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「第3、第4、第5の居場所づくり」ソーシャルキャピタルとコミュニティーと風の谷


「第3、第4、第5の居場所づくり」

ソーシャルキャピタルとコミュニティーと風の谷 その1


第3の場(第3の居場所)どころか、第4、第5の場を地域全体で作っていかなければならないのではないか?


共同体が失なわれた今は、意識して、余地余白、許しのある場を、作っていく、そういうことが必要な時代なのではなかろうか。

これには、民間、公、が入り乱れて、多様な場作りが肝心なのだろうと思う。

少なくとも、皆さんが想像されるように、画一的に、国からのトップダウン的に、形の上だけで用意された場をいくら作っても意味をなさないだろう。ルールと管理で固められては、場は場として機能しない。それはただの機能的な場所、いわば、スペースでしかない。

必要なのは、スペースではなく、場である。

機能的な空間、スペースは、必要があるからいくし必要がなければ行かないというもので、ここで場と呼ぶものは、何か特には用はないんだけれども、足を運ぶような場所を指す。

公が関わるとしても、その点をデザインできる力がある人が必要となる。

言われたからやりました、みたいな既存のノリでは、作るだけ税金の無駄だ。


そして、肝心なのは、その場を、どう経済的に存立しうる場所にできるか、であろう。

地方はこの点が常に弱いので、何をしても税金一辺倒、関わる人も、税金頼み。挙句、形だけ立派なものが出来上がるが、事実上、建物が建っただけ、機能としての部屋が用意されただけ、になるのが関の山である。

一応、話が少し近いので、書き足しておくと、今、話題に上がっている不登校特例校も、既存の思考では、現代の子どもたちに見合う場が作れないまま終わる。

肝心の中身を作るノウハウが、ない。

さて。


「第3、第4、第5の居場所づくり」

ソーシャルキャピタルとコミュニティーと風の谷 その2


ソーシャルキャピタルの貧弱さ。

第3の場所、第4の場所、そして第5の場所と、単なるスペースではない「場」の必要性を書いたのは、地方のソーシャルキャピタルの貧弱さにある。


ソーシャルキャピタル(社会関係資本)とは、人脈や人間関係、そこにある信頼関係や規範などを指す。地域や地方においてそれを考えるなら、地域力やそこにあるコミュニティーの包摂力や多様性を指すことになるだろう。

これらは、単に人口・経済・財政の規模などでは測れないものだ。

文化、歴史、伝統、教育、などの目に見えない資本を考える必要があるとすれば、地域差はかなり大きいだろう。

僕のいるまちでいえば、全国的にみても、このソーシャルキャピタルは貧弱であると言わざるを得ない。

故に、意図的に、第3の場所、第4の場所を作っていく必要があるのではないか?という問いが出てくるわけなのである。

裏を返せば、第3、第4、第5の場所を生み出していくことで、ソーシャルキャピタルそれ自体を、改めて未来に向け蓄積していこうという試みなのである。


再度書くが、これを国がどうこう、県がどうこう、で言い訳がましく、言われたことだけをやり、やったつもりになる、ような思考では、できるような取り組みではない。

何より、ここで述べているのは、目に見えない資本なのである。


まちの存続と存立、未来の子どもたちの人生の豊かさを考えるとき、国が言ったからやる、言わないからやらない、という、いわば"法の奴隷、言葉の自動機械"に成り下がっていて、できるような代物ではないはずだ。

まち、まちのスケールの共同体、もしくはもっと小さな単位でのコミュニティーの中の、市民が、私たちのまち、私たちの仲間のために何をすべきか、を、脳に汗かき考えるべき問いでしかない。

国や県に対しては、特に経済・制度面でそれを利用すれば良いだけの話だ。

風の谷が話題に上がったりもする。(プロジェクトなどもあるのでご存知の方もおられるだろう)


風の谷で描かれているものは、自分たちの小さな集落を、自分たちでなんとか死守するという、大変地道で小さな運動、それなのである。


失われた科学、文明。
ほとんどないに等しい科学技術。

それでもなお、生き残りをかけて、知恵を出し、汗をかき、仲間のために尽力するのである。

国がどうとか言っている場合ではない。

そんなことを言っていても、王蟲はやってくるし、腐海の胞子や瘴気は防げないのである。



スタートは、ソーシャルキャピタルが、貧弱であるという立ち位置からだ。”これが喫緊の課題である”という認識なしに、取り組みは進むまい。

社会はどうなっているか、共同体は、まちは、どうなっているか。正しく適切に、今を見極める目が必要である。その目は、知識から、教養から、データから、科学的知見から、やってくるものだ。

ここにまず、リーダーの育成が大変大きな鍵になることも見えてこよう。




私たちのまちは存続し得るか否か。

社会はすでに底が抜けたという見方もある。

今動かなければ、いずれ沈むゆく船が全国各地で露わになろう。


あとは、ちょっと、風の谷以外のネーミングが欲しい。

さて。

(おわり)






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本田篤嗣(Master Honda)
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。