時計に見る自己肯定感
こんにちは やまごうです
夫と結婚してとても驚いたことがある 自分にはあって彼にはないもの
誕生日の捉え方だ
10月生まれの私は10時〇〇分 自分の誕生日の日付と時刻が合うと「オメデトー」と言葉に出して言う(家では) そして偶然パッと時計を見た時に自分の誕生日と同じ数字の時刻のことが頻繁にあり、「フォッフォーウ!」と小さくお祝いする
本当に偶然よく見るので、本当によく祝う
誕生日と同じ数字の時刻になるまで2-3分だったらちょっと待ったりもするし、そして「見てみて、誕生日だよ」と夫に報告する
けど、夫にはその感情が皆無である
「ただの数字じゃん」と言われ、なんと味気のないヤツだとすら思う
彼曰く、自分は自己肯定感が少ないので自分の誕生日が特別だとかなんだとか思わないのだ、、とのこと
自己肯定感 そんなものなんだろうか
よくわからないが確かに彼は自己肯定感が少なめな気はする 私なんかより頭もよく、面白いこともいい、音楽に詳しく、素敵なところがたくさんあるのになぁ 小さいころいろいろあったようだ
そう思うと、私はなんと自分が大好きでお気楽なやつだろう
物事をしっかり考え、考え過ぎて苦しんだり、マイナスの感情にがんじがらめになって抜け出せない夫の姿を見ていると生きづらそうだなと思うし、がぜん娘が夫似なので私のケセラセラ精神が少しでも伝われ~とは思っているが、彼らにしてみるとへらへらしててしっかりしていない私はなんともだらしのない存在に見えるようだ
5歳の娘に「しっかりしなさい」と怒られたときはさすがにちょっと悲しかった
でもこんな能天気な私でも思い悩んだ時期もあった 社会人になってあまりうまくいかなかった時、自分が全然かわいく思えなかった 10時〇〇分の自分の誕生日時刻に微笑む余裕もあまりなかった あらゆることをすぐ忘却する私なので何で思い悩んでいたのかすら忘れたが思い悩んでいた
その時「私は両親からあたたかな愛情を受けていないから自己肯定感が少なく何事もうまくいかないのだ」と思ったことはよく覚えている
完全に間違いだけど
今の私が娘にするような愛情(可愛すぎてギューしたりひっついたり)は確かに少なかったがしっかりと育ててくれた
今は分かるが、自分の力量のなさで物事がうまくいかないことを両親の愛情のせいでは?と考えた時期もあり、あまりの青臭さに今となっては閉口だ。。
お父さんお母さんこの場をかりてごめんなさい
時間誕生日に毎回フォウフォウ小躍りする私はきっと自己肯定感あるのかな このまま自分を肯定してあげて年を重ねたい
イケてるおばさまIKEOBAは自分を卑下したりしない(きっと)
そして少しずつ夫の自己肯定感を育てている 目覚ましのアラームは夫の時間誕生日にしている(これ私しか気づかないしw)
大好きだ、大丈夫だ、最高だと今日も育てている