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#11.『いたいのいたいの、とんでゆけ』 [2020/07/04]

 ---自分で殺した女の子に恋をするなんて、どうかしている。
『いたいのいたの、とんでゆけ』三秋縋

この作品は現在(2020年7月4日)、kindle版が無料で公開されている。
この見出しですでに興味を持った方は是非とも今すぐ読んでみてください。まだ興味を持っていない方がいれば今から私の方からネタバレなしの感想を書きますのでこちらを読んでからどうぞ。
私の感想を読んでも興味を持てなければ私の説明の実力不足によるものですので是非きちんと小説を読んでから面白かったかどうか判断してくださいね。

アナタが私の記事を開いた時点でアナタが『いたいのいたいの、とんでゆけ』を読むことは確定しているッッ!!!


私は「絶望の淵でも笑うような主人公」が好きだ。
この主人公像を言語化することが難しく、上手く伝えることができない私だったが『いたいのいたいの、とんでゆけ』のあとがきの中で三秋縋氏がこのように説明をしてくださっていた。

子供の頃は、落とし穴のことを忘れさせてくれる物語が好きでした。僕に限らず皆、あらゆる落とし穴に蓋を被せた安全な世界について書かれた物語を好んでいるようでした。<滅菌された物語>とでもいいましょうか。もちろん主人公の身に起きるのは良いことばかりではなく、人並み以上に苦しいことや辛いことを経験しますが、最終的にはすべて彼の成長の糧となり、「人は何もかも受け入れて生きていけるんだ」という心強い感覚に浸れる。
ーーーーーー中略ーーーーーー
僕は以前のように素直な気持ちでは<落とし穴に蓋がされている物語>を読めなくなりました。その代わり、<落とし穴の中で幸せそうにしている人>が描かれた物語を好むようになりました。僕は思ったのです。暗く深く狭く寒い穴の中で、強がりでなく微笑んでいられるような人の話が聞きたい。
『いたいのいたの、とんでゆけ』あとがきより 三秋縋

私の言う「絶望の淵でも笑うような主人公」とは、
三秋縋氏の表現を借りると「落とし穴の中で幸せそうにしている人」のことである。そして『いたいのいたいの、とんでゆけ』もまた「落とし穴の中で幸せそうにしている人」の物語である。

「滅菌された物語」も私は嫌いではない。どちらかといえば好む傾向にあるとさえ言える。しかし時折感じることがあるのだ、
一元化された幸せの形に昇華していく様を見せられているようだ、と。

強敵に敗れた主人公はその後どうなる?
修行をしてもっと強くなって後に強敵を倒すだろう。
進研ゼミの漫画でも同じことがいえる。
試験で悪い点をとった生徒はどうなる?
進研ゼミでの勉強を始めて学業も部活も華々しい結果を残すだろう。

強くあることを強要されてはいないか?と思う。
進研ゼミで読んだ内容の中には、進研ゼミを始めた主人公と始めなかった主人公で分岐して、進研ゼミを始めなかった主人公がどうなったかのパラレルワールドまでご丁寧に見せてくれるものもある。
当然、学業も部活も上手くいかず夢は破れ、恋も破れた主人公は散々な結果となっていた。

それではいけないのか?
勉強はできない、部活もうまくいかない、夢はかなわず、誰も自分を愛してくれない。
そんな状況で笑ってはいけないのだろうか。と思う。
強敵に敗れたことをきっかけに戦うことをやめて静かに暮らす。
そんな人生があってもいいじゃないか、と思う。

もちろん、漫画はアツイ展開に心躍る少年少女大きなお友達一同にとって愛されるものであるし、諦めてばかりの主人公が漫画シーンを台頭したらさぞつまらないだろう。そんなことは望んでいないのだ。

成長を果たして見事勝利を勝ち取った主人公の裏には破れた強敵がいる。
進研ゼミを始めて人生うなぎ登りの主人公の裏側には夢破れた同級生がたくさんいる。
そんな彼らにスポットライトを当ててもきっと美しいと思う。
強くあることだけがすべてではないことを忘れないでいたい。

自分の弱さを認めて過ごしていくこともまた強さではないか。
絶望している現状を打破して強さを勝ち取るだけが幸せではないのだ。
絶望しているそこで笑うことが出来ればそれは幸せだと思うのだ。


『いたいのいたいの、とんでゆけ』は絶望を絶望のままに捉え、
その中でも笑おうとする人を描いた小説である。

あなたが今絶望しているならばこの本がきっとあなたを許してくれることだろう。



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