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【教育と消費はなぜ別物なのか】「学校について考えよう6」 (全6回/最終話)
教育連載「勉強が未来を創る」第14回より 転載
「学校について考えよう6」
社会との関わり方のスタートが消費行動となっている。
それが現代の子どもたちの共同体の一員としての立ち上がり方であると書いてきました。
消費が学びに向かないことは「時間」について考えてみても明らかです。
今回は、学びと消費の中での「時間」に注目してみます。
人が学ぶ際には必ず「時間」というものが存在しています。
なぜなら、学ぶことは変化することだからです。
たとえば、今日あなたが何かを学んだら、その瞬間からあなたの考え方や行動が変わるはずです。
学ぶ前と学んだ後は別のあなたであると言ってもいいでしょう。
学ぶことは変わることなのです。
ですからそこには必ず「時間」の流れが存在していることになります。
ところが消費はそうではありません。
たとえば、あなたが買い物をするとしましょう。
商品を買う前と商品を買った後のあなたは間違いなく同じあなたです。商品を買う前と買った後で、あなたが別人になってしまっては困ります。
消費には時間が存在しないのです。
あるとしてもできるだけ短い方がいい。
たとえば、売り手の側は、在庫を抱えないようにできる限り早く商品を売ろうとします。
時間は短い方がいい。
このように、消費には時間の流れを無視しようとする、もしくはできる限り短くしようという指向性があるのです。
学ぶことが変化することであると知れば、消費主体として学びに参加することが無意味であることがわかります。
しかし、多くの子たちが消費主体として学校で学んでいます。
学校の授業が崩壊するのは当然かもしれません。
学ぶとは変わること。
学びは、学ぶ前のあなたと学んだ後のあなたを別人にするものです。
無時間を基本とする消費主体として学びに参加したところで、自分を変えることはできません。むしろ変わることを拒むのが消費なのですから。
学びの本質に立ち返る時、私たちはどのように学びと接するべきかがはっきりと見えてくるのです。
(終わり)
学校について考えよう 全六話。
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