大阪屋で「グラッチェの方」と呼ばれた話
家から歩いて行けるスーパーは2店舗もある中で、なぜ大阪屋というスーパーに今まであまり足を運ばなかったのだろう?
最近はやっと週に一度、必ず訪れる場所になっている。慣れた手つきで買い物カゴに品物を詰め込み、作り立てのパンコーナーを必ず見て「これを全部食べたい気分だよ」と呟きながら、レジへ向かう。
そこには、いつも笑顔でウキウキしている中年男性が立っている。
外国人の僕が彼の前に現れて、「お願いします」というシンプルな日本語で伝えた。それが、彼にとってきっとコミュニケーションの鍵だったかもしれない。
初めて会った日、カゴに入ってる商品のバーコードを読み取りながら、彼は温かい笑顔で応えてくれた。「どこの国?」の会話になって「イタリア」と言っただけで彼の笑顔がよりカラフルになった。仕事中だったはずなのに、友達と話しているような関係を感じた。
数分でレジの作業と支払いだったけど、時間が止まったようだ。長く話していると思っていたけど、彼と僕だけの空間だったのかもしれない。レジから離れて周りの現実に戻ったら、レジの作業は数分しか経っていなかった。
ここから週に数回に行くようになった。不思議なことに彼のレジに並ぶことがほとんどだ。「イタリアから来た人」と覚えてくれていたことが、僕にとっては最高に嬉しい。知らないうちにレジ作業中に、イタリアの話やテレビで見たイタリア村の番組などの話が増えた。
もっと話すために、もっと買い物をしないと時間がすぐなくなると気がついた。
それから、彼は僕にとって単なるレジ係ではなく、イタリアの窓のような存在になった。そのうち彼に「グラッチェの方、ようこそ!」と出迎えられるようになったのだ。彼の言葉の一つ一つが、僕の心を温かくしてくれる。
ある日、彼に「イタリアにはよく帰るんですか?」と聞かれた。「もちろん、故郷は恋しい。でも、日本は大切な思い出がたくさんある国になっている」と答えた。そして、カゴに入っているものを見た彼は、「これはパスタソースに使いますか?」と尋ねてきた。僕は大きく頷き、「確かにパスタソースにも使えるね。でも実は、ミネストローネのように野菜煮込みにした後に、〇〇丼にするよ」と言った。
そんなこともできるんですね!と嬉しそうにレジ作業をしてくれた彼との間に、僕たちは言葉を超えた、心と心のつながりを感じた。
ある日、いつもいろいろ教えてくれてありがとうと言われた。
彼の言葉に、僕は思わず涙があふれた。スーパーという、日常の場所で出会った彼は、僕にとってかけがえのない存在となっていた。彼が教えてくれたのは、言葉の壁を越えた友情、そして、異文化理解の大切さだった。
これからも、このスーパーに来るたびに、彼の笑顔が目に浮かぶだろう。そして、レジの前で、彼の話を聞くことができる日を、僕はずっと楽しみにしている。