『川のほとりに立つ者は』
”明日がよい日でありますように”
『川のほとりに立つ者は』寺地はるな
カフェの若き店長・原田清瀬は、ある日、恋人の松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。
松木の部屋を訪れた清瀬は、彼が隠していたノートを見つけたことで、恋人が自分に隠していた秘密を少しずつ知ることに――。
「当たり前」に埋もれた声を丁寧に紡ぎ、他者と交わる痛みとその先の希望を描いた物語。(Amazonより)
『水を縫う』で好きになった著者。今作は評判が良くてハードルが上がってたけど、さすがの面白さ。面白さというか読み応えというか。
物語としては割と小さな世界の男女間で起きる出来事なんだけど、普通や当然の反応みたいなものを疑うことの大切さみたいなものがふんだんに詰め込まれている。
”それこそがいちばんの罪かもしれないと、清瀬は今ようやく思い知る。手を差し伸べられた人間はすべからく感謝し、他人の支援を、配慮を、素直に受け入れるべきだと決めつけていた。歪みを抱えた者はみな「改心」すべきだと。”
”「せっかく助けてやっているのに」と相手の態度を非難することは、最初から手を差し出さないことよりも、ずっと卑しい。”
”「できることが増えるのは、ええことかもしれんけど。あれでよかったんかな、と今でも思う。なんやろ、努力ってたしかに尊いけど、努力だけが正解なんかな。近眼の人はメガネをかける。努力して視力あげなさいなんて誰も言わん。足怪我したら、杖使う。でもいっちゃんは『努力』を求められる」”
苦しさや辛さなんてものは、どこまでいったとしても本人にしかわかり得ないし、そこから救われたいか、助けてほしいか、ほっといてほしいのか、自力で改善したいか、どんな感情を抱えているかはパターン化できるものではない。
”川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。”
だけれども、そばに寄り添って、「その人の明日がよい日でありますように」と願うことは決して間違いではない。
ほんの少しでもその祈りを相手が受け取ってくれたら、それ以上期待していい幸せはないんじゃないのかな。
”「これ、ちょっとだけ特別な大吉なんです」”