公教育がなぜここまで甚だしく時代から外れてしまうのか/その要因
県内またはこのエリアでの公教育は、管理統制指示命令+高圧的態度、に向かってかなりその期間も長くなってきています。
この明らかなまずい条件下でも、教育関係者以外のところから声が上がらないことも、そのまずさを助長してしまっています。
地域への転入、移住を増やすようなまちの取り組みも、教育のありようがそれを阻むことにもつながるでしょう。むしろ転出する人を増やすことになりかねません。
公教育のやっていることが時代錯誤であることは、まあ疑いようのない次元なのですが、
ここでは、
「なぜここまで甚だしく時代から外れられるのか?」
について、考えてみます。
考えられる要因のひとつは、
「県及び市での、今の大人が築いている社会や組織のありようが、大きな影響を与えているのではないか?」ということです。
県外の皆さんが想像する以上に、ここは、明治新政府以降の、藩閥政治の名残りの影響を強く受けています。公的な機関については強いトップダウンの機構がいまだに強く機能しています。同様に、民間も旧態依然とした組織が多いのが現状でしょう。
特に公は、なるほど、恐ろしいところです。
公機関に行く際には、権力の上位者に同伴してもらわないと、恐ろしいほどに「粗雑」に扱われる、という経験のある方は、とても多いはずです。
僕なんかは、状況を知るために意図的に、一定の役職を持つ方に同伴してもらうパターンと、そうでないパターン、マーケティング的にいうABテストを度々行ってきた(笑)ので、実証済みです。
権力者がいなところでの、粗雑な扱われ方は、本当に悲惨です。
このことでわかるのは、人として対等に付き合うということができなくなっている方が多いということでしょう。
話を戻します。
これほどに強いトップダウンの旧態依然とした組織や機関で満たされていることが、公教育においても、時代錯誤な取り組みを生んでしまう要因の一つだと考えられます。
考えてみてください。
自分たち自身の組織運営が、強いトップダウンと実力や能力を無視する年功序列によって行われているのに、
子どもたちに対して、「主体性」「思考力」「想像力」「創造力」「自立」「論理的思考」「協調性」といったテーマでの教育を提供することができるでしょうか?
もしできるとしても、これは相当困難になるはずです。
何せ、自分たちの信じているもの、自分たちの主義と異なることを、子どもたちに教えようとするわけですから、なかなか常人にできることではありません。
文科省(国)がどれほど上から通達をしようが、現場は必ずしも従うわけではありませんし、法令的にも、国の権限は実は弱い(狭い)のも現実です。
その点でも、その地方地域のあり方が、取り組みの差異を生みます。
教育は元来、社会で生きる子どもたちにその力を与えるもの、養うものです。
それが社会と大きな齟齬を生むほどに時代錯誤であることは、社会や共同体の一員として放置しておいてよい問題ではありません。
自分たちの地方における、「組織や機関のあり方」、そこにある「価値観」をバージョンアップ(又は再インストール)する必要があるはずです。
そろそろ本気で子どもたちを、今の場所から救い、良い形で導かなければならないと改めて感じています。
(おわり)
本田篤嗣(Master Honda)プロフィール
社会起業家。作家、コーチングコーチ、アーティスト、アレンジャー。二児の父。
2005-2014年、県内外で10店舗以上の学習塾を経営(県内最大級の規模へ)後、譲渡。1年目で100人、2年目で200人、3年目で300人の生徒を集める。全国を代表する学習塾、日本を代表する講師(兼オーナー経営者)となる。県内を中心に数千人以上の子どもたちを直接指導。その指導は全国紙やTVなどでも多数取り上げられている。著書に『18歳からの「夢を実現する人」のルール』(総合法令出版)ほか。
2021年現在は、NPOまなびデザインラボ理事長、受験指導まなラボスクール、フリースクールまなポート、通信制高校校舎などを運営し、社会起業家として活躍の場を広げている。