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多くの人が知らないんじゃないんだろうか。4

多くの人が知らないんじゃないんだろうか。4


これまで授業が得意、教えるのが上手、みたいな先生の多くは、すでに淘汰されている。

一応、公教育の先生なので形の上では淘汰されていないけれども、実際のところは、子どもたちが見限ってしまうので、淘汰されていくことと同義だ。

はなから、子どもに話(つまり授業・講義)を聞いてもらえないのだから意味がない。

この淘汰が、かつてとは別次元で起こっている。

(先生は残念ながら直接、受け手の反応を聞くことができないので気づかない/授業アンケートを本音で聴けないジレンマ)

ここでは、別次元、別のレベルで起こっている、というのがミソだ。

これまで、授業が上手と言われていた先生も、事実上、すでに淘汰されている。

例えば、仮に、支持される先生が従来、2割ほどいたとすると、現在だと、1割を大きく切るであろうインパクトだ。

体感としては、すでに1パーセントもいないだろう。

(これについては理由がいくつもあるのだがここでは割愛/そもそも講義授業、一斉授業を基準にすること自体に意味がないので実はその1%すら意味がないのではあるが)

そのくらいの淘汰が起きている。

教えるのが上手、特に、説明が上手という点においては、かつての上位2割程度の、「上手さ」では、今の子どもたちには通じないということ。

ここが肝心。

現場で支持を得ようとするなら、"驚愕的な上手さ"が必要なのだ。

だから実は、良い先生の基準を考えるなら、もはやこの点(説明が上手・教えるのが上手という点)においては、競う必要がなくなっている。いわば、目指す地点、目指す頂点が異なるのだ。が、ここではこの点にこれ以上言及しない。ややこしくなるので。


話を戻す。

生半可な先生は、もはや通用していない。通用するのは、異次元レベル、別世界レベルの先生のみ。それは上位1%未満。

これがリアル。

多くの人が知らないんじゃないだろうか。

(おわり)

拙著


まなラボスクール(小中高大)


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本田篤嗣(Master Honda)
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