熱中小学校学び改革計画①~学び続ける事~
こんにちは、高畠熱中小学校事務局の長谷川です。今回も高畠熱中小学校事務局ブログという事で、「熱中小学校学び改革計画」と称して今後高畠熱中小学校でみなさんと一緒に実践していきたいと考えている事をご紹介させていただきます。
学び続ける人達の世界
熱中小学校では「学び続ける人達の世界」を大事にしています。私自身熱中小学校のスタッフとして実際に大人の学び舎で活動を続ける事で新しい展開が生まれてくる事を目の当たりにしたし、里山に暮らしながらいつも新しい人と出会い、新しい発想に思いめぐらせられるのはとても貴重な場だと感じています。そこでキーワードとなるのは「学び続ける」という言葉、今回はこのキーワードを中心に今後の取り組みについての展望を書いていきます。
"学び続ける"事を大切にしたい
今すぐ必要な知識を学ぶ事も大事ですが、今はどんな価値や意義があるかもないかもわからない未知の物事や組み合わせに対してどう捉えるか、まずはなるべく生身の感覚で個々が感じ取っていただく事が大事だろうと考えています。ただ「学ぶ」だけでは目先の事に左右されてしまいがちなので、「学び続ける」事で幅広く自身の世界が広がるように思います。
改めてそう考えるとこれまで熱中小学校が取り組んで来た「様々な分野で活躍される先生達との双方向な授業」に実はエッセンスが入っている事に気が付きます。様々な分野で実際に活躍される先生方独自の見解や考察、唯一無二の経験談を聞く事、そしてその中から自分自身が何かを感じ取ったのをゆっくりと理解していく事。学び続ける事で少しずつ見えてくる世界があって、それら大事にすることは未来に希望を見出す事でもあるとそんな風に考えています。
高畠熱中小学校の授業について補足
半年間1クールの取り組みで16コマの講義が行われます。(半年間で1~2万円)講義は熱中小学校の取り組みに賛同いただいたボランティア講師の皆さまに実施いただいており、様々な想いを胸に集まる方々との双方向型で白熱の授業が行われています。最近はオンラインも併用してネットからでも双方向な授業に出来るようアップデートを重ねています。
授業の様子、オンラインでも参加しやすく工夫を重ねています。
学び続ける場の意義
そう考えた時「学び続ける場」が身近にあることや「学び続けている人」が身近にいること自体が実はとても価値があると感じており、どうしたらもっとそれが当たり前になるだろうかとそんな風に考えている所です。学び続けるという事が多様性を受け入れる事になり、文化の豊かさにもつながります。日々新たな発明や発見が実装されどんどん複雑怪奇になっていく社会において、何が正解で何が不正解か何を追い求めていくべきか、非常に難しくなっているように思います。だからこそ学び続ける事を止めてしまった時、あれおかしいなと感じた時でも軌道修正できなくなってしまうのではないでしょうか。ですのでより多くの方、特に意思決定をする機会の多い人には、この「学び続ける場」への参画を強くおすすめしたいのですが、中々そうも進んでいかないのが現状です。
必要な人材やノウハウだけあればいいという発想
通信技術や交通インフラが高度に発展した結果、適宜必要な人材やノウハウだけアクセスするという発想が先行します。適宜必要な人材やノウハウだけ集めるというのはつまり、すぐに自分の儲けに繋がるかとか、目先のトラブルに対処できるとか、自分のやりたい事の実現の役に立つ人や知識を集めるというような発想になります。たしかに今後自分の役に立つかも立たないかもわからない人と繋がったりや、むしろ意思決定を迷わせるかもしれない知恵など、自分で獲得する必要性を感じないというのがやはり個人個人の持つ感覚だろうとも思います。ただしそういう発想(機会主義)ばかりが蔓延った結果、少しずつ社会全体が窮屈になっていく様に感じます。
引用元:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/032600542/
一つの価値観で線を引くことが社会に広がる格差の根源にも感じます。
学び続ける場は大事だが・・・
