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熱いプレゼンで実現した、初めての社員発ブランド「MIESROHE (ミースロエ)」ディレクター兼デザイナー 坂上典子 (前編)

2022年3月、マッシュスタイルラボに誕生したレディスファッションブランド「MIESROHE (ミースロエ)」。ブランド名は近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe)の「神は細部に宿る」「より少ないことはより豊かなことである」という思想から着想を得ています。

今回は自社ブランドMila Owenでチーフデザイナーとして経験を積んだ後、自身の熱意と発案によりスタートしたブランド「MIESROHE」のディレクター兼デザイナーを務める坂上典子さんをご紹介します。
マッシュ社員の発案・プレゼンの元で新しいブランドが立ち上がったのは初めてのケースということもあり、社内外から注目を集める坂上さんの仕事へのこだわりやクリエイティビティの源、プライベートに至るまでをインタビューしました。


ファッションの仕事を始めたのは?

ーそもそもファッションの仕事をしようと思ったきっかけは?

たぶん意識し始めたのは高校生の時ですね。家庭科部に入ったのですが、担当の先生が文化服装の大学出身だったこともあり、1年を通してファッションに関わり最後にショーをやるんです。当時の私には先輩たちのランウェイや手作りのショーが輝いて見えて「なんて素敵なんだろう」と感銘を受けました。もともと絵を描くのも好きでしたし艶やかな服や着物も大好きでした。小さい時の写真を見ると、祖母の家にある色とりどりのスカーフを巻き付けていたり、布とか柄のついたものが好きだったようで、身に纏っていたりするんです。

ーご自身が着る服はどうでした?

それが一切こだわりがなかったんですけど、好きではあったと思います。でも自分が着飾るより綺麗なものに触れたりアレンジしたりすることが多かった気がします。中学時代はニコラとかジッパーなど裏原系の雑誌をよく読んでました。モデルさんみたいになりたい、というより洋服を作ってみたいという思いはその頃からあったんじゃないかな。でもその思いがクリアになったのはやっぱり高校の時。部活でファッションショーをやって感動したこともあり、進路は大学か服飾系専門学校の選択肢で、迷いなく服飾を選びました。

その中で決め手となったのは、文化服装の専門学校のオープンキャンパスで ジョン・ガリアーノのオートクチュールのコレクション写真展示を見たこと。もう、その時の衝撃が忘れられなくて!魂を揺さぶられたというか。
全然リアルクローズじゃないんですよ、オートクチュールなので。でも本当に鳥肌が立つというか、すごく心を打たれてしまって。

MIESROHE ディレクター兼デザイナー 坂上典子

ー特にどんなところに? 

デザインをはじめ表現力や世界観に圧倒されました。本物の服飾というか「ファッション」というものに触れたのはそこが初めてかもしれないです。魂が震えたのも初めてでした。今でも凄いと思って見ていますが、あんな服が作りたいというより、永遠の憧れという感じですね。本当に魂を揺さぶられるという表現が一番近い、そんな経験だったので「こんなに人に感動を与えられる世界って素晴らしい」と思ってファッションで人生を歩むことを決めました。

ー実際にファッション専門校の学生生活はいかがでしたか?

課題に日々追われて記憶がないほど忙しかったですが、楽しかったですね。周りにはすごい生徒が沢山いました。「自分のコレクションをやりたい!」と強い意志を持ってる人たちも多くて。ただ、私自身はジョン・ガリアーノに感動して入学したものの、学生時は自分のブランドを持ちたいなんて本気で思ったことはありませんでした。 

皆は自分でこれがやりたいんだ、こうしたいんだ、と自己表現できてるのに、私は良くも悪くも平均点は取れる普通の学生。卒業する時の就職も行きたいブランドも特になく、自分でやりたいこともなく、ただファッションが好きなので仕事にはしたいな、というだけ。そういう自分がどこかコンプレックスではありました、ずっと。

ブランドを始めるまでのキャリア

ーどのようにファッションの仕事でのキャリアをスタートしましたか

卒業後は歴史あるアパレル企業に入りました。初めてデザイナーとして関わったのはキャリア女性向けのブランド。「最初はカットソーから作ってみようか」という感じでスタートして、仕事は年間を通して既にスキームが出来上がっていました。会議で淡々と作るアイテムが決められていき、周りも優しく教えてくれて恵まれた環境でしたが、当時の若い私からしたらちょっと物足りない、という思いは正直ありました。

ですが4年続けて実績も残しつつあった26歳の時「このままじゃいけない」と急に思い始めたんです。「30歳から何かやりたいと思った時に、この恵まれた環境下で成長できていない自分では成し遂げられないだろう」と。
学生の頃からこだわりや、どうしてもやりたいことなどなく来たのに、なぜか「現状を変えなければ」という強い意志は頭を離れず、実行しないといけない!と。それで転職を考えてマッシュスタイルラボに決めました。

コンセプトを考える時は「言葉」ではなく「気分や空間、雰囲気」などが頭に浮かぶ

ーマッシュスタイルラボを選んだ理由は? 

いろいろ調べてわかったのは、大手企業や老舗ブランドに負けない勢いがあるということでした。普段からSNIDELFRAY I.Dは好きで買っていたし、gelato piqueもよく知っていました。きっと仕事は大変さもあるだろうけど、残りの20代で困難や厳しさも経験しておかないと、自分が使いものにならなくなる気がして挑戦したいと思ったんです。そうでもしないと、30代からどうやって働いていくんだろう…とイメージさえつかなくて。

ーどういったきっかけでMila Owenのデザイナーに就任したのですか?

