私には上手な文章は書けない
今日はコチラの企画に参加させていただきます。↓↓↓
この企画をみくまゆたんさんが発表されてすぐに「書きます!」と立候補したものの…並み居る強者noterが揃いに揃って参加されているので、参加を諦めようとしました。
しかし言い出したことです、嘘はつけません。そして何度もテーマを考えて3つくらい記事を書き殴りました。その結果私が選んだのがこの記事です。
私はなぜ自分がこのnoteという街に存在しているのか、最近よく分からなくなっている。
始めた頃は自分の病気(双極性障害・社会不安障害)のことばかり書いてきた。というよりそれしか書いていなかった。「病気のことを書けば手放せる」その一心だった。
たくさん書いてきたけれど、いつからか面白くなくなってきた。それより創作を楽しみたい気持ちの方が強くなってきた。
しかしそこで私はひしひし自分の文才のなさを痛感して、打ちのめされた。なんて下手なんだろうって。ある意味こんな人間がnoteを続けられてるってすごいなと感動した。
それ以来自分との葛藤の日々が続く。「なんのために書くのか」自問自答するがどこからも答えが出てこない。そのうち「書く」ことが嫌になってきた。こんな下手な文章を読まれに自ら行動するなんてアホかと思った。
「noteやめたい」。毎日ののように自問自答する。もうやめてしまえと何回も行動に起こそうとまでした。だって下手なんだから。嫌いなんだから。周りにもやめたいとこぼすしいい迷惑だったと思う。(ここでnoteをやめるのは踏みとどまったがスタエフとXは衝動的にアカウントを削除した。SNSというものに疲れていたんだと思う)
こんな中支えになったのがコニシ木の子さんの存在である。通信でいつも「noteをやめたくなったら『なんのはなしですか』というタグを思い出して使ってみて欲しい」というコニシさんの言葉に胸を打たれていた私。
コニシさんには何度となく相談させていただいた。(いつも突拍子がないので混乱させてしまっていると思います。ですが今後も混乱させると思います。すみません)いろんな話しを経ていただいた言葉が「がむしゃらになれ」。
「がむしゃら」ってなんなん?と最初疑問に思ったが、だんだん理解できた。私に残された道は「記事をがむしゃらに書く」ということだったんだと。笑わせたり、泣かせたり(泣かせたことはないかな)。自分の気持ちを思いっきり込めて書くことなんだろうなと。
それから私はかなり落ち着いた。と言ってもこれから先もグラグラ揺れて不安定になることはあるだろうけど。でも「開き直って」書くしかないと分かった以上、下手とか上手とか気にしないことにした。
あとは書くことが好きになるだけだ。もう上達とかは望まないので、書くことが好きになりたい。どんどん書いていきたい。人をたくさん笑わせて、たくさん何かを感じ取ってもらえたらそれでいい。そして多くは望まないので、なるべく長くnoteの世界にい続けたいなと思う。
みくさん、すみません。タグも付けちゃいました。よろしければご査収のほどよろしくお願いします。
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