前述の通り大人の学び舎を通じて個人個人には実は色んな気づきや出会いがあるように思います。ただしそれらを可視化するのは中々難しいし、気づきや出会いは個々人に得られるものなので解釈も人それぞれで中々伝わりにくいです。実際のところ私も熱中小学校スタッフとして、学び続ける場に関わらなければこんな風には思わなかっただろうし、誘われた講演会やセミナーやイベントに全て参加できるかと言えばそんなことはないです。そんなところから熱中小学校は誰のための何のための何を学ぶ場なのか改めてよく考えねばならないと思い立ち、今回の「学び改革計画」へと繋がります。
誰のための学びなのだろう
地域にせよ都市にせよ企業にせよ民間団体にせよ、何かしらの学ぶ機能を持っている事がほとんどでしょう。一方で知識や情報やノウハウ自体を専門に扱い売買する企業や団体もあります。高畠熱中小学校は町の支援を受けながら、生徒の方の授業料で運営させていただいています。その背景を考えると広く、広く一般のために学び提供する組織であり、高畠町の学びの機能の一部でもあります。また交通費や宿泊費のみで講義いただいているボランティア講師の皆さまのバックアップというのがベースにあります。
そんな前提ですので、近隣の方のために無料のセミナーをやるという訳ではなく、知識やスキルやノウハウを特定の企業などに売る団体という訳でもありません。中途半端と言えば中途半端で、どこかに振りきってしまった方が運営的にはシンプルになるかもしれませんが、この中途半端さが故に参加する方の多様性も高く、これがユニークな点ともいえます。
多様な価値観を抱擁した学びの場であるが故に、それらを繋ぐストーリーを創るには中々骨が折れるのですが、日々あれこれと考えてあの手この手で伝えようと頑張っています。
「学んで何か役に立つの?」というよくある質問
この質問こそがやはり「学び続ける」事が重要ではないだろうかという事をよく考えるようになったきっかけです。どんな役に立っているか人それぞれに伝わりそうな事例を挙げて説明する事は出来るけど、あくまで学び続ける場があったから生まれて来たことだろうというのが本音です。学んだ事がすぐに目に見える形で活かされるというのは本当に氷山の一角のように思います。
よく例示するお話としては、高畠の図書館や子育て遊戯場もっくるの設計は熱中小学校の講師として若杉浩一先生に来ていただいたご縁から始まりましたし、熱中小学校2階にあるオフィススペースはほぼ満室状態ですが、生徒や先生として熱中小学校に関わった方を中心に入居いただいています。また最近になって地域からのオンラインでの配信の依頼なんかが増えました。それらは元をたどればその大半が、授業を通じて熱い人達が出会った事が始まりです。またオンラインの進展についても授業でe-learningなどを早くから取り入れて実施してきた事が幸いして今に至ります。特にオンラインの話なんかは熱中小学校が始まった当初世の中が今のようになるなんてわかりませんでしたし、あくまで"結果的に"役に立ったと感じています。こういった事はやはり「学び続ける場」というのを大事にしてきた結果生まれて来たことだろうと思います。実績として一部の事例を紹介は出来ますが、ユニークな事例や有用そうな事例が生まれる一番のポイントはやはり「学び続ける場の"熱"」だとそう感じています。
旧高畠第四中学校体育館をリノベーションした屋内遊戯場「もっくる」
一方でやはり「役に立つ学び」も重要
前述の通り「学び続ける場」は重要でもっと広がっていったらいいと願う所だけれど、まだまだその価値を示せていないし、私自身も整理がついていないと感じるところで、やはり工夫の余地があると考えています。
地方創生の取り組みでもありますので、なるべく身近な方にとって有意義な学びの場としていきたいと考えていますが、近隣の方の参加率が特別高いわけでは無いです。近隣の方にどうですかとおススメして断られるパターンとしては、「凄い先生方ばかりで敷居が高そう」、「お金を支払ってまで参加する意義を感じない」、「週末は割と忙しい」、「よくわからないけど自分にとって楽しい場所とは感じない」、大体こんな感じでしょうか。意外とこういった所に根源的な改善ポイントがあるように思います。
