蝶の小さな羽ばたきで。
「バタフライ効果(butterfly effect)」という言葉が、ずっと頭の中で反芻している一週間。
“蝶の小さな羽ばたきが、巡り巡って、最終的に地球の裏側で竜巻を起こす”というような意味だったと思う。
…私は今、ほんの些細な出来事の影響を、もろに受けているような気がしている。
日本でいう「風が吹けば桶屋が儲かる」
ということわざに似ているのかな、と思ったけれど、こちらは
「関係のないところで起こった出来事が、意外なところに影響している」というニュアンスなのに対し
バタフライエフェクトの方は
「小さな、些細な出来事が、やがて大きな出来事につながる」という感じで、ほんの少し違うようだ。
私 VS 運命
何か物事がうまくいかない時。
それが、自分の力ではどうにもならない時。
自分がどう足掻いても、もともとそうなる運命だった。と思うこともできるし
決断の場面で、どの道を選んでも、結局一度はここに辿り着くだろう。とも思える。
ここは避けては通れない、“通過点”なのだと。
…でもどうしようもなく、それが自分にとっては大きな“分岐点”となってしまうことがある。
それを認めることができなくて
“誰か”や“何か”のせいにしたくて
御託を並べて
疲れたら、言葉にすることもやめて
泣いたり眠ったり怒ったりしながらなんとか生き続けて
それも疲れて、抜け殻のようになってしまっても
最後には結局
状況を「受け入れる」しかないのかな。…と、思ってしまう。
エネルギーがなくなると、何もかも、どうでも良くなってしまったりするから。
…これは「諦めて、運命に従う」ということになるのだろうか。
逆に
受け入れられない気持ちがとても大きくて
対抗するエネルギーがあるのならば
…それこそが「運命を切り開く」ということになるのだろうか。
…もはや、どちらを選んでも
「それが、運命」のように思えてくる。
心の置き場
今、私は“心の置き場”を探している。
…どこへも行けないのだ。
誰のせいでもない。
自分のせいでもない。
でも、どうしてもうまくいかない。
状況だけ見れば、悪い。
解決策もない。
現状維持は不可能なのに
0 か 100 かの選択肢しか見つからない。
この“怒り”のような、“嘆き”のような感情を置く場所が、見つからない。
…どこに、着地させようか。
きっかけは
「少し前に、隣の建物が解体されたこと」かもしれない。
「大家さんがご高齢な方だったこと」かもしれない。
「梅雨の気候のせい」かもしれない。
「人手が足りない時に採用されたこと」かもしれない。
「周囲の誰もが、たまたま忙しかったこと」かもしれない。
先のことはわからないけれど
私は自分の運命と向き合うしかない、ということに変わりはないのだろう。
状況は、蝶の小さな羽ばたきの影響を受けてしまうかもしれない。
でも、“心の置き場”くらいは
何の影響も受けずに、自由でありたい。
いつか自分で見つけられたらいいな、と思う。
肌も部屋も
絞ったら水分が出てきそうな、ジメジメとした一日の終わりに。
蝶の羽ばたきによる、ささやかな風を受けられたらいいのに。
2024.6.29