【詩】木漏れ日
静かな春の木漏れ日が
小さくぼくたち照らしてた
ありあまる若い情熱で
夢を追いかけてた日々を
人にすがることもなく
自分の力だけ信じて
ただ心の赴くままに
走り続けてたあの頃
時間が限りなく思えて
いつも何かを探しさまよった
世間の声に背を向けながら
自分だけの世界を作ろうと
ふられた恋の痛手にも
立ち向かう勇気があった
過去を振り返ることもなく
新しい明日を夢見てた
度重なる失意の中でも
這い上がろうとする自分がいた
闇の中でもがきながらも
自分は正しいと信じて
静かな春の木漏れ日が
小さくぼくたち照らしてた
ありあまる若い情熱で
夢を追いかけてた日々を
五十代に入ってから、歌を作ることがなくなった。というより、ギターを弾くことが少なくなった。理由の一つとして、マンションの騒音問題がある。別にぼくのギターの音が問題になったのではないが、神経質な管理会社が普段の生活音も気をつけてくれと言うようになったので、音に対して気を遣うようになったのだ。
ということで、今のところ四十代後半に作った歌が、最後の歌扱いになっている。その歌が、今日のタイトルである『木漏れ日』だ。
大した青春時代を送ったわけではないのに、えらく輝いていたような気がするのはなぜだろう。今の方が情熱があるし、今の方が大きな夢を抱いているし、今の方が意地を張り通している。考えてみると、若いから出来たことと言えば、走ることくらいじゃなかったろうか。今は歩くのでさえ疲れる。
しかし歳をとると、どうしてこういう青春時代を懐かしがる詩に走ってしまうのだろう。この歌を作った後に、途中まで作った歌があったのだが、それも青春懐かしの詩になってしまったので、作るのをやめた。