そんな意見を踏まえながら、まずはやはりいろんなきっかけを作る必要があって、自分に直接の利益がある事や、自分のやりたい事を実現出来る事、自身の今後のキャリアに繋がる事、などのような「役に立つ学び」を提供するのは「学び続ける世界」への導入として一番わかりやすいきっかけだろうと考えています。また「役に立つ学び」は最初から学びがどう機能するかデザインされているので成功や失敗の成果や実績として評価しやすくそれを伝えやすいというメリットもあります。あの手この手で「役に立つ学び」を提供して”学びに対してのイメージを変える”これも学び改革の要素の一つに考えています。あくまで”学び続ける事”を大切にするのは忘れずにですが。
大人の学びと義務教育的発想
さて熱中小学校は小学校を舞台に大人の学び舎として開いている訳ですが、改めて義務教育について考えてみます。
大別すると
1,国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成
2,国民の教育を受ける権利の最小限の社会的保障
この2つに要点がまとめられています。
人生100年時代なんて言葉がポピュラーになってきましたが、大きく変化する社会において小,中,高校で学んだことだけで十分でしょうか。また大人でも答えの出ない問題をまだ実行力の無い子供達だけに担わせるべきなのでしょうか。一部の恵まれた人間や優秀な人間にスポットライトを当てて、臭いものには蓋をするという社会は実は何となく望まれて生まれた相互関係で長らく続いてきた事かもしれません。しかしそれらがもう明らかになってこのままでは良くないと感じ取れるのだから、もっと考え抜いてより納得の行く未来を創れないかとそんな風に思っています。
上の世代が活躍する事で次の世代が希望を見出す
高畠熱中小学校でも最高齢のプログラマーとして活躍される、若宮正子さんの講義をいただきました。実際にアプリ開発をしている事されている事も驚きですが、80歳を過ぎても活き活きと社会と繋がり、好奇心旺盛に活躍する姿は私自身もとても希望を感じました。特に年齢が近いほどよりその感覚は大きいのではないかと思ったところでした。
そんな感覚を持ちながら自分より少し上の世代が楽しく活き活きと活躍し、その姿を下の世代に見せる事が希望を見出す事に繋がるだろうと考えています。なにげないことですが、自分より上の年代やまた同年代でも「若い子に頑張って欲しい」とか「もっとよく考えてよ」なんてそんな言葉が飛び交うのを聞くと結構悲しいし凄く無責任に聞こえます。安易に「学生の力」みたいな発想に頼ろうとするのも似た感覚があります。
2019年6月、若宮先生を囲んで授業後の茶話会の様子
もう一歩進んで多世代共創社会を
気まぐれな言葉や昔話を伝えるだけでは重荷になるだけですが、背中で語るだけでも不十分かもしれません。なので個人的に目指すところとしては「一緒に頑張ろうよ」と、そんな多世代が協力しあえる多世代共創型社会ではないかとそんな風に思っています。熱中小学校をやっていて有識者の方にそんな言葉をかけられた時はいつもとても嬉しく思います。
そのためにはある程度は「大人の義務教育」的発想が必要になると思います。義務教育が仰々しいのであれば、よく使われる言葉としては社会教育や生涯教育という事になるかもしれません。いずれにせよ「”これからの”社会の形成者として共通に求められる最低限な資質の形成」、「”これからの”教育を受ける権利の最小限の社会保障」の形を大人達こそが作っていくべきではないでしょうか。そうした場はかなり少ないのが現状に思います。若い力を引き出そうとするのは当然重要ですが、年齢に関わらず力を発揮してもらう多世代共創型の社会も並行して作っていくのが良いと考えています。
「学ぶ」と「学び続ける」の違い
なぜ学ぶかと考えた時多くの理由があると思いますが、大きく2つ大別されるのではないかと考えてみました。
①学び自体が楽しい
②学びは何かしらの役に立つから
そう考えた時、「学び続ける」と「学ぶ」という言葉のニュアンスには違いがあります。「学ぶ」という言葉を用いた時向かうべき先や目的がはっきりしている場合を指す事が多いように思いますが、「学び続ける」という言葉を用いると学び自体発端にそこから新しい世界へ踏み出そうという発想に変わってくるように感じます。
「続ける」という言葉を考える
