【依存について今、語ろう】
【依存について今、語ろう】
誰かにやってもらえれば良い、誰かが言うそれを盲目的に信じる、
そもそも教えてらわないとできない。
時には手取り足取り、自分でやるというよりは誰かにやってもらう。
これが依存の姿です。
思考力を養わない、だけではなく、そもそも思考することをやめてしまう、そういう大人が増えています。
いえ、これは調べることが不可能なので難しいところなのですが、増えたというよりも、時代の流れによって、もともとそうであったことが明らかになってきた、という方が正確かもしれません。
いずれにせよ、多くの大人が依存的に生きてしまっているのです。
これが難しいのは、多くの場合、無自覚であるということ。
あるいは、自覚していたとしても、それで良いと開き直ってしまうところでしょう。何せ、依存は楽、ですからね。
もちろん、ここで書いているくらいですから、依存で生きるということは、非常にまずいことの代表的なものであることは間違いありません。
何より、自分の生きる道というのは自分だけの道。
それを誰かに操作されているというのでは、自分の道とは言えないことになってしまいます。
依存で生きてしまうと、自分が望まない方向へ導かれてしまう危険性を秘めています。
また、いざという時、自分ではどうすることもできない、なんてこともあるでしょう。
浮き沈みも生き死にも、人に操作されてしまう。
果たしてその人生が幸せなのかどうか。
しっかりと考えるべきでしょう。
危険なことはまだあります。
それは、意識して、他人を依存させて、それを利用しようと考えるやからが、一定数いること、です。
ビジネスにおいてはより顕著です。何より、依存しやすい人をターゲットにすると、扱いやすいからです。
想像するのは簡単です。
何かを売り付けたい、たとえ買い手の側には必要のないもの、サービスであっても、売る側は売って儲けることが全てですから、相手のことなど知ったことではありません。
依存体質の強い人(この場合は消費側)は、依存を利用する売り手に、簡単に騙されてしまいます。
この先のマーケティングは、よりこの傾向を増すはずです。
インターネット、アルゴリズム、そしてAIと現代のツールは、それとわからずに巧みにマーケティングを仕掛けてきます。人よりも賢く立ち回ることが可能なのです。
あなたが、仕掛けられていると気づくことさえできないかもしれません。
しかし、思考をやめ、依存で生きてしまっている人に、抗う手はありません。
だから、我々に残された手段は、考え続けることをやめないこと、になるのです。
翻って。
果たして今、あなたの身の回りにあるものの中に、
ちゃんとあなたに思考することを促すサービスや場所が、
どれほどあるでしょうか?
考えてみてください。
現代の子どもたちは生まれながらにして、オンラインとマーケティングの中に放り込まれています。
親がメールやラインを使っているのをみたことがないなんて子は多分いませんよね?Youtubeを知らない子は、やはりいないですよね?
生まれた時から、彼ら彼女らは、そう、赤子の時から、すでにオンラインとマーケティングの中にどっぷりと使っています。
僕の話で恐縮ですが、今1歳の息子が生まれた際の面会時に、看護師の方がどうぞ写真撮ってくださいと促してくれました。
え、写真撮影タイムくれるの?、です。
(僕は数枚だけ撮ってあっさり終えたので、もう良いんですか?ってびっくりされてましたが)
生まれた途端、僕の撮った息子の写真は、親や身内などに送信され、シェアされるわけです。
わずかこれだけでも、どっぷりと今の資本主義、市場経済、特にオンラインにつながっているそれ、に浸かっていることがわかります。
現代のビジネスにおけるマーケティングは、私たち一般人の目に見えない形で巧みに忍び込んでくるものになっています。
依存に無自覚な人、思考習慣のない人には、気付くことはまず不可能になります。
むしろ、それに依存してしまうことになるでしょう。
私たちはプラットフォーマーの用意したプラットフォームに、
すでにどっぷりと浸かっています。これからもそれは続きます。
教育が今、この依存ではなく自立して生きる大人、思考できる大人へと育てていく、機能を失い始めています。
いえ、もう失ってから何年も経っています。
むしろ今、教育現場は、テストや試験の点数、偏差値、内申点など、等価交換で取引をしてしまう事態となっています。
学校側は強いトップダウンと旧態依然とした体質や古い価値観に留まり続けながら、単に子どもたちと取引をして、点数を取る、そのために宿題をし、そのために行儀よくお利口さんに振る舞うことを強いる機関へと変貌しています。いわゆる、等価交換です。多くの場合、親子と学校側が等価交換をする場所になってしまっているのです。
先生が多忙すぎることや、本来おまけであるはずの部活に囚われてしまうこと、取引をしないと授業が成り立たなくなっていること、など、要因は多数あります。
(これは長くなりすぎるのでここでは書きません)
思考を促すどころか、思考を止めることを促す。
教育は今、難しい局面を迎えているのです。
さて、これで果たして、
依存することのない、自立した大人を育てることができるのか。
想像できるでしょうか。
点数をとりさえすれば良い、偏差値を上げさえすれば良い、
この思想が強まることが、さらなる依存を生みます。
現場で見えているのは、
(これはまだ全国的にも誰も書いていないので書いておきますが)、
子育てが、「自立」や「成長」に向かわない親御さんが増えてきたということです。
ひと世代前の方には想像すらできないでしょう。
成長も自立も望まない、ただ誰かがやってくれさえすればいい、助けてくれさえすればいい、教えてもらわないとできないからただただ教えてもらいたい、そういう子育て世代に変わってきているのです。
大事なことなので、全国初の記述として、はっきりと書いておきます。
(実際には、すでに2年程度前から、うちの先生方には伝えています)
成長も自立も目指さない。誰かに依存して生きていく。
想像だにしない世界がやってきます。
さて、私たちは今、何をすべきでしょうか、
また、何ができるでしょうか。
僕は変わらず、目の前の子たちと地道に向き合って、共に日々を歩んでいます。僅かながらできることを。
(おわり)