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幸運な病のレシピ:「後片付け」

いくら頑張っても報われない作業、きれいで当たり前汚れていればボロクソに言われる。

お店の弁当を買って食べる一番の理由は後片付けがいらないからです。弁当の入っていたプラスチック容器が捨てられるのです。後片付けのコストはゴミという形で外部化されているのです。

レストランのシェフ後片付けがあるからは家庭では料理を作りません。僕も後片付けをしないで好き勝手に料理を作っていました。そして妻に嫌がられていたのです。「男の料理自慢」は台所をよこし放題なのです(笑)。

作ってやるから後片付けはお前がしろというのは勝手です。口に合わないもの食わせて、その上後片付けもやらせるとは、極悪非道!

2015年本格的に糖尿病の食事治療を始めた頃、妻が先に死んだら自分ひとりで料理を作り続けられるか考えました。出来ないことに気が付きました。つまり僕の食事療法は僕が作っているわけではありませんでした。

後片付けから、仕入れから皆僕がやると宣言

2016年に、僕は自分で全部やると宣言しました。そうしなければ学べないからです。しかしその後はとんでもない事が起こります。妻や子供は味が口に合わないと食べたがらないし、テリトリーを荒らされた妻は僕にきつくあたります。僕の料理の味や魚や肉のやけ具合に文句を言っては、僕も返します。

結論:皆僕が悪い。食べる人のことを考えて作らない僕が悪かったのです。厨房の支配者は、一番腰が低くなければならないのです。

とにかく徹底的に怒られ続けました(笑)。

食洗機を使っていたけど綺麗にならない(なんか脂っぽい)。ザルに細かいキャベツが付いていた。包丁が綺麗でない(野菜切ったときの洗が甘い)。流しが最後まできれいになっていない。

残念ながら、僕には「綺麗」でも、家族には「綺麗」ではなかったのです。何度切れて「もう止めた」となろうかとしました。しかし、それでは僕は「自立できない」と思い直しては、自分でっマニュアルを心に刻み始めました。

衛生観というのは一人ひとりで違いすぎる、「人に合わせたりすることのできない最も基本的で、重要なものだ」と気が付き始めました。これは魚の焼き加減か何から何までに共通することです。

家族の食事を作るということは、家族皆の内側をともに生きるということです。しかし、私たちの関係は変わります。僕の食事を娘は好みません。自分で作ることも多く、別な家族になったということを実感します。この話は混て別な機会に。

食洗機との格闘

食洗機を「食器を洗う召使い」だと思うと綺麗には出来ません。相手は機械なのだからいくら罵詈雑言しても、丁寧になるわけがないのです。こちらが変わる他ないのです。

アメリカ映画(レイチェルの結婚)で、いかに食洗機に詰め込むかを競うシーンが有ったことを思い出します。効率的に洗うためには一回に入れる量を競いますが、食器の影になって水流がさえきられてあらえないスポットが生じるのです。

食洗機から食器を出すことも重要な仕事です。かつて僕は食洗機から出すことをして来ませんでした。入れ方が悪いと言われても、もう一回「廻せ」ばいいと言って、自分のやり方を変えないで手伝った気になっていました。

家族が怒るのも当たり前です。

食洗機を上手に使うノウハウ

食洗機は、貯めた水を高温にして強く噴射して捨てます。」これの繰り返しなのです。丁寧なモードでは、回数が多く、簡単なモードでは少ないのです。なので、食洗機内に一枚でも油に汚れた皿があると、その油は水に薄められ庫内の壁や皿にまといつきます。これは一回目の排水後に庫内の壁を触ってみると分かります。

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僕は食洗機に入れる前に皿の表面を洗剤の付いたスポンジで撫でる程度に拭います。そうすると食洗機内には油が入りません。ちなみに、食洗機では通常の皿洗い洗剤は禁止ですが、メインで使うのが禁止されているだけです。液体だと一回目の洗いで流されるのと、泡立ちが強すぎるのでトラブルになるからです。拭って皿に付いたまま入れるくらいは問題ありません(と僕は思っています)。

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予洗いをします。洗剤無しで一回水を排出するので残っていた油も綺麗になります。本洗は通常の洗いをします。ここで問題は、食洗機が止まっている時に「予洗い後」なのか「本洗い後」なのかわからないという事です。必ずしもそばに付いていられないので判断がつかない場合があります。うちでは箸を一本洗剤のと入口に入れておいて、洗剤を投入する時に移動させます。

皿と皿の間も重要です。大きな皿を置くスペースは皿が重なりやすいので皿の間に箸やお玉を挟みます。

回し始めると小さな皿や箸が食洗機のスプリンクラー部分にぶつかってしまうことが起こります。皿をミン集めたら羽を手で回してみましょう。また回っていないときは音が違うのでそれも必要です。

後片付けは「褒めてもらえない」のです。

これは辛い、綺麗にできて当たり前、汚れていたはボロクソに言われます。そのうえ、一人ひとりの衛生感覚は違うからどこまできれいにすればいいのか判断に苦しみます。僕は、ザルをほとんど洗剤で洗いませんでした。これなども今では必ず洗剤で洗います。

褒めてもらいたいわけではないけど、評価されたいという気持ちは難しいものです。しかし、スタートに戻って考えましょう。いずれ一人になって人生に向かわなければならないのです。


厨房仕事の重要性

II型糖尿病は食事が大事と言われます。しかしよく考えてみれば、病気であろうとなかろうと食事は大事です。


徒弟的な厨房仕事のトレーニング

おそらく、お嫁さんが家に入った時にまず辛い目に合うのはこの場所なのです。厨房仕事は「徒弟的」にしか伝達できません。マニュアルでは、一人一人の違いを表現することは出来ません。

食事とはまさに一人一人の個性を生み出す見なものなのです。好き嫌いがあり、その家族の遺伝的形質を理解して、その地域の食材をどう調理するのかを私達は厨房で受け継いできたのです。

そして社会の変化に対応して家族というシェルルターは壊されては再構築され、新たな環境に適応して、機能してきたのです。

残念ながら、既に「家族=企業」であった時代は終わりました。私達は朝から晩まで時給で働き、「教育・食事・介護」を行政に委託しました。

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youtubeの動画では100件程度ありました。とは言っても、ほぼすべての動画で後片付けは入っています。余り片付いていない時にやっているのです。

2020/05/20 調理の合間に片付ける


2020/02/21 昨日の片付けが残っているパターン

これは辛い、とは言っても、少ないほうだと思う。

2020/01/06 

2019/06/08

2019/05/25

2017/08/21 この日のコメントは以下の通り

後片付けは難しい。最近の家庭で、料理をしなくなった大きな原因の一つだと思う。なので、僕は、一番最初に後片付けを皆自分でやろうと決めた。
妻は当初、お手並み拝見という感じであった。ところが僕の皿洗いでは、余りに皿が汚くて(何となくベタベタする)、非難轟々である。
家族全員が皿をもう一回洗うようにするのである。
その後苦節1年、今ではクレームもない。
大変だった、しかし、勉強になった。「後片付けの科学」というのは実に奥が深い。一人なら問題はないのだが、何人かが一緒に厨房を使うと問題が発生する。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。