中村正夫

作文が大の苦手だったのに、あこがれだけはあって新聞記者→フリーライター→新聞記者。67歳になった2018年に退職しました。

中村正夫

作文が大の苦手だったのに、あこがれだけはあって新聞記者→フリーライター→新聞記者。67歳になった2018年に退職しました。

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学生服を着た先生がいた。50余年前、広島。足跡をたどった。

名は武永健一郎 離島の洞窟で 半世紀前にもらった古い手紙が引っ越し荷物の中から何通か出てきた。すっかり変色したはがきや封書には、宿題へのアドバイスや内緒話が書いてある。「あんまり参考書を丸ウツシにしたらバレるぞ」と作文指南までしてあった。  差出人の名は「武永健一郎」。私立修道中学校(広島)の1年の時に習った地理の先生だ。  当時はまだ大学院生で、学生服のまま教えにくることもあった。中2になると学校に先生はもういなかった。手紙には「修道はクビになっちゃった」とある。  

    • 平和公園のサルスベリと本川の飛び込み台

      夏の盛りの赤い花  キンモクセイと桜とノウゼンカズラとハナミズキなら判別できるけれど、花咲く樹木の名前をろくに知らない。  サルスベリは覚えている。木登り上手なはずの猿もこれなら滑り落ちてしまうだろうという幹のつるつる具合と駄洒落っぽい命名ぶりとがツボにはまった。  夏の盛りになると、セミの鳴き声に包まれた広島の平和公園でサルスベリの赤い花が咲く。「百日紅」の別名どおり花は長持ちするといい、「派手な花じゃのう」と子供心に思っていた。  今年もきっと公園のあちこちで咲き

      • ばあちゃんの言う「おかんじょ」

        スイカで顔パック 食べ終えたスイカの皮でほっぺたやら額やらを今日も撫でた。同居する祖母や叔母から教えられて子供の頃によくやったものだった。かじり終えてもまだみずみずしいスイカの皮はひんやりと涼しく、アセモの予防になっていたのかもしれない。  ふたりは、「裏」と呼んだ別棟に住んでいた。というと、邸宅にある離れのように聞こえるかもしれないが、実際には焼け野が原に建てた急ごしらえの粗末な木造平屋だった。  軒を接して立つ店舗兼用の母屋も周囲の商店もやがて建て代わったが、「裏」だ

        • おやじさんとメリー専務

           つれあいのおやじさんは商店街の自転車屋だった。拾ってきたスピッツをメリーと名付けてかわいがっていた。愛犬を家族はメリー専務と呼びならわした。  ある日、用事ができたおやじさんはメリー専務をお供に駅前の信用金庫へ行った。3時になって表のシャッターは閉まり、用事を済ませたおやじさんは裏口から帰宅。表通りで待つメリー専務のことは忘れてしまっていた。  いつまでも帰ろうとしないメリー専務を見かねた信用金庫から知らせが入り、おやじさんが迎えに行った。ただし、迎えに行ったはずのおや

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        学生服を着た先生がいた。50余年前、広島。足跡をたどった。

          ケーキモードなくても炊飯器でできた

          ご飯を炊くだけじゃない。クッキングにも便利。というのを何かで見て、14年ほど前に買ったうちの炊飯器の取扱説明書をネットで調べた。 ホットケーキの素でつくるケーキの作り方が載ってた。で、粉を買ってきて卵やバターを入れてかき回し、容器に移し入れ、スイッチを入れようとしたところで「えっ?」となった。 クッキングモードのすぐ下にあるはずのケーキモードの表示がない。説明書には書いてあるのに。で、よくよく見たら型番が違ってた。うちのにはケーキモードが初めからないらしい。「どうしたらい

          ケーキモードなくても炊飯器でできた

          病院で聞こえてきた「ここはお国を何百里~」

           渡辺白泉の俳句「戦争が廊下の奥に立つてゐた」を知ったとき、ギョッとして後ろを振り向きそうになった。それと似たような感覚を覚えたのは病院でのことだった。 歌いながら歩く人 何年か前、1泊2日の検査入院をした。ベッドでぼんやりしていたら、何やら歌声が聞こえてきた。パジャマ姿の男性が歩行器につかまりながら病室前の廊下を歩いている。  右のほうへ姿が消えてしばらくしたら、病院の廊下をぐるりと一巡りして左側からまた現れた。リハビリのために歩いているのだろうか。何度も通り過ぎていっ

          病院で聞こえてきた「ここはお国を何百里~」

          新聞紙でお尻を拭いてた。ある日、

          「落とし紙」に古新聞 トイレが水洗式になる前、個室の片隅に「落とし紙」が積んであった。用が済んだらそのまま便槽に落とすのでそう呼ばれた。  我が家の場合、専用のちり紙になったのはだいぶ後のことで、子どもの頃の落し紙は古新聞だった。読み終えた新聞紙を適当な大きさに切って積み上げてあり、それをもんで柔らかくしてはおしりを拭いたものだった。専用のちり紙は贅沢品だった。 愛娘の所業 同い年のつれあいの生まれ育った家も、地域や業種は異なるけれど同じく小さな商店で、落し紙は新聞紙だっ

