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変わらない、学ばない「子どもたち」と「大人」 / 今なぜ若者が苦しんでいるのか

現代の子どもたちの新たな特性、いやむしろ傾向と言えばいいだろうか、その一つは、
「変わらないこと」「学ばないこと」だ。

ある時期から、学ぶことのできない子どもたちが増加し、それが標準化してきた。

これについては、すでに何度も、記事や動画では言及してきている。

https://www.youtube.com/live/sqwXYBcXxL0?feature=share

(リンク先は2018年の動画)


未来の予測的なことも度々、言及してきたが、それらはものの見事に現実となっている。当
たり前だが、僕からすれば、子どもたちの姿を見れば、これは予測でもなんでもなく、すでに起こっている事象でしかない。
予測のように見えても、現実には、子ども世代のところで起こっていることを分析しお伝えしているだけなのだ。



さて、では今回は何を言いたいのか。

学ぶことのできない子たちがどんどん成長し、社会に出始めている。
社会人となった彼ら彼女らは、まさに世代の特徴を発揮する。

若者が、なんだかうまく職場で働けない、なぜか上司や先輩の言うことに耳を貸さない、わかった風である(わかってます、大丈夫です、と発言する)のは、すでに教育課程で目と耳をすませば、わかり切っていることなのだ。
すでにその現象が至るところで起こっている。

最近気にしている、道徳観、倫理観の欠如もまた、同様である。
(が、ややこしくなるのでここでは言及を避ける)


さて、この問題とそこにある課題について、私たちに何ができるのか?

たとえば、企業や職場サイドでは、当然、受け入れる体制を整えるというのは必須だろうと思われる。そして、企業は今、全国的に、手を替え品を替え、奮闘している段階であろう。

ところが、この問いの根元はどこにあるのかというと、社会に出てからそのことが生じている、ということではないところにある。

僕が子どもたちの現場から発信している通り、
ここで述べる特性は、「子ども時代に形作られている」のである。

ということは、根源的な対応策は、教育現場でなされるべきだ、というのが当然の返答となる。


教育現場では今、「学ぶことのできない子どもたち」を量産している。
つまりそういうことだ。


教育の現場こそが、その現実に正面から向き合い、「学ぶことのできる子」を育てていく必要があるのである。


"なんだかよくわからない、だって子どもたちは学校で勉強して学んでいるのでは?"と思われる方は、僕のこれまでの記事や動画を是非ご覧いただきたい。



現実として起こっている、目で見てわかる現象すら、見て見ぬ振りをして、もしくは、気づきもしないことによって、
この問題は放置されたままなのだ。



学ぶことは、知ることであり、知ることは変わることである。

そういう姿勢や態度を養っていけることが、今、現場で問われていることなのだと感じている。

指示命令強制のもとで、過度に課される宿題や課題、黙って座っておけば済む授業、自分の意志も思考も要求されない勉学が、それらを大きく阻み、弊害(マイナスダメージ)にすらなっていることに、自覚的になる必要がある。


そして、それをずっと続けている地方自治体は、やがて取れる手を失うだろう。

すでにまずい状況だから、一刻も早く、大人の側が、やっていることの過ちに気づき、価値観をひっくり返すくらいの転身で、教育にあたらねばなるまい。


この話が理解できないと、まちの存続は危うい。



さらに、もう一点。大事なことがある。


これも近年書いていることがだが、僕の予測を超えてきた事柄がある。

それは、大人世代の変化だ。

ここで書いている「学ばないこと」「変わらないこと」は、実は、大人の中でも起こっている。

想像以上に、今のテクノロジーと社会のあり方に、大人であっても大きな影響を受けるのだ。


子ども達のみならず、世代の異なる大人であっても、「変わることができない」「学ぶことができない」のである。

状況はより深刻だと言える。

なぜなら、今の子どもを育てるのは、まさに今の子育て世代の「親」であるからだ。


昔はよく、"子育てを通じて大人が成長する"と言われたものだ。
ところが、現代では、実際のところ、もはやそういう物言いや態度は失われているのである。

これは、実際に、現場に入る僕が、体験的に、現象として見ていることだ。

例えば、僕は、子どもたちの先生という立場で直接勉強を教えている。

以前であれば、親もまた、僕から何かを学びとろうという姿勢が強かった。
先生のこういう声のかけ方、導き方、考え方、振る舞い方、そういうものを、親御さんが学ぶというのは、ごく「普通に」行われていたことだ。

残念ながら、もうそういうスタイルは、ほとんど見られなくなった。
(おそらくうちはちょっと特別な感じなので、そういう意味で学ぶ姿勢を持つ親御さんが多い。しかしこれはうちならではの、例外的なものである)


お金を払っているから、これをしてくれて当たり前。
親は、何かを、自分を、変える、学ぶ、知る、そういう動作を、考えもしない、というのが、市場では普通の振る舞いになっているのだ。
(これについては、消費と学びについて知る必要がある。改めて別に、記事を貼る予定)


子どもたちの新たな特性と、同時に起こる、大人世代の変容。

いずれも同じ方向に向かっている。


長くなった。


やるべきことは見えている。必要なことも。

教育の現場は、働き方や教師不足など、大量の課題を抱えている現状があるとは言え、正直、自分たちのシステムの不具合に忙殺されている余裕などない。

そういう時をむかえている。


改めて書いておく。

(おわり)




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