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「鬼」について考える

クリスマス当日らしからぬテーマになってしまうが、私は昔から「鬼」についてとても興味がある。今も地方の山や森を見ていると、本当はどこかに鬼がいるんじゃないかといつも思ってしまう。最近では鬼滅の刃などで鬼ブームが来ていると言われることもあるが、その正体についても考えてみたい。

初めて、私が鬼を意識したのは小学3年生の時だ。その時の仮面ライダーシリーズで「仮面ライダー響鬼」というのがやっていた。仮面ライダーは小さい時から観ていたが、仮面ライダー響鬼にはなぜかそれ以外のシリーズより惹かれた。

仮面ライダーシリーズはたいてい若いイケメンが仮面ライダーに変身するというのがその当時の定番(今も?)であったが、響鬼の主役は細川茂樹という当時33歳の俳優が務めた。響鬼の第一話は、鹿児島県の「屋久島」を舞台に始まる。響鬼は武器の太鼓のバチを屋久杉から作っているそうだ。その時からずっと屋久島に行ってみたいと思っていたので、大学生になって最初の夏休みに屋久島へ行った。

仮面ライダー響鬼は「和」を強烈に意識していて、オープニングの作りも戦い方も、登場人物も、和風だった。響鬼では「仮面ライダーに変身する」という考え方ではなくて、修行して「鬼になる」という表現をする。普通は「悪」として捉えられるはずの「鬼」が響鬼では「正義」として捉えられている点も幼いながらに興味深かった。


また、高校2年生の時も鬼を意識する瞬間があった。高校時代の私は本当に勉強に興味がなくて授業中はたいてい別のことを考えたり、当時ハマっていたラップの歌詞を創作していた。

ある日の古典の授業のことだが、私はいつもどおり適当に授業を聞いて、あとは総合国語便覧を眺めたり、電子辞書で遊んでいた。だが、その日の古典の授業が「鬼」をテーマにしたもので「鬼とは何か」という話が、いつもつまらない古典の話ばかりするA先生の口から説明された。

実際、「鬼」に関してはさまざまな説があるが、先生が説明してくれたのは「鬼は朝廷によって作り出されたモノ」という説だった。朝廷は鉄がとれる場所を手中に収めたいが、そこには鉄を扱う製鉄民がおり、簡単には手に入れることが出来ない。そこで朝廷は製鉄民を「鬼」と呼び、「悪」に仕立て上げることで、民衆に製鉄民が悪であるというイメージを植え付けた。そうして、製鉄民を追いやり、鉄を手に入れようとしたという内容だった。

なので、鬼が赤いとされるのは製鉄によって焼けた肌で、金棒を持っているのは製鉄を悪くイメージさせるためのモノだという説明があった。

もちろん、これが唯一の正解ではないが、「鬼の製鉄民説」というのはかなり有名なものである。実際、鬼の伝説が伝わるところには製鉄に関係する地域の場合が珍しくない。

私はこの授業の話がおもしろくて、おもしろくて食い入るように授業を聞いた。○○の中将だとか、○○奉るだとかいう授業の100倍おもしろかった。その時からずっと「鬼とは本当は何なのだろう」「鬼はどこかに今もいるのではないか」と思うようになった。


そして先日、京都府は福知山へ取材兼観光に行ってきた。福知山の大江地方には「酒呑童子(しゅてんどうじ)」という鬼の伝説が伝えられており、そこにある日本の鬼の交流博物館へ行ってきた。


「酒呑童子」の伝説とは、平安時代中期に酒呑童子という鬼が京の都を荒らしていた。そこで源頼光(らいこう)はその征伐を命じられ、酒呑童子の住む大江山へ向かう。山伏姿で酒呑童子の屋敷に入った頼光一団は酒を飲ませて、酒呑童子やその手下の鬼たちの首を切って落とすというものである。酔わされた酒呑童子が首を切られるときに、「鬼神に横道なきものを(鬼はそんな卑怯なことはしない)」と言ったという話は有名だ。


博物館ではそれに関する資料を数点入手した。鬼に関する資料を収集するのも趣味の一つである。


実際に足を運んで見る大江山はとても緑が深く迫力があった。博物館を見ていると「鬼とは丹後に流れ着いた外国人」だという説も書かれていた。「製鉄民」という説も、「外国人」という説もどれも可能性がある。結局、「鬼とは何か」という問いこそが永遠のテーマであり、ロマンでもある。

私は鬼は今も深い山の中に存在していると半分は信じているし、鬼を見てみたいという気持ちがある。日本には多くの言い伝えや妖怪が存在するが、一際私の興味をそそるのがそんな「鬼」という存在なのだ。これからも鬼に関する研究や勉強をして、その正体に近づきたいと思う。





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