「持続可能」これは最近ますます頻出するキーワードですが、「続ける」という事には前提として「持続可能」でなくてはなりませんからおのずとその意味がこもってきます。それだけでも「学び続ける」という事には現代において意義があるのかもしれません。生まれてから私たちは死ぬまでは生き続けるわけですが、生き死にの循環を繋ぎ続ける事もまた生き物としての共通善として持っているように思います。しかし生き続ける上で、何を"続け"なければいけないのでしょうか。
学び続ける事、考え続ける事、作り続ける事、挑戦し続ける事、変化し続ける事、出会い続ける事、愛し続ける事、繋がり続ける事、etc.。続けるべきと思う事は人それぞれですが、明日生きる為だけなら不必要かもしれないけれど、個人個人が”続けるべき”と感じる事を"学び続ける"事をきっかけに捉えなおしていく事、この思索が行きつく先のゴールは「学び続ける事」ではなくなっているかもしれませんが、今はそのはじまりとして「学び続ける」という事を軸に考えていきたいと思います。因みに対義語は「止める」ですが、何かを続けるために何かを止めるという事も大事なキーワードかもしれません。
学び続ける事、広がりと深みを感じる事
熱中小学校の授業は本当に多種多様経歴や経験を持つ先生が多岐にわたる切り口でお話をしてくれますが、これは聞く人によっても受け止め方が全然異なるかと思います。論理的な方、感情的な方、学術的なお話、経営的な話、すぐに役立ちそうなお話、まだよく理解できないお話。ほんのちょっと例示してみましたが、得手不得手が人それぞれ異なるように思います。
そして実際の所、それぞれに直感的な「合う、合わない」というのもあるように思います。自分が「面白い!」と思っていても、周りが全然しっくり来ていなさそうという事もあるでしょう。ただしこの違いを感じ取る事が”学び続ける”上でとても大切に感じます。
自分とは異なる価値観だけれど、何かに熱中して取り組んでいる姿を見て、自分自身も感化されてチャレンジしてみる。また少なくとも自分とは異なる発想の元に生きている人がいて、自分の知らない世界を創り上げているという想像が出来る事のはとても意義があります。中々今すぐ理解できない事でも、学び続ける事で徐々に自分と繋がる事を感じられ楽しくなってきます。
例えば、文字の読み書きを覚えた時、九九の計算を覚えた時、日本地図を覚えた時、最初は何の役に立つのかわからないと思いますが、使えるようになると楽しく、そしていつの間にか日常でなくてはならない概念になっています。敢えて思い出さないと忘れているかと思いますが、人それぞれにそういった原体験は持っているはずです。大人になってあらためて自身にとって理解不能な事柄をどうにかこうにか自分なりの方法で理解しようとする事で、大人になって知った気になっていた世界は、実はほんの一部の限られた事でしかなく、広さと深さを感じる事が出来ます。
ワクワクの前には今の自分では理解できない事象も沢山あります、そしてその理解には一人では中々たどり着けません。そこで熱中小学校ではそんな世界へ旅立つお手伝いをさせていただき、多くの方に”学び続ける”世界へ是非踏み込んでいってもらうそんな場でありたいと考えています。「どんなことにも学びがある」そんな風に物事を捉えられると、突然降ってきた苦手な出来事や解決が困難に思える悩みでも、割と楽しく良い方向に捉えなおせるかもしれません。
ハイブリッド授業の様子、オンライン配信の技術が向上する一方で、教室にて一緒に学ぶという事の意義が改めて見えてきました。
この広がりと深みの先に・・・
少し壮大になりながらも今回は、「学び続ける事」について書かせていただきましたが、改めて今私自身が感じている事を言葉にすると「学び続ける事の広がりと深みの先に希望があるかもしれない」という事を考えています。
なんとなくまだぼんやりしていますが、取り組みの考察と皆さんとの実践を通じてより具体的にしていきたいと考えています。そんなことを考えながら、次からは学び改革計画の具体的な内容の話に進んでいきたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございます。
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