2021年の花見:人生の寛解
結婚した当時この公園に桜が植えられた。まだ幹は両手で外周をつかめた。いい天気だったので誘われて、酒を買い、串物を買った。
溶鉱炉の火が夜空に赤く映り、新発田はいくつかの企業があり、周辺の集落から人があつまる企業城下町であった。やがて、工場は次々と閉鎖されていく。僕の小さい頃の父の会社の社内報である。
僕は繰り返し1960年代から1980年代の社会の変化を考える。私たちのあり方が時代の背景を抜きにしては語れないと感じる。
社会は豊かになったが、格差が社会の構造となってしまった。格差や不平等が悪いということではない。その人の努力や能力ではなく、社会の構造となっていることが多くの問題を引き起こしている。自殺やテロが少ない社会の方がいい。個人が適切に評価されない社会はどうして生まれたのだろうかといつも問いかける。
統合失調症の日々
この20年、もう妻とは暮らしていけないと何度も苦しんだ。結婚した当時は酔って家の中で小便をしたり。僕はマユより手間がかかる生きものであった。
そして、母が亡くなって(2016年)からの数年間はひどかった。統合失調症と診断されたであろう暴れようであった。小便はしなくなったが、わけの分からない事を怒鳴り毎日、酒ビタリであった。妻は呆れ、子供は恐れ話もしなくなった。自分でも、おかしくなっていることは分かったが、どうにもならなかった。
アメリカのドラマをよく見るのだが、統合失調症でホームレスになった人たちを描いているものを見る。実際に起っている現実なのだろう。
売上は少なく、先が見えない上に年金は足りないであろう予想がついた。何度も、死んでやるから保険金で我慢しろと怒鳴り散らしては、それでは足りないと言われた。運のいいことに僕は暴力を振るうことはなかった。
バックシートドライバーという言葉がある。車の運転をしている時に、運転方法を指示する家族のことだ。分かっていることを事さらに指摘されると腹が立つ。僕は、これが起こると切れる。わけのわからないことを言い出して、大昔からの出来事を列挙する。もう話にならない。
先に友人と酒を飲んでいて、自分が運転して家族ドライブをしていて、これが起こることは共感された(笑)。
一番ひどかったのは、母が亡くなって(2016年)父の財産(実家の庭と本家の一部の土地)を売り払おうとする兄と叔父の「陰謀(証拠はない)」と戦った頃だ。
妻は、アイツラは、「そんな事を考える人達ではない、親戚兄弟とは仲良くするべきだ」と当たり前の論を言う。証拠がないという。
僕に見えたアイツラの姿は僅かな金額の土地が欲しくて父を施設に入れようとしている輩であった。僕は父を守らなければならないと必死だった。
父が逝去して一年が経ち、遺言を実施して、今の所、異議の申立もない。悪夢を見ることも少なくなった。毎晩の浴びるような飲酒も無くなった。
妻に切れることも少なくなった。時折、導火線にに火がつく、僕の都合でセックスもない(笑)。どうも、セックスレスというのも大きな要素のような気がする。恋人同士が一発やって仲直りというドラマをよく見る。それが支配(共犯)関係(どちらがどちらとも言えない)ともつながることもある。
何か気に入らないことを言われたら、「ああ,そうですか」といえばいいじゃないかいつも言われたが、どうしてもそうは見逃せないことが自分でも不思議だった。
妻には、僕でない人間(他人)には、そんな事(助手席で前の車止まっているからとっとと進めとかいう)は言わないだろうと話しても、彼女には止められない。思わず一言言ってしまうのだ。つまり、僕がバカで言ってやらなければ間違えるから言うのだ。
枕詞に、「アンタはバカで私は優秀だから、教えてあげる」と言う言葉が付くのだ。その枕詞が気に入らない。運転しているのは僕だ、そんな事を言われる筋合いは無い。
一回、僕が大金持ちだったらそんな事をいうかと訊いたことがある。言わないそうである。僕が売上が悪いから、指示しているのだ。妻は「勝手口から入るような女えをもらえ(自分より財産のない女)」とはよく言ったものだ。
統合失調症の事例を見ると、この手のパターンは多い。親が子に生き方を指示して、子供は過食拒食になりリストカットに至る。やがて大きくなると、親とは断絶(影響下を離れ)してケロリと治る。
バックシートドライバー現象で説明できる。
パワハラはまさにこれである。自分が考えている生き方を許されない時にその枠を壊そうとするのだ。
人生は他人を乗せて運転しているわけではない。
問題は、なぜ最近、起こらなくなったのかである。色々と考えるが分からない。父が亡くなったせいだろうか?もう人生のゴールが見えたということだろうか。
こんなものだと、諦めがついた(寛解)のだろうか。
2000年の花見
22歳の娘がまだ赤ん坊である。母は、今の僕より少し年上だ。時が経つのは一瞬だ。娘は頑固ですぐにカッとする。僕を経由した母の血筋だ。遺伝というのは面白い。DNAが細胞のプロトコルだとすると説明がつかない。
しかし、気質が遺伝していると感じることもある。
工場に努めていた頃だ。桜は三列に並んでいる。真ん中の桜一列は別な公園に移された。あっという間に幹は太くなるものだ。
僕より10歳くらい年上の父。会社の社宅の連中と花見をしたのだ。
2014年、母との最後の花見
母は、ほとんど昔のことは覚えていない小さなおばあちゃんになった。この2年後に亡くなる。
2016年の花見
佃煮の瓶に日本酒を入れて持っていって、飲んだ。
母が亡くなって3ヶ月後。そろそろ父は心が癒やされつつあった。僕は相当ひどかった。このあと、警察沙汰を起こす(逮捕には至らなかった)。僕はほぼ壊れていた。医師ゃに行かないでよかった。自分自身で問診しても、病名がついた(笑)。そしてよく効く薬には事欠かない。
何度も弁護士と相談して、父を説得して、妻を養子にして、遺言状を作った。考えうるすべての手を打って向こうの出方を待った。何か有ったらただでは済まなかった。
人は他人を利用して自分の利益を得ようとする。家族というのは、一緒に生きているから、同じ釜の飯をっ食っているから家族なのである。戸籍上の契約でも習慣でもない。僕は父の食事を作り続けた。妻もマユも子供たちも共に食べた。
この体験が「幸運な病のレシピ」なのだ。
2020年の花見
父が亡くなった年(去年)の花見。一周忌(ちょうど今頃)には死ぬ予定だった、遺言のつもりでnoteを書き始めた頃だ。父のジャンバーに杖を持って帽子をかぶっている。やはり少しおかしい。
まだ寛解からは程遠い。
2021年4月1日の花見
このあと、マユに串を一本食われた。道行く人が大喜びである。
楽しげである。昼から飲んでおる。自営業はこれがいい。ん、俺だけか。
ちゃんと夕食を作り、続きをやった。寝ていたら、お客さんから電話が来て、システムトラブル(ハードウエア障害)だという。明日一番に行かねばならない。
困ったことであるが、頼りにされているというのは、まだ生きていていいということだろうか。
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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。