中学レポート課題に見る本当の課題/学び直しの意義
またまた、(予定されていた通り)、中学社会科のレポート課題が出ている。
今回もまたまた質が悪。
問いそのものの立て方がおかしいので、適切に答えることができないものになっている。
(プロの書き手として書くが、僕ならこの課題はやらないし、やれない)
論理的思考とその文章構築をやってきてない世代が多い(ほとんどな)わけで、
これをやられると、子どもたちの方は、非常に無駄な時間だけを取られることになる。
教員の免許制廃止への流れが加速している。
その中で、改めて、学び直す機会をどう確保できるかは、重要な課題になるはずだ。
考えてみると、このレポートがで始めたのは、
まさに今回の指導要領改定に伴うもので、
現場としては、なんとか「暗記やパターン学習」から抜け出すために、あれやこれやチャレンジすることになった、その影響なのである。
ところが現実は厳しい。
現場にはそれらを適切に指導しうる教員はかなり少ない、という現実が露わにされつつあるのである。
単なる知識の伝達、暗記やパターン学習からの離脱には、まず、思考そのものが問われることになる。しかも、それは生徒に、ではなく、まずは「教師に」、なのである。
酷。
ただでさえ、一斉集団授業のスキルがメインスキルである旧来型の先生たちが大半を占めるわけだから、残酷であることは間違いない。
そう、指導要領の改定、本格的な思考を要する学びへの転換は、
生徒たちにではなく、現場の先生群に突きつけられた大きな課題なのである。
求められるスキルの根本が異なる。
かなり劇的な違い。
まだ始まって間もない今年度だが、すでに学び直しが課題だということが浮かび上がってきた。
(文科省のエリート集団が、地方の現場の質を見誤っていた点なのかもしれない)
少なくとも、ここで挙げた一方的に出されたレポート課題は、授業でそのための力を養ってもらえているわけでもなく、トレーニングを積み重ねてから出されたものではない。
(以前も述べたが、ここに必要な力は、小中で長くじっくりとトレーニングされねばならないものだ)
挙句、質が悪。
問いの質がまずすぎて、論理的に答えること自体が不能。
下手な思考と文章を書くくらいなら、他のことを学ぶ時間に充てた方がよい。
加えて、「?」なのは、
これを学年での教科担当の、数名の教師がOKを出してしまっていること。
担当者ひとりの問題ならば、他の先生のチェックで修正がかけられるはずなのだが。
チェックが効いてないのか、そもそも学年ごとまたは学校ごとまずいのか。
だのでここではあえて、表現として、
「悪い」でなはなく、「悪(あく)」と書いた。
指示プリントが高圧的であることも含め、
地域の保護者の皆様の議論を求めたい。
さて。
(おわり)