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ミシュランガイドに掲載された大人気店に密着

個性あるスパイスから生まれる、一期一会の一皿から物語が始まる。

千葉さんとネパール人の奥さんのセーヌさん。2014年頃の一枚。

金沢の食と食文化の魅力は、寿司や海鮮丼などの魚料理にしかない、わけではない。実はカレーの文化も盛んなのをご存じだろうか。有名なのは濃厚なルーが特徴の金沢カレーだが、今回は僕が金沢カレーと同じくらい好きなとあるインドカレー店の話をしようと思う。取材をしに行った内容を初公開だ。

ミシュランガイド北陸2021に掲載された、金沢の大人気インド料理店「アシルワード」に密着して、普段は見えない裏話をオーナーの千葉さんから直接聞いてきた。インタビューをしながらよく伝わったのは、日本一美味しいインドカレーへの情熱だった。

店をオープンするまではインド料理にとの関わりが全くなかったオーナーの千葉さんはただものではない!
都内の出版社で雑誌『週刊サッカーダイジェスト』の編集に11年携わり、そこからなんと飲食店の知識・経験がゼロで不安な状態の中で挑戦しながらスタートした千葉さん。

2012年4月、オープン当日の千葉さん(当時1歳の息子さんと一緒に)。
この日に来店したお客さんが撮ってくれた記念の一枚。

2012年のオープンから12年が経った今では、満席の日が続くのは珍しくない。行列になる日もある。しかし、オープン当初は今とは全く違う状況だったそうだ。

当時から現在までずっと厨房を仕切っているインド人料理長、プロモジ・シェフのおかげで、料理の美味しさは基本的に今と変わらなかったものの、最初の1、2年間は特に夜の営業が全然ダメで、来店客が5人にも満たない日も多かったという。

オープン当時(前店舗)の店内の様子。
全24席の店で、近隣のオフィス客の来店でランチ営業ではそれなりに集客できていた一方、
オープンから数年間はディナーの営業で大苦戦が続いた。

当時のそんなエピソードを聞いてみると、今のアシルワードはまるで別のお店に感じてしまう。
いや、嘘のように聞こえる。
前述のとおり、完全に異業種からの転身で、しかも飲食業の経験がゼロだった千葉さんは、とにかく地道な努力を続けた

「最初は知っていることが何もなかったので、毎日が勉強でした。料理の美味しさには自信を持ってオープンしましたし、地域の競合店と比較しても絶対的に自店の味が優っているという自負がありました。でも、そういう評判は簡単には広がらない。当たり前ですよね、だってお客さんに来てもらえていないわけですから」

勉強しながら前向きに考えて、行動がすぐ形にならない中で、自信のあるメニューは揃っていてもお客さんが増えない。今とそれほど変わらない美味しい料理を出していても、お客さんが少なかったことを思い出しながら、千葉さんは当時のことをさらにこんなふうに振り返る。

「今になって思えば、12〜13年前の金沢ではインド料理そのものが全くと言っていいほど人気がなかったんです。特別に美味しいと思えるお店が周囲になかったことを自分ではチャンスと捉えてオープンしたんですが、そういう状況だったからこそ、当時の金沢で本物のインド料理の美味しさに触れたことのある人がまだまだ少なかったんだろうと思うんです」

では、そんな苦境をどうやって乗り越えたのか?千葉さんは続けてすごくシンプルな話をしてくれた。

「一度お店に来てくれた人に、必ずもう一度来てもらえるようにする」

と、それを聞いて、まさしくそう!僕は最近、ほぼ毎週通っているのに、会計して外に出ると今すぐにでも行きたくなる。

「とにかくその気持ちを大切にして、一人一人のお客さんと向き合ってきました。自分が素人だったからこそ感じられることもあったはずですし、店のあれこれを客目線で考えることは得意だったんです。料理が美味しい飲食店があったとして、だったらこんな接客だったらお客さんは嬉しいはずだとか、また来てもらえる可能性が高くなるはずだとか、そんなことを毎日朝から晩まで必死に考えていました」

