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先生は社会性に乏しいは本当か?/子どもたちの敏感さ

社会性やコミュニケーションが、ほぼ壊滅的な、そんな先生の話を多く聞く。

子どもたちから。

僕や僕のチームの先生たちは、ちょっと、大人の中では特殊な立ち位置で、
それゆえ、子どもたちは、わりと素の言葉で、感じたこと、思ったこと、考えたことを、話してくれる。


とにもかくにも、ぼくらは、子どもたちから、日々、そう、毎日のように、
子どもたちから、子どもたちの言葉そのものを聞く。


最近気にしているのは、高校の先生に関する話。

予想もしていたし、予測予言的に記事でも書いてきたが、高校の先生の、質、の問題が、顕著になり始めている。

理由は簡単で、社会が変わり、親も子どもたちもその世代が変わってきたからだ。

これまで良しとされてきたこと、これまでなら良かったこと、スルーされてきたこと、許されてきたこと、それらが、今、時代の大きな変革期を迎えて、良しとされなくなったのだ。

歴史的にみればそれは当たり前のこと。それが時代が変わるということだからだ。


そして今こうして、社会性やコミュニケーションがほぼ壊滅的な、
そんな先生の話を多く聞くに至る。


ここには地方や地域の特徴もあるだろうけれども、
いかんせんここは、全国的にも、遅れをとりすぎてしまっているところ。


子どもたちはその(大人の側の)遅れに敏感なのだ。


今まさに、
社会から立ち遅れた大人の姿を目にして、衝撃を受け、
なんだこれは、と、言葉にしてくれているのである。


これまで書いてきたとおり、特に遅れている高校現場(なぜ遅れているかは他の記事を参照あれ)が、いよいよ、その姿を露わにし始めたのだ。


もちろん、高校だけじゃないのだけれども。


大人はちゃんと学んで、

学んで、

学ばなければならない。


そういう時が来ている。

(おわり)



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本田篤嗣(Master Honda)
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。