本棚の移り変わりを見て思うこと。
読書をはじめておよそ10年。
私が本を読みはじめたのは20代後半からでした。
学生のころから読んでたらよかったなと思います。
読みはじめたころは、年間200冊ほど読んでいましたが、徐々に同じ本を繰り返し読むことが増えてきて、今では新しく読む本は年間100冊ほどだと思います。
今回はそんな私の本棚の移り変わりのお話です。
読書デビュー スキル重視
記念すべきデビュー本は『28歳からの仕事術』という薄めの本でした。
SWAT分析などフレームワークが書いてある本です。これをきっかけに、テクニックやスキルといった本を読みはじめました。
この頃は、仕事で成果を出すための読書でした。
スキルに満腹→マインドセット
スキル本も惹かれるものがなくなったので、次は自己啓発本にいきました。話題になっている成功者が書いた本とかですね。
この頃は、自信の持ち方やマインドセットを目的にしていたと思います。
周りの人から、自己啓発(笑)意識高い系(笑)って、小バカにされたことが多かった気がします。
実践していくと、
読む→やる気→実践→燃費切れ→
読む→やる気→実践→燃費切れ。
といった具合に消耗品のように感じてきました。
なので、こういった本は最初の一歩を踏み出すための起爆剤のように使うことにしました。
気分は上がるが燃費が悪い。といった感想です。
マネジメントを知る。
仕事を教える立場になることも増え、ここからドラッガーを読み漁ります。
リーダーシップ、マネジメント、イノベーター、チェンジリーダー、プロフェッショナル。
仕事とはいかなるものか。事業とはいかなるものか。視座が高くなったのを覚えています。
ここから、個人の持っている能力の重要性を感じました。
才能で働くという考え。
役職で仕事をするのではなく役割遂行型。
個人の能力を最大限に生かすことが、当時の私自身のミッションでした。
ストレングスファインダーやコーチングなど才能を引き出す本にうつっていきます。
マーカスバッキンガムさんの著作をよく読んでいました。
『まず、ルールを破れ』『最高の成果を生み出す6つのステップ』『ストレングスリーダーシップ』
そこからさらにマーケティングやアントレプレナーシップなどを学びました。
私は今でいう社内起業家的な立ち位置になりハードワーカーとなりました。
住みこみのように会社に入り浸り、仕事に没頭していました。みんなが仕事が楽しいと言える職場を夢見ていました。
すべての人が自分の才能を発揮できる組織を作りたかったのです。
しかし、私は心身ともに壊れてしまい入院することになります。
挫折→内省へ
入院中、病院の中にある図書館で一冊の本と出会いました。
『How to Stop Worrying and Start Living』
デールカーネギーの『道は開ける』です。
この中の一説にある、
という文章が心に残りました。
信用を失い、職を失い、ときどき目が見えない症状も出たりしていて、私は最悪の事態を予測しました。
それは見たくない、考えたくもない未来でした。
でも、そんな最悪の事態でも、イメージの中の私は生きていることに気付きました。
そうだ、私はまだ死んでない。
この時に私は人生の最悪の事態を受け入れる覚悟がある程度できたと思います。最悪な事態でも生きていけると思えたからです。
実践は難しいですが、将来の不安ばかり考えてしまっている時は、この言葉を思い出して切り替えています。
そして、心が折れそうになったときのおまじないも手に入れることができました。
こうして身体は回復し、大きな財産を手に入れて、退院することができました。
創造の世界へ
仕事を探す前にこれからのことを考えました。
合理性や計画、機械的なものばかりを追い求めていた自分に物足りなさを感じていたからです。
私は小さい頃、棒人間の漫画を描いたり、ごっこ遊びをしたり、BB戦士(ガンダムをデフォルメしたプラモデル)やガン消しなどを使って物語をつくり一人で遊ぶ子供でした。
そうだ、そういうのが好きだったんだ。
創作に触れよう。
こうして、私は児童文学を読みはじめ、ミヒャエルエンデに惹かれます。
モモ、自由の牢獄、はてしない物語。
有名な星の王子さま、アルケミストもこの頃に読みました。
ビジネス本との大きな違いは、直接的ではないということです。
私を説得するものでも、私を変えようとするものでも、私の生き方を否定するものでもありません。
感じる読書でした。
なんて優しい本なんだ。
包み込む優しさ、寄り添う優しさ、そんなあたたかい気持ちにさせてくれました。
この時、生産性でしか価値を見出せていなかった自分の視野がぐーんと広がった気がしました。
そして、ここから生き方や人生について考えることになります。
心理学・哲学の分野へ
生産性と創造性の狭間に立った私は悩みました。
社会は生産性を求めている。
しかし個人は創造性を必要としている。
私はどう生きるかと悩み哲学を学びます。
ゲーテやヘルマンヘッセの詩にふれるようになりました。
アドラー、ニーチェ、エマーソンの個人主義的な思想に惹かれました。
私はやはり個人の才能で貢献することを求めているのだとわかりました。
哲学と聞くと宗教のように思える方もいますが、哲学とは探求そのものです。
あてのない道を歩むこと。
将来が予測不可能な時代に、
何かの答えを信じるのではなく、
あてを見つけて動くのでもなく、
不安を抱えながらも歩める勇気が必要ではないかと感じました。
人間関係について深める
偉大な哲学者の言葉に感銘を受けつつも、鵜呑みにするわけにはいきません。信仰すれば宗教になってしまいます。
私は敬意を込めて偉大な哲学者の思想や言葉を疑い、真意を確かめなければいけないと思いました。
そしてそれを知るためには、今を生きている人との対話が必要不可欠だと感じました。
対話によって理解は深まり、理解が深まれば信頼にも結びつきます。
しかし、組織の中でもプライベートでも、争いを生むコミュニケーションが頻繁に行われていることを知りました。
どちらが正しいか、どちらが間違っているか、といった話ばかりなのです。
私はこの時気づきました。
自分を知って初めて、他人を知ることができるのだと。
そうでなければ、他人を自分の鏡代わりにしてしまう。他人に理想の自分をうつすように説得し、思い通りにしたくなるのだ。
それはまるで白雪姫に登場する魔女のように、鏡に自分が一番美しいと言わせたいのだ。
私は幸運にも入院という機会をもらって自分を見つめることができた。
このままでは対話どころではない。
私自身も含め、コミュニケーション方法の改善が必要だと強く感じました。
コミュニケーション方法の切り替え
ここからコミュニケーションの本を読む機会が増えていきます。
便利になっているチャットやメール。これは争い生むコミュニケーションを加速させてしまうものです。
言葉だけで思いや感情を伝えることはとても難しいのです。
私もどちらかといえば合理性を重視して、手間を惜しむ人間でした。
しかし、人間関係はむしろ手間をかける必要があると強く反省しました。
そして今にいたります。
まとめ
読んだ本を振り返って、私の人生の教訓がいくつかできました。
●人間には創造性が必要だということ。
●生産性から離れる時間をつくること。
●私はほとんど何も知らないということ。
●学ぶことは楽しいということ。
●自分を知って初めて他者を知れること。
当初の私はまさか哲学の本を読むことになるとは思ってもみませんでした。
スケジュールが組まれた計画的な旅ではなく、気ままな旅こそが人生なのかもしれないと思うようになりました。
今の私には何年後にこうなっていたい。
といった明確な目標はありません。
思いのまま自由に生きていったら、私はどこに辿りついているだろう?
といった期待半分、不安半分で生きています。
それではまた。
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