飲食店のオーナー、しかもインド料理店となれば、日々の具体的な行動を聞ける機会がなかなかないから、インドカレーが大好きな僕はとても気になるところ。

「これはインド料理に限らずどんなジャンルの料理でも一緒だと思うのですが、多くの人が美味しいと思える料理って決してたまたま作れるものではないですよね。それが和食だったら、良質の食材で丁寧に出汁を取ることや食材への包丁の入れ方などが大切なのかなと思うのですが、インドのカレーでもそういうポイントがいくつもあるんです」

イタリア料理へのこだわりと似ている部分もあるかもしれない。

「でも、例えば玉ねぎの炒め方で言えば『とにかく時間をかけてアメ色になるまで数時間かけて炒める』とか、『そこにスパイスを数十種類入れて、さらに数時間も煮込む』とか、自分が店をオープンした当時に雑誌などのメディアでよく見聞きしていた情報ってそんなような話ばかりだったんですが、実際にはどれも嘘というか大きな間違いなんです。玉ねぎをそこまで炒めてしまえば、旨みやコクを通り越して甘味ばかりが強い状態になってしまいますし、スパイスだって種類を多く入れれば良いわけでは決してありません。自分の店(アシルワード)の基本のレシピでは、シェフたちは玉ねぎを炒める際にはアメ色にならないうちに火を止めますし、スパイスだって3〜4種類からせいぜい10種類程度もあれば十分に美味しいカレーが出来上がります」

料理長のプロモジ・シェフのオープン当時の様子。
金沢に来る前は数年間、都内のインド料理店で勤務していた。

こだわりがある上で個性が出る作り方。そこにユニークな味が生まれることに改めて気がついた。確かに、前回の記事で紹介してもらったチキンカレーのレシピでも、意外とシンプルなんだなって僕もビックリした。作り方は簡単だけど、細かいところを注意するだけで、美味しいカレーになる。

「インド料理では、複雑なことや難しいことをするから料理が美味しくなるわけではなくて、スパイスにしても無闇やたらと種類を増やしてしまえばかえってマイナスにしかなりません。そういう正しい知識というか、”インドの当たり前”を自分のお店に来てくれるお客さんにはできるだけ丁寧に、自分自身が店に立って伝えてきました。お客さん自身、自分が美味しいって思える目の前の料理のことを少しでも正確に理解できたら嬉しいだろうなと思って」

このポイントが非常に深い。現地の当たり前を知ってもらえることで料理の美味しさをより感じてもらえるだけではなく、お店との関係も深くなると思う。アシルワードのカレーはしっかり食べても胃がもたれたようなことは一度もない。インドの魔法?その秘密は何?

「例えば、マッシさんの国のイタリアではオリーブオイルをあれだけたくさん使うのに、イタリア料理=胃がもたれるっていうイメージはないですよね?それは鮮度の良いオリーブオイルが使われるからで、インドのカレーでも基本的な理屈は一緒なんですよ。何よりもまずは、新鮮な油を使うこと。揚げ物などに使ったものではなく新しいものを使えば良いだけの話ですから、これはコスト面を別にすれば簡単なことです。」

なるほど!よく考えたらイタリア料理の多くのレシピは、良い食材を使っているからシンプルな料理でも美味しくなる。インドと同じだ。

「次に、一度にたくさんの作り置きをしないこと。作り置きのカレーを再加熱すれば油の酸化が進み劣化します。もし繰り返し再加熱されているようなカレーだったら、ある程度の美味しさが残っていたとしても身体への負担は増してしまいます。『胃が持たれる』っていうのはそういうものを食べた後か、あるいは最初から使い回しの油で調理されたものを食べた後か、どちらかの場合がほとんどなので、いずれにしても、そうならない料理を作ること自体は難しくはありません。とはいえ、店の経営上、コストを考えないわけにはいかないのでやりくりは大変です。それに、作り置きを多く持たない=その場で対応する場面が増えるわけですから。その面ではすべてシェフたちの腕の良さや、仕事熱心な姿勢があってできていることですね」

細かいところまで考えて行動する大切さがよくわかった。作り置きのカレーをさっと早く出して次のお客様に入れ替えるのではなく、その場で丁寧に作ることを大事にしているアシルワード。その丁寧さが料理にまで表れているし、変わったことをしているから美味しいのではなくて、変わったこと、変なことをしていないことが成功の元になるなんて、なんとも奥が深い。

