自分が先輩たちにそうしてもらってきたから。わたしの好きなある先輩が、いつもご馳走してくれるので、申し訳なくて、その気持ちを伝えた時、「わたしがそうされてきたことを自分が後輩にしているだけ。申し訳ないと思うんだったら、自分も将来そうしてあげて」と言われました。
K教授の行為から、その先輩のことを思い出し。

わたしはカンボジアで学ばせてもらったご恩を何をもって返せるだろう。
そのことも考えながら大学院をきちんと最後まで終えたいと思いました。


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