人間が煩わしい/現代の子どもちたちの新たな特性を知るために
「人間が煩わしい」
「できるだけ人間じゃなくてもいいものは、人間じゃないもの(主としてテクノロジー)で、済ませたい」
これが、今、教育の現場にいる人たちが、現代の子どもたちの価値観や感覚を理解するために、知っておかなければならないことだ。
僕ら(まなラボ)は長くライブ配信なども続けてきていて、長くこのことに言及してきた。
僕ら昭和世代のように、それなりに歳をとっている世代からすると、"現代の子たちのコミュニケーション力のなさ"は、きっと気になるに違いない。
そこにある、リアル(な世界で)の弱さ、とも言える。
確かに、その通りだ。
しかし、それを嘆くだけでは、子どもたちを導けない。
そのためには、先に述べた、「人間が煩わしい」という感覚を知っておく必要があるのだ。
で、これを認知することができれば、「ああ、授業なんて、一番、そうじゃないか」ということがわかる。
そう、人間がする授業なんて、大変煩わしい、のである。
だから、先生界隈の皆さんが、"良い授業をしなければ、わかりやすい授業をしなければ、もっと内容の充実した授業をしなければ、最新のコンテンツを入れた授業を作らなければ"と、躍起になっているのを見ると、的はずれなんだよなあ、と思う。
僕からすると、とっても、滑稽なのである。
先生という生き物は、どうも、"自分発信、自分の発言、自分のプレゼン"というように、自己中心的に陥りやすい。
残念ながら、そんなのは、どうでもいい、そういう時代が来ているのだ。
そして、子どもの(教育の)ために、といいながら、
肝心の「子どものこと」をわかっていないのである。
(ここで言う子どものこと、とは、子どもたちの価値観や感覚のことである)
まず認識しなければならないことは、
「人間がする授業なんて、今の子どもたちからすれば、煩わしくてしょうがない」ということなのだ。
何年も前に、ある子がこんなことを言っていたのを思い出す。
「学校の先生がいちいち怒る」
世代と価値観によるズレから、生徒たちはおかしいと思っていなくても、先生からすると腹立たしいこと、というのが山ほどある。子どもたちは怒られてもピンと来ないのだ。
続けて、
「それなら、先生は"ロボット"でいい」
これが今の子たちの感覚、価値観なのだ。
そしてこれだって、もう何年も前の話だ。(思い出せないけれど、どの子の代だったか、もう7・8年以上前とか)
だからもう何年も前に、認識しておかなければならないことなのである。
この兆候は、近年、多くの人が享受するエンタメの世界でも顕著にあらわれている。
音楽で言えば、ボカロ。(ボーカロイド。もともとヤマハの音声合成技術とそのソフトの名称。デモ作りに使えるので僕は昔からいくつか持っている。)
ナレーションで言えば、ゆっくり解説。棒読みの機械音のあれ(ゆっくり魔理沙とゆっくり霊夢)
機械だと判別できるものを「好んで」聞く人が出てくるなんて、想像できただろうか。
ボカロに至っては、今や、ボカロ風に作った曲を、後追いで人間が歌うなんてことがフツーになった。
YOASOBIなんかが、ボカロベースの曲調なのも典型であろう。有名曲「夜に駆ける」は息継ぎが不能な箇所さえある。ボカロがなかったらこんな曲は生まれていないんじゃないかとさえ思う。
人じゃなくていい。
いや、むしろ人じゃない方が、ストレスがなくて良い。
これが、現代の若者や子どもたちの新しい価値観。
「人間が煩わしいので、人間じゃなくてすむものはできるだけ人間じゃなくていい」
これをまず理解せずして、公教育は機能しない。
その上で、打ち手を考える必要がある。
(もちろん実践はもう10年ほどしているので僕らまなラボにはノウハウが蓄積している)
残念ながら、このことを話もしていない教育現場は、
10年は遅れている、としか言えない。
そして、遅れたその被害は、今の子どもたちが被ることになる。
教育者なら、そのことに危機感を持たなければなるまい。
(おわり)
まなラボスクール(小中高大)
☆高校コースは博士が教える個別コース。高専生、大学生も在籍しています。英語、数学。
☆小中コースは、例年通り、新年度を3月に開始。体験をお早めにどうぞ。年間を通じて空きがない状態が続いていますので、お早めに。
☆授業内外での会話や対話を通じて、読解力、思考力、理解力を養える場作りをしています。
☆小学生論理の授業は週1(小4ー小6無学年制)。小学6年生は英語授業あり。いずれも新年度に入ってすぐではなく、5・6月以降にスタートします。いずれも追加料金なし。
☆中学生は週2で講義授業。中3は秋頃より入試対策授業を追加し1コマ増えます。