個性あるスパイスから生まれる、一期一会の一皿から物語が始まる。
金沢の食と食文化の魅力は、寿司や海鮮丼などの魚料理にしかない、わけではない。実はカレーの文化も盛んなのをご存じだろうか。有名なのは濃厚なルーが特徴の金沢カレーだが、今回は僕が金沢カレーと同じくらい好きなとあるインドカレー店の話をしようと思う。取材をしに行った内容を初公開だ。
ミシュランガイド北陸2021に掲載された、金沢の大人気インド料理店「アシルワード」に密着して、普段は見えない裏話をオーナーの千葉さんから直接聞いてきた。インタビューをしながらよく伝わったのは、日本一美味しいインドカレーへの情熱だった。
店をオープンするまではインド料理にとの関わりが全くなかったオーナーの千葉さんはただものではない!
都内の出版社で雑誌『週刊サッカーダイジェスト』の編集に11年携わり、そこからなんと飲食店の知識・経験がゼロで不安な状態の中で挑戦しながらスタートした千葉さん。
2012年のオープンから12年が経った今では、満席の日が続くのは珍しくない。行列になる日もある。しかし、オープン当初は今とは全く違う状況だったそうだ。
当時から現在までずっと厨房を仕切っているインド人料理長、プロモジ・シェフのおかげで、料理の美味しさは基本的に今と変わらなかったものの、最初の1、2年間は特に夜の営業が全然ダメで、来店客が5人にも満たない日も多かったという。
当時のそんなエピソードを聞いてみると、今のアシルワードはまるで別のお店に感じてしまう。
いや、嘘のように聞こえる。
前述のとおり、完全に異業種からの転身で、しかも飲食業の経験がゼロだった千葉さんは、とにかく地道な努力を続けた。
勉強しながら前向きに考えて、行動がすぐ形にならない中で、自信のあるメニューは揃っていてもお客さんが増えない。今とそれほど変わらない美味しい料理を出していても、お客さんが少なかったことを思い出しながら、千葉さんは当時のことをさらにこんなふうに振り返る。
では、そんな苦境をどうやって乗り越えたのか?千葉さんは続けてすごくシンプルな話をしてくれた。
と、それを聞いて、まさしくそう!僕は最近、ほぼ毎週通っているのに、会計して外に出ると今すぐにでも行きたくなる。
飲食店のオーナー、しかもインド料理店となれば、日々の具体的な行動を聞ける機会がなかなかないから、インドカレーが大好きな僕はとても気になるところ。
イタリア料理へのこだわりと似ている部分もあるかもしれない。
こだわりがある上で個性が出る作り方。そこにユニークな味が生まれることに改めて気がついた。確かに、前回の記事で紹介してもらったチキンカレーのレシピでも、意外とシンプルなんだなって僕もビックリした。作り方は簡単だけど、細かいところを注意するだけで、美味しいカレーになる。
このポイントが非常に深い。現地の当たり前を知ってもらえることで料理の美味しさをより感じてもらえるだけではなく、お店との関係も深くなると思う。アシルワードのカレーはしっかり食べても胃がもたれたようなことは一度もない。インドの魔法?その秘密は何?
なるほど!よく考えたらイタリア料理の多くのレシピは、良い食材を使っているからシンプルな料理でも美味しくなる。インドと同じだ。
細かいところまで考えて行動する大切さがよくわかった。作り置きのカレーをさっと早く出して次のお客様に入れ替えるのではなく、その場で丁寧に作ることを大事にしているアシルワード。その丁寧さが料理にまで表れているし、変わったことをしているから美味しいのではなくて、変わったこと、変なことをしていないことが成功の元になるなんて、なんとも奥が深い。
初めてアシルワードに食べに行った時に、確かにこれを感じた。時間があれば料理に対して細かい説明をしてくれたし、より美味しく味わえる組み合わせのオススメを紹介してくれた。
焦ることもなく、自分らしい道が見つかるまで時間をかければきっとこうなる。
北陸新幹線の開業のおかげで関東方面の日本人だけではなく、日本を旅行中の外国人まで金沢に行きやすくなった。その結果、金沢はもちろん、北陸の魅力が日本中、世界中に伝わったのだ。
現在、夜にアシルワードへ行くと、後ろの席は英語、隣の席はイタリア語、お店に入るお客様はほとんど外国人という状況が多い。千葉さんの姿がなければ、金沢にいることが嘘のように感じるほどに。
ガネーシャ(困難や障害を取り除き福をもたらし、豊穣や知識、商業を司るインドの神様)がアシルワードを守ったのではないかと、常々感じる。インドの神様が金沢にたどり着いて、千葉さんの気持ちとインド人料理長、プロモジ・シェフの真面目さに感動したのかもしれない。
幅広い客層のお客さんに料理を適切に提案するだけでなく、世界中から訪れる異なる文化的背景のお客さんにも心地良さを提供するアシルワードでは、イタリア人のお客さんも満足気に料理を楽しんでいる景色をよく目にする。
インド料理の魅力は、知られているようで意外にそうではない場合もある。野菜や豆のカレーが豊富なことで、ベジタリアンの人を魅了しているのも、意外に知られていないことの一つだろう。
確かに。野菜や豆は体に良い栄養も摂れるし、ベジタリアン以外の人でも選ぶことも多いだろう。
現代人にとって、インド料理があれば困らない。
インド人シェフ3人、千葉さんのネーパル人の奥様、英語はもちろんインドの日常会話もできる千葉さんを見ていると、「一度お店に来てくれた人に、必ずもう一度来てもらえるようにする」という情熱が、皆からそれぞれに伝わってくる。
人気店になっても、オープン時の気持ちとお客様への想いは1ミリも変わっていない。そして、アシルワードの料理はガネーシャも喜んでいると、僕はいつも勝手に思っている。
Massi