noteとこれから、どう付き合っていくか
47日継続した。継続は、力なりとか、言われてきた。なんにせよ、習慣化してしまえば、さほど負担にはならない。これから、いろいろ工夫をこらせる。当然、人によって考え方が違う。
noteは、いわば随筆、思ったことを文章化する。他人にわかってもらう。他人様の文章を読むと、それなりに、どう描くべきなのか、少しづつわかってくる。
昔風に、起承転結とか、言いたいこと、わかってほしいこと。それは、皆考えることは同じ。いずれ種が尽きる。どうするか。それからが問題であろう。
あまり長いと他人様は読んでくれない。面白く、興味深く、他人様のためになる、面白い文章を作らないと、書いていてもつまらない。
基本をマスター、なかなか難しいけれども、とりあえず書くことに慣れる。次に読んでもらう、次に理解してもらう。その流れで、自分の感性を高める。
最近になって、小説、読んでいるのは、平野啓一郎であり、百田尚樹である。現代の作家として有名であり、人気作家である。簡単に読めそうで、奥は深い。軽く読み流していても、よく勉強というか、資料収集と理解する、小説にする。多くの読者を納得、共感を得るには、大変な準備と書く能力と気力が必要だろう。
フィクションを軽く見過ぎていた。
私は、半世紀も前、まだ高校生の頃、島崎藤村「破戒」から始めて、国内外の多くの書物、小説を読んだ。量だけ言えば、平均以上と自負している。
しかし、その後の人生で、小説や読書から離れて、職業人、仕事にかまけて、数十年、いま年金生活で心とお金に余裕ができ、小説を読むことができるようになった。
まだ完全な趣味のレベルである。
日々、新聞二紙、多くの図書・雑誌に目を通し、すばらしい世界があったと改めて気が付いている。
結果として、心と頭と体に湧き出してくるのは、このままでは面白くない。もっと、様々な個人的経験を深めたい。
それである。
なにをやるか、それが問題だ。みんな老いも若きも、それを求めている。
多様な個人的経験を深めるとでも言うか。
人生は、あまりにも面白そうなことがたくさんある。