受け取るエナジーを何に活かすかー「アナザーエナジー展」を観て
誕生日に森美術館で開催中の
『アナザーエナジー展:挑戦し続ける力ー世界の女性アーティスト16人』を観に行った。
毎年当たり前に1つ歳を取る中で、
誕生日にこの展覧会を観に行ったのは、
なかなか粋だなと自分を格好つけさせた。
私は幾つになっても
パワフルに自分や何かを表現し続ける女性たちのエナジーを得たかったのかもしれない。
でも、
感じられた事は少なかったような気がする。
それはアートを自視点で語り合える友人と観に行かなかったからかもしれないし、
私にはまだ辿り着けない境地だったからかもしれない。
作品そのものには、
その巨大さ故に圧巻させられるものはあったし、途方もない工程を想像させられて、
はあ…となるものもあった。
(フィリダ・バーロウ、《アンダーカバー2》、2020年)
(ロビン・ホワイト、《大通り沿いで目にしたもの》、2015-2016年)
(三島喜美代、《作品21-A》、2021年)
しかし、
感じたかったエナジーを、私はどれから感じ取ればいいのか終始分からないまま、
約2時間あっという間に観終えてしまった。
私は自分で自分を格好つけさせることが
できなかった。
ただ、その中でも私はやっぱり人間が好きで、
人間に興味があるんだなと、思い返した展示があった。
普段映像作品は全て観切れないでいるが、
スザンヌ・レイシーらが
2013年10月19日にブルックリンの住宅街の一角で行なった「玄関と通りのあいだ」は、
私の目を終始釘付けにさせた。
玄関と通りのあいだ
2013年/2021年
3チャンネル・ビデオ、デジタルプリント
ビデオ:20分2秒
《玄関と通りのあいだ》は、2013年10月19日、365人の活動家がブルックリンの住宅街の一角に集まって行われた壮大なスケールのパフォーマンスです。パフォーマンスでは、黄色いストールを身に着けた参加者が60のグループに分かれ、玄関と通りのあいだの階段に座り、人種、民族的アイデンティティ、階級、フェミニズムなど様々な問題について話し合いました。
およそ2500人の聴衆が通りを歩きながら彼女たちの会話を聞いていました。レイシーは同時に、ブルックリン美術館入口の大階段を使用して、コミュニティ全体にフェミニズムに関連する問いを投げかけるインスタレーションも展開しました。本展では、パフォーマンスの記録映像を三面プロジェクションで展示するほか、会場の床とベンチにメッセージのインスタレーションを再現しています。
このプロジェクトは、ニューヨーク市在住の活動家とスザンヌ・レイシーの5か月にわたる様々な話し合いから生まれました。玄関と通りのあいだの空間での対話を通じて、性別、人種、民族、階級など、幅広いフェミニズムに関する議論の重要性を個々人が実感したのです。
性別や人種、階級などについて、普段ただ通りすがるだけの人たちと意見を交わし合う姿は、日本にはほぼ無いもののように思う。
私は無宗教だし、政治も正直よく分からない。
なにか熱心に活動しているわけでもないし、
知らない人たちと議論を交わすこともない。
しかし、
アメリカでは若者たちも当たり前に政治に参加し、「私の応援している人はこの人なの」と主張し合う。
それと同じようにして、性別や人種などについて思いの丈を出し合うことは、互いを認め合うことなんだ。
3面に映し出されたその光景は、街角で行われることの意義も唱えていたように思う。
日本でも同じことができるのだろうか?
これらの議題について、
歴史を遡れるほどの知識は全くないし、
批判するほどの知識も持ち合わせていないが、
私はやっぱり人間そのものに興味があり、
好奇心があるのだと思う。
それを再認識した、33歳の誕生日だった。
そして私はこの認識を、
どのように、何に対して、
活かすことができるだろうか。
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