幸運な病のレシピ:血糖値の上がらない「焼きそば」の作り方、食べ方
血糖値が上がらないと言ってもフェイクな麺(コンニャク麺)でも大豆粉の麺でもない。野菜と肉の量を大量にして、1/3の麺の量でも、満足するようにする。
炭水化物は魅力的だ。それだけ食べても魅力的だ。水分を吸って旨味を持ってきてくれる。モヤシを山盛りにして麺に吸わせる。僕の焼きそばは美味しい。この山盛りで麺は一人前なのだ。
モヤシは栄養がないと馬鹿にする連中は多い。
しかし、さっきまで豆だった生命がメタモルフォーゼした姿だ。代謝と常温での化学反応が全く違った形に変わったものだ。
豆には栄養が有るといい、モヤシには栄養がないという。「栄養」ってなんなんだろうか?
1960年代の栄養学は「外から観察でき」て「抽出された化合物(ビタミン、ミネラル)」を与えることで解決する「症状(脚気、壊血病、くる病、鳥目)」を見つけた。それを栄養と言ったのだ。当時の食事は当たり前に素材から作っていた。そして生活が変わり、疾患が現れた。脚気は白米を食べることが一般化したときに現れ、壊血病は長期の航海でフレッシュな野菜を食べれなくなった時に起こったのだ。当時の大発見は「必須栄養素」と言う誤解を生んだ。食物連鎖の中で素材を大事にした食事を取っていれば別に問題はない(症状は起きない)ものだった。それを万病の元は「自分で作れない栄養素の不足だ」という誤解を埋め込まれたのである。
私達は、この時代の大発見に目を奪われすぎている。私たちの恐怖の源は、「商品化された食事(乾燥・抽出・濃縮工程を経た食事)」に取り囲まれていることである。
素材の持っている水分が消えた食事なのだ。
そしてその水分が美味しさとなる。上手に加熱して美味しさを引き出して、その水を食事に活かすのだ。野菜は水と土の中のマイクロバイオームを身体というコロニーに運んでくる。
「生命」と言っても神秘的な力ではない。それは食べ物が持っている「脂質の膜に覆われた数億のタンパク質と脂質の化合物の水溶液」のことだ。
それを大事にした食事=作るプロセスを重視した食事こそ幸せな老後の秘訣だ。
医学はほんの数十種類の化合物をあたかも万能の宝のように言う。身体で作れない必須栄養素を全ての問題を解く鍵のように考える。それは間違えている。エビデンスはないが、現実をしっかりと見つめればわかる。
今では、身体の中に必須栄養素が足りないことではなく、必要な時に必要な場所にないことが問題なのだと分かられている。
しかし、どうやってこの巨大な空間の必要な場所にピンポイントで代謝物を運ぶかという問題は全く分かられていない。そもそも、生命に対してのグランドデザインがない。
食卓の料理は重なり合って一回の食事になる
朝作ったオムレツや昼の唐揚げを添える。とにかく、食事で満足するように食べ物を組み立てることが重要だ。何回かに分けて作ったものを食べる。自分の満足の尺度を考える。
食べきりとかワンディッシュとかあたかも良いことのように書くレシピは多いが、「身体と言うコロニー」にはいろいろな要素が少しずつ入ってきたほうが良い。
できるだけ炭水化物を避ける。炭水化物は代謝系を破壊するような毒ではない。コスト安く満腹になるので食事から「生命」を追い出すのだ。
僕は焼きそばが大好き。粉ものも大好き。
どっさりと美味しさを運んできてくれるのは素敵だ。嗜好品は程々にしなければならないけどね。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。