          新聞紙でお尻を拭いてた。ある日、

          兵庫県の会食用うちわ配布を聞きて詠める

          「うそでしょ?」と 言ってもらえぬ えらいさん アベノマスクも イドノウチワも

          兵庫県の会食用うちわ配布を聞きて詠める

          「用立てようか」 自前で「折々のことば」3

          「用立てようか」 知人の言葉  ずいぶん前のことだけど、5万円だったか10万円だったか、しばらく貸してと古い知人から手紙が来た。転職して収入が少しずつ増えた時期だったので、思案の末にしぶしぶ貸した。「よほど困っているようだから、寄付するつもりで」と見栄を張って連れ合いに言ったおぼえがある。    だが、バブルがはじけて収入がしぼみ、今度はこちらが困ってきたので、返済を求めることにした。いついつまでに返済しますとの返事があったが、期限を過ぎても音沙汰はなし。あせってメールや手

          「用立てようか」 自前で「折々のことば」3

          自前で「折々のことば」2

          「元気なら、それでええ」  みったかちゃん 「(息子を)信じなさい」  たみこさん  家族にまつわる心配ごとをこぼしたとき、年上の友人と母方の叔母から返ってきたことば。ふたりがそれぞれくれたメッセージはまるで仏さんの教えみたいだが、後期高齢者ならではの知恵のようにも見える。ついつい焦ってけしかけたり、疑心暗鬼に陥ってけちくさくなったりしている前期高齢者の私のイライラトゲトゲを和らげてくれた。立ち向かえと檄を飛ばす応援もあれば、みんな持ってる生きる力に目を向ける励ましもある。

          自前で「折々のことば」2

          「折々のことば」休載。なら自前で一丁

          さあ今日からは、過去に言われた否定的なことはいっさい洗い流してしまいましょう!!                          角聖子  才能がないと先生に言われて半世紀、音楽は無理と自分で自分を決めつけてきた。そんな女性が「これなら私にも」と希望を見いだす。NHK「楽譜が苦手なお父さんのためのピアノ塾」(2002年~)で、手をぶるぶる震わせながら鍵盤に向かう男性の懸命な姿を見たのがきっかけだった。担当講師の本『「ピアノ力」をつける! これなら弾ける、かならず続く』(0

          「折々のことば」休載。なら自前で一丁

          子どものころ若草劇場で垣間見たものは

          小学生だった 生家の近くに劇場があった。「若草劇場」という名前で、核戦争後の救われない世界を描いた映画を子どものころに見た気がする。  テレビに食われて映画業界の景気が悪くなったせいか、若草劇場は後にストリップ劇場へ衣替えした。舞台で繰り広げられる出し物がどのようなものか、小学生のわしはおぼろげながらも察知していたが、じっさいに見たことはなかった。 「修理できました」 出し物をこの目で確かめる機会は5~6年生のころにめぐってきた。わしの生家は街の電気屋で、修理のためにテー

          子どものころ若草劇場で垣間見たものは

          孫の手よりつれあいの手

          かゆい寒い季節、布団に潜り込むとしばらくして、体があたたまるせいか背中がかゆくなる。ピンポイントでなく、背中のほぼ全体がかゆい。 かゆいところに手の届く竹製の孫の手でバリバリ引っかくと治まるので、パジャマの首筋から孫の手を突っ込んでかゆみが来るのを待ち受けるのが常だった。 塗るとつれあいに言うと、化粧品の類をなにか塗ってくれた。スキンクリームなのか乳液なのかラベルを見たけど、もう忘れた。けど、塗ってもらった夜はかゆくならなかった。 今日も風呂上がりに塗ってくれた。自分の

          孫の手よりつれあいの手

          ナンバープレートの封印

          困っていたら 役所の管轄をまたいで引っ越ししたので、車のナンバーを変えなきゃ。長くほっといた手続きのため、意を決して陸運局へ。  手続きの途中ではたと困った。窓口で借りたドライバーを使って古いナンバープレートを自分で取り外す作業があるのだが、プレートに付いた封印を取り除く方法がわからない。 手助けしてくれた 駐車場に居合わせたツナギ姿の青年をつかまえて教えを乞うと、頑丈なトンカチと巨大ドライバーをトラックから持ち出して貸してくれた。これならうまく行きそうだと思ったのだが、

          ナンバープレートの封印

          「ないじゃなし」は「あるじゃなし」?

          むかし流行った 中学生の時分にテレビでよく流れた「お座敷小唄」。「妻という字にゃ勝てやせぬ」と嘆く人が主人公だけど、昔から疑問に思ってたのが「雪に変わりはないじゃなし」という歌詞。  富士山でも京都先斗町でも雪は「とけて流れりゃみな同じ」と歌う場面にこの歌詞が出てくる。「みな同じ」ならば「雪に変わりがあるじゃなし」でないと話の筋が通らないのではないかというのがその疑問じゃ。 当時も論争 1960年代前半の大ヒット曲で、ネットで見ると当時もこの歌詞をめぐって論争が巻き起こっ

          「ないじゃなし」は「あるじゃなし」?

          むこ殿の洗濯

           今日の「降ってきた言葉」は「がわがわ」。皿洗いをしていて、流し台に水が吸い込まれるゴボゴボという音につられて思い出した。 「がわがわ」 あれは、姫路のお城で垣間見た狂言「濯ぎ川(すすぎがわ)」の一場面。家事を言いつけられた婿殿が川で洗濯するようすが描かれる。洗濯シーンでおなじみの「ざぶざぶ」とならんで「がわがわ」というセリフが登場した。  「がわがわ」は初めて聞いた言葉だった。ネットで見ると、水が一度に流れ出る音という意味が出てきた。擬音なのか擬態語なのか知らないけれど

          むこ殿の洗濯