「お客さんにとって、できるだけ居心地の良い店でいられるように、とも常に心がけてきました。美味しい料理があって、居心地が良くて、店主の愛想も悪くなかったら(笑)、きっとリピートしてくれるだろうなと」

初めてアシルワードに食べに行った時に、確かにこれを感じた。時間があれば料理に対して細かい説明をしてくれたし、より美味しく味わえる組み合わせのオススメを紹介してくれた。

「そうやって時間をかけて地道に常連のお客様を増やしてきたのですが、でも、結局のところ、それが正解だったのかどうか自分でも分からないんです。今年でオープンから13年目なのですが、お客さんがしっかり足を運んでくださる店になるまでに時間がかかり過ぎてしまった気がしますし、そもそも店のオープンから3年後に北陸新幹線が開業したり、ここ最近はスパイスカレーがブームになったりと、そういう追い風があってここまで店を続けられてきたわけで、運に恵まれている面が大きいと思っています」

焦ることもなく、自分らしい道が見つかるまで時間をかければきっとこうなる。

北陸新幹線の開業のおかげで関東方面の日本人だけではなく、日本を旅行中の外国人まで金沢に行きやすくなった。その結果、金沢はもちろん、北陸の魅力が日本中、世界中に伝わったのだ。

海外からの旅行客が毎日多く訪れるアシルワード。

現在、夜にアシルワードへ行くと、後ろの席は英語、隣の席はイタリア語、お店に入るお客様はほとんど外国人という状況が多い。千葉さんの姿がなければ、金沢にいることが嘘のように感じるほどに。

美味しい食事と温かなサービスに心身を満たしたお客さんから記念の写真撮影を
求められることもとても多いそう。

ガネーシャ(困難や障害を取り除き福をもたらし、豊穣や知識、商業を司るインドの神様)がアシルワードを守ったのではないかと、常々感じる。インドの神様が金沢にたどり着いて、千葉さんの気持ちとインド人料理長、プロモジ・シェフの真面目さに感動したのかもしれない。

「客層を的確にしぼってターゲッティングするとか、世代を決めてマーケティングするとか、そういった考え方が主流の時代にあるなかで、真逆のような手法でここまで来ました。それだけに結果が出るまですごく時間がかかってしまいましたが、きっとそうやって時間と情熱をかけてやってきたからこそ、多種多様なお客さんに足を運んでいただける店になり得たのかなと思います。」

幅広い客層のお客さんに料理を適切に提案するだけでなく、世界中から訪れる異なる文化的背景のお客さんにも心地良さを提供するアシルワードでは、イタリア人のお客さんも満足気に料理を楽しんでいる景色をよく目にする。

インド料理の魅力は、知られているようで意外にそうではない場合もある。野菜や豆のカレーが豊富なことで、ベジタリアンの人を魅了しているのも、意外に知られていないことの一つだろう。

「実際、ベジタリアンが多い欧米のお客さんの間では、『ベジの専門店を探すのが難しい日本の地方都市では、困ったときにはインド料理店に行けばなんとかなるはず』と、そんな気持ちでアシルワードを訪れるお客さんもとても多いんです。」

確かに。野菜や豆は体に良い栄養も摂れるし、ベジタリアン以外の人でも選ぶことも多いだろう。

「また、ベジタリアンやビーガンの人だけでなく、グルテンフリーやダイエットフリーといった食事制限のある人も同様に、毎日アシルワードを多く訪れてくれています」

現代人にとって、インド料理があれば困らない。

インド人シェフ3人、千葉さんのネーパル人の奥様、英語はもちろんインドの日常会話もできる千葉さんを見ていると、「一度お店に来てくれた人に、必ずもう一度来てもらえるようにする」という情熱が、皆からそれぞれに伝わってくる。

2024年4月、オープンから12周年の記念日の一枚。
プロモジ・シェフをはじめ3人の厨房スタッフは、揃ってインドのビハール州出身。

人気店になっても、オープン時の気持ちとお客様への想いは1ミリも変わっていない。そして、アシルワードの料理はガネーシャも喜んでいると、僕はいつも勝手に思っている。

Massi

みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。