千葉市美術館「とある美術館の夏休み」展関連鑑賞プログラム シュワー・シュワー・アワーズに参加
千葉市美術館「とある美術館の夏休み」展関連鑑賞プログラム シュワー・シュワー・アワーズに参加した。
「とある美術館の夏休み」とは?
シュワー・シュワー・アワーズとは?
ろう者3名、聴者2名が参加していた。自分以外の参加者は手話でやりとりしていて、日本語と手話の通訳は手話通訳の方にお世話になった。進行役も、ろう者の方。
シュワー・シュワー・アワーズについて、みんなで自己紹介、自由にみんなで企画展の対象作品を鑑賞、対話タイム、という流れだった。(作品鑑賞以外は、ワークショップルームで)
鑑賞作品は、千葉市美術館の所蔵作品「ジョルジュ・ビゴー『稲毛海岸』」と、ビゴー作品と一緒に構成された清水裕貴さんの作品
・千葉市美術館の所蔵作品「ジョルジュ・ビゴー『稲毛海岸』」
・ビゴー作品と一緒に構成された清水裕貴さんの作品(美術館の監視係の人々が主役の作品)
作品鑑賞中に考えていたこと。
ジョルジュ・ビゴー『稲毛海岸』
人の多さと距離の近さ、ソーシャル・ディスタンシングという概念がなかった頃
緑の多さ、服を着た人の多さなど、現代の夏の海岸との景色の違い
日本人の感覚と違いを感じるドライな質感の油絵
清水裕貴さんの作品
人々を見ている監視係の身体が透けている→存在感を薄くして人々を見ている
監視係以外の人も背景と重なって描かれている。監視係がいるということは展示空間なのかもしれない。海や砂浜と思っていたものは、それらをコンセプトとした展示なのかもしれない。
作品を離れたところから見ると、監視係や人々の薄さは感じられない。近づいてみないと見えないものがある。
ジョルジュ・ビゴー『稲毛海岸』
海岸で海の近くにいる人々を見つめる視線
ビゴー自身も人々を見つめる視線のひとつ
『稲毛海岸』という展示空間で、人々は何に関心を寄せているのか。
『稲毛海岸』という展示空間を切り取ったビゴーにはどのような意図があったのか。
清水裕貴さんの作品
人々を見つめる監視係、その作品を見つめる自分、自分を見つめる監視係
見ることを通じて、見られていることを意識するということ。見る側であり、見られる側でもある。
夏休みシーズンを絡めると、海遊びに夢中になっていたこども時代は母に見守られていたことを思い出す。見守られているからこそ、自由に遊べる。
清水裕貴さんの作品には、監視係の椅子、その下に設置されたプロジェクター、プロジェクターにより壁に投影されたビゴーの解説テキストがある。プロジェクターの前を人が横切ると、テキスト表示が遮られる。監視係の椅子から伸びるプロジェクターの光を、監視係の視線として捉えるとおもしろい。
対話タイムで話していたこと。
ジョルジュ・ビゴー『稲毛海岸』
着ている服から古い時代のものであると感じられる
人がたくさん描かれていて、人が密集している
清水裕貴さんの作品
監視係が透けていて幽霊のよう
海岸で遊んでいる人々を見守る監視係、こどもの頃に海岸で遊ぶ自分とそれを見守る母を思い出す
監視係の身体が透けているのは過去だから、過去と現在の世界が混ざっている
少しジョルジュ・ビゴー『稲毛海岸』の作品解説
この作品はビゴーが帰国後のフランスで描いた作品であることなど。
ジョルジュ・ビゴー『稲毛海岸』
ビゴーは日本に思いを馳せながら、思い出の地を切り取っていたのかもしれない。
フランス人であるビゴーは、この景色を見て何を感じていたのか?海岸にフォーマルな服装の人が集まっている、そんな服装の人が服を脱いでいる、贅沢な遊び、日本独自の文化や景色
海岸で海の近くにいる人々を見つめる視線、ビゴー自身も人々を見つめる視線のひとつ
ビゴーがこの作品を描いた裏の狙いがあったのではないか
清水裕貴さんの作品
監視係以外の人も背景と重なって描かれている。監視係がいるということは展示空間なのかもしれない。海や砂浜と思っていたものは、それらをコンセプトとした展示なのかもしれない。
発言しなかったけど、考えていたこと(沢山の足跡から、沢山の来場者がこの場に来たこと、沢山の来場者を監視係が見守ってきたことが想起される)
「とある美術館の夏休み」展関連鑑賞プログラム シュワー・シュワー・アワーズを体験してみて
ジョルジュ・ビゴーと清水裕貴さんの作品を通して、監視係や見守る人の視点を考えることができた。美術館で自分を見つめる監視係、ワークショップで参加者を見つめるファシリテーター、こどもの遊びを見つめる母親など。見つめる側にも日常があることを意識すると、より身近に感じられる。
見ることは意識しやすいが、見られることは意識するのが難しい。自分を見てくれている人がいるからこそ自由にたのしめる。
シュワー・シュワー・アワーズならではの体験だと、自分を見てくれている手話通訳の方がいて、体験が成り立っているところに意識が向かうのも興味深かった。影に徹してくれているからこそ、体験に没頭できる。
もっと自分を見てくれている人を意識して、感謝していこう。
監視係のことをたっぷり意識して、監視係の人が描いた「ミュージアムの女」も頭に浮かんでいた。
シュワー・シュワー・アワーズを体験してみて
日頃、ろう者の方とコミュニケーションをとる機会はあまりないので、異文化交流のように違いを感じるいい機会になった。
鑑賞と対話は、手話と日本語という言葉の違いもあって、感じていること・考えていることを共有することの難しさを感じる。慣れの問題もあるかもしれないけど、聴くことに集中していたはずが、多くの情報が抜け落ちていることに驚く。この記事に書いている対話パートも、自分の発言が多め。
手話は体験教室に行って、まずは指文字を覚えるところから、というところで学習が止まっているので、少しずつ学んで実践していく機会をつくっていきたいな。
まずはこちらを見るところから。
千葉市美術館には、昨年の福田美蘭展関連企画「目の見えない白鳥さんと一緒に楽しむ美術鑑賞プログラム」の時も足を運んでいたっけ。
千葉市美術館の畑井恵さんともひさしぶりにお話できてうれしかった。
「とある美術館の夏休み」展の参加作家である清水裕貴さん&井上尚子さんとは、面識があって勝手に親近感を感じていた。
嗅覚への関心は強い方なので、井上さんのくんくんウォークもいつの日か参加してみたい。