実は最初に希望していたブランドはFRAY I.Dでしたが「こんな新ブランドも立ち上がりますがいかがですか?」と紹介されたのが当時スタートしたばかりのMila Owenでした。既に服のデザイナーは決まっていましたが、ディレクターやデザイナーの方と話をしてみるとすごく気が合って。「雑貨のデザイナーならポジションが空いてますよ」と言われ、経験はありませんでしたが最終的に靴やバッグ、アクセサリーなどを作る「雑貨デザイナー」に配属されることになりました。

マッシュの「デザイナー」としてのスタート

ーほとんど経験のない雑貨デザイナーとしてのポジションで入社。チャレンジでしたね。

はい、大きい挑戦で最初は手探りで始めていきました。でもわからない事が多いほど楽しくて。どうやって作っていくのか、どうやって相手に伝えるかを必死に日々考えて、メーカーさんにも「これを作るにはどうしたら良いですか?」と素直にストレートに聞いていました。デザイナーがそんなことも知らないの?と思われることもあったかもしれませんが、ただひたすら誠実に勉強しながら取り組み続け、周りにも助けて頂きました。 

ー自分の作ったものや仕事に手ごたえを感じ始めたのは?

手掛けた雑貨が売り場に出て1~2年経った頃、嬉しいことに服のデザイナーになることができたときですね。少しずつ売れていく数が増えたことで「お客様に認めて頂き、デザイナーとして結果を出している」という評価につながったのかもしれません。

また、新しく雑貨デザイナーとしてマッシュに入社してきた方が、私が以前作った靴を「すごく可愛くて印象的だった」と褒めてくれたことがありました。厚底のウェッジソール(底面が平らで、かかとに向かって厚みが増していく靴底)で、アッパー(靴底を除いた上の部分)がキャンバス生地の靴でなかなかそういうデザインって無いのですが、でもそれは当時の私に雑貨デザインの経験がなかったからこそ作れたものでした。

「この素材とあの素材を合わせたら可愛いかも」という感覚を信じて形にして出来上がったものを「可愛かったので覚えてます!」と言われた時に、こんな嬉しい経験ができて本当に良かったと思いました。

デザインや世界観を表現するイメージボード

新ブランドを立ち上げるきっかけ

ーMila Owenでの仕事をしながら、どういった経緯で「MIESROHE」という新しいブランドを立ち上げることに?

Mila Owenでは年に4回の展示会に合わせ多い時は2ヶ月で80型くらい作ることもあるほどスピード感を必要としハードな側面もありました。当時は20代で気力も体力もみなぎっていたし大好きな仕事だったので、問題なくこなせていたと思います。デザイナーとしての仕事は先輩方やブランドのチームメンバーのおかげもあって順調でしたし、プライベートも遊びも楽しんで充実していました。

でも30代に入った頃、自分の本当に好きなものがわかってきたと同時に、自分はどんな人になりたいかを考え出したんです。服もアクセサリーも色々なタイプのものを身につけていましたが、それらは他人からの見られ方とか流行とか、表層的な感じで自分を着飾るために選んでいたような気がしてきて。周りの友人との関係性や、自分がどう生きていきたいか、みたいなものが少しずつ確立してくると選ぶ服、着る服もガラッと変わっていきました。

コンセプトは「Universal Design & Just Mode ユニバーサルデザインと程よいモードを感じる服」

20代の頃は安いから、ブランド品だから、という理由で買うことも多かったのですが、安い服はワンシーズンで着れなくなるし、トキメキも少ない。
私がファッションに感じた「魂を揺さぶるような感動」もなく、それを求めることさえしなくなっていました。とは言え、服を捨てるのは罪悪感を感じてしまう。逆に「魂を揺さぶる」ようなコンセプチュアルなブランドの服は高額なうえ、自分が着るにはちょっとおこがましいような気がして、どこに着て行って良いのか迷ってしまい…。手にする服が二極化していて、今の自分にとってちょうどいい服、今の気分に合う服がない、だったら作りたいなという想いが募っていきました。

ーその想いを形にするために、まずどんなことから始めましたか?

自分の気持ちや考えを言語化するのが苦手なので、文字ではなく可視化できるものとして「こういうのをやりたいな」とイメージしたものを描く「イメージマップ」を作っていきました。ノートに世界観から服のデザインまで、こういうの好きだな、こんなのもいいなと書き込んでいくんです。いつか本当に社長に聞いていただける機会があったら嬉しいなと、自分用に書き込んだノートをプレゼン資料として作り変えている最中に、コロナで自粛期間に入ってしまいました。

イメージした世界観やデザインをたくさん書き留めてきた坂上さんのノート

こんな時期に新しいブランドをやりたいなんて言えない、と半年くらい保留にしていたのですが、自分の中でやっぱりやりたい!という想いが再燃し始めました。私はマッシュという会社が好きで、働きやすさや今まで色々な経験をさせて頂いたことにも感謝の気持ちが強く「実現するなら絶対ここで形にしたい」と思っていました。その想いも込め作成したプレゼン資料を上司に見せ相談したら「社長へのプレゼン、実現させようよ!」と後押ししてくれて。上司が社長との打合せの機会までセッティングしてくれたんです。

いよいよ社長へのプレゼンに挑む坂上さん。続きはインタビュー後編をご覧ください!→後編