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寄せ書きに寄せられた真実/子どもたちは未来へ向かう

あまりにも知られてない、気づかれていない、子どもたちの変化。

良いとか悪いではなく、適切に、この変化(正しくは進化)は見定める必要がある。

現に社会とテクノロジーの劇的な変化は、すでに子どもたちだけではなく、僕ら大人ですら変化させてきているではないか。 

学年終わり、子どもたちはよくある寄せ書きのようなものを担任の先生に贈る。
 
それでまあ、苦労しながらクラス運営をやってきた先生が、「子どもたちに自分の熱意が伝わったのだ」と勘違いをする。
苦労の末に共に理解し合う日が来る、かつてはそういうこともあっただろう。

ところが今やこれは子どもたちからの気遣いに過ぎない。
いつも言及しているが、子どもたちは賢いし大人だ。
嫌いだけど大人の付き合いができるのだ。

そう、
“あなたのことは嫌いだし顔も見たくないけど、気を遣って”寄せ書きの色紙を贈るのである。


こう書くといかにも子どもたちは酷い、と言い出す大人がいそうだが、そうではない。

現代の子たちは現代の子なりに正しい行動をとっているに過ぎない。


大人たちは、いつまでも「かつての子ども像」を変えることができない。

子どもとはこうだろう、こんなもんだろう、と自分たちの時代の子ども像しか想定することができないでいる。

先生像もしかり、教育のありようも然りだ。


ところが子どもたちはもっと先を生きている。

新しい人間像と言っても良い。

未来人となりうる子どもたちからすれば、自分たちの姿こそが、自分たちが生きる時代の人間像なのである。

熱血や根性、努力や気合が通じないからと言って、彼ら彼女らの人間性が劣るわけではない。
子どもたちはむしろ、大人よりも、より適切な道を選んでいるに過ぎない。


寄せ書きで言えば、自分たちの本音を隠してでも気を遣おうとする子の行為は、大人以上に大人であり、それを責めるくらいなら、先生はうまくいかない自分の指導法を振り返るべきなのである。

そもそもうまくやれていない自分を疑わねばならないのだ。

現代の子どもたちは未来から見て正解の道を選んでいるに過ぎない。

遅れをとっている側の大人こそが、その理解に努めるべきなのだ。
(知りたい方は沢山出してきた、僕の各種動画と発信記事をどうぞ。学びたい方は是非アクセスされたし)

問題はある。
大人が対応を間違えれば間違えるほど、子どもたちが誰からも学べなくなることだ。
学べないこと、これは致命傷になりかねない。

大人が間違えるとストレスや不具合を生じたまま、子どもたちも壊れかねない。少なくとも学びの機会が減ってしまう。


現実として、若者(社会人)の劣化は進んでしまっている。

要因はここで述べる、「それまで理解してくれる大人がいなかったこと」「そのせいで、適切な教育を受けられず、学べなかったこと」にある。

まずは大人が、現代の子どもたちの理解に努めること。(知りたい方は僕まで)
それがすべてで、それがスタートだ。

未来へ。


(おわり/FB投稿より)







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