「用立てようか」 自前で「折々のことば」3
「用立てようか」 知人の言葉
ずいぶん前のことだけど、5万円だったか10万円だったか、しばらく貸してと古い知人から手紙が来た。転職して収入が少しずつ増えた時期だったので、思案の末にしぶしぶ貸した。「よほど困っているようだから、寄付するつもりで」と見栄を張って連れ合いに言ったおぼえがある。
だが、バブルがはじけて収入がしぼみ、今度はこちらが困ってきたので、返済を求めることにした。いついつまでに返済しますとの返事があったが、期限を過ぎても音沙汰はなし。あせってメールや手紙で催促する。そんなやり取りを何度か繰り返したものの、すんなりとはいかなかった。何年もたったころ、ようやくお金は返ってきたが、「わしも、せこいのう」という苦い思いが残った。
お金の貸し借りをめぐって、こんな経験もある。とある活動の集まりで我が家の貧乏ぶりをわしはよくこぼしていた。あのころ、カードローンもかさんでいたと思う。そんなある日、活動仲間のひとりが「困っているなら用立てようか」と耳打ちしてくれた。
貸して欲しいと頼んだわけでもないのに、見兼ねて申し出てくれたのだった。釜ヶ崎にずっと住むその人は、「おたがいさん」という言葉が骨身にしみているにちがいない。結局、その人に借金はしなくて済んだが、手を差し伸べてくれる人がいるとわかっただけで、わしの不安は薄まった。
ローレンス・ブロックのミステリー小説に登場する酔いどれ探偵マット・スカダーは、場末のホテル住まいで税金も納めない。だが、やみの探偵仕事で収入を得たら最初に目についた教会へ行き、その何割かを置いてくる。誰にも言わない。
寄付をしたって依怙贔屓(えこひいき)の仕組みが直るわけじゃないし、と昔のわしは思ってた。そのうえ、けちんぼうだった。今も変わっちゃいない。ただ、寄付を求めるキャンペーンに出くわすたびに、「用立てようか」という知人の言葉と酔いどれ探偵のことを思い出す。
朝日新聞「折々のことば」休載中。真似して自前で。文字数多いけど。