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多く人が知らないんじゃないだろうか 5

学校における子どもたちのストレス。

現代社会の中の学校が、現代社会を反映していなさすぎて、子どもたちにとって大変に息苦しい場所になってしまっている。
(一応、このエリア・地域の学校では、という言い方をしておきます)
 

先日も、ある子が「学校(中学)はなんかしんどいし行きたくない」と話していた。

今や学校は、無用なストレスばかりがかかる場所になっているのだ。
   

それも、いわゆる、一般的にみて、"まともで、真っ当な"子であればあるほど、の、状況なのだ。

勉強ができるとか、クラスで信頼されているとか、真面目な子だとか、やさしい子だとかいった、そういった子が、より苦しんでいるのだ。

特に、学校の先生の評価基準でみて優秀な子ほど、先生には心配されない(この子はまず問題ないだろうと思われている)だろうから、問題はより厄介なのだ。


それと、僕が自分の教室で、子どもたちから最もよく聞くのは、 「意味不明に、無茶な行動をとる子たち」の存在だ。
 
学校が社会に出るための準備の場所だとしても、
物事には、程度があり、限度がある。 

他人がいる場所である以上、最低限のマナーや作法というものは必ず存在する。
 
公共どころか家庭レベルでの、当たり前のこと、
例えば、土足で自分の家に上がらない、みたいなことが守れない子が、登場しているのである。 


その上、他者に無意味に攻撃をする子や、他人にダメージを与える子が一定数いるので、真っ当な子ほど、ますます困惑するのである。 

一言で言って、「同世代が折り合わない、折り合えない」のが現代の子ども世代なのだ。
(ちなみに、まともな子ほど、同世代のコミュニケーションから「降りる」。諦めて、距離を置くのである) 


このような状況だから、学校における"子どもの抱えるストレス"は、とても大人が自身の世代から想像できるような、簡単なそれではない。

想像も及ばない、新しく、別次元の、ストレスなのだ。
これを想定しない大人の側の、勝手な解釈を僕は一切信じない。
 


話を戻そう。

学校は、子どもたちが無用なストレスを抱える場所になりかわってしまっている。

そのことに大人はもっと耳を傾け、真剣に自分たちを変革しなければならない。思考も、手法も。


さて。 


多くの人はこのリアルを知らないんじゃないだろうか。


(おわり)
FB投稿より

 

拙著






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本田篤嗣(Master Honda)
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。