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対処できない新世代、間違えたものが平然と行われてしまう現状

現場での子どもたちの特性を、分析的に見つめること。

これが非常に大切なのです。


当然のことながら、従来の、一斉・集団形式ではここに限界があります。

現代の子たちの特性を知ることなしに、今、子どもたちの学習を見ることは不可能に近い。

「いやいや、自分はやれてるよ」と言う方がいるとすれば、
形だけ成立しているだけで、子どもたちの学習を「みる」ことができてない、つまるところ、独りよがりというやつです。

こればかりは、昔からある、教師職ならではの落とし穴です。
そういう穴に落ちやすい仕事なのです。落ちやすいというより、必然、というべきでしょうか。


たちが悪いのは、いまだに、学校・塾・親御さんの意識が変わっていないこと。
そう、昭和から。(正確には明治から、かも)
時代錯誤の正解を正解だと信じ、「こうでなければならぬ」と平然と言ってしまう人がなんと多いことか。


ともかくこれでは子どもが不幸なんです。


いよいよと言えるでしょう、高校世代にも新たな変化した世代が登場してきましたから、
高校の学習の現場も、恐ろしく不可解な対応(授業やその手法)が見られるようになりました。

これで、小中高が一塊りとなって悲惨な状況を迎えてしまっています。

先生の気持ちはよくわかります。
「今の子たちは一体どうなっているんだ」と、現場での声が聞こえてきそうです。

今すべきことは、子どもたちの様子をじっくりと見つめ、(できれば、小中の先生から情報や見立てを聞き)、高校段階で何ができるのか、その方向性や手法を、「新しく持ち変える」こと。


過去の手法は、まるで通じません。

(そして、そこに踏み出しているから、僕らスクールは、成立をしていると言っても過言ではないのです。)


残念ながら、今起こっていることは、
過去の延長の手法を強めて、力技で押し切ろうとする(出来ませんよ)、

または、

意味不明な技を独りよがりで行う、という2択でしょうか。


いずれにせよ、不幸なのは子どもたちです。


理解も読解も何も力がついていかない事態となっています。

形上、点数だけをとって、なんとか、分かったような状態に持ち込む、みたいなことばかりになっているのです。


これだけ各所、間違えると、なぜか、明らかにおかしな手法が正しいものとされ、それを鵜呑みにする人たちまで出てくる。

これは、現代日本の、政治やメディアに関する国民の振る舞い、にも似たところがあるはずです。
そこにいるのは、同じ、人、ですから。
それが教育や学習の場面でも起こっている、と考えてもらえれば、理解できる方もおられるでしょう。

正解がわからない、見えにくい時代だからこそ、無駄にブレることなく、軸を、柱を、立てていかなければなりませんね。



ここで書いていることが分かる方、わかりたい方、何か引っかかる、と思える方は、共に、シェアしていきましょう。


配信や記事はもちろん、お話ができる場が持てればと思います。


(おわり)






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本田篤嗣(Master Honda)
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。