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格差の方程式:憲法が保証する格差
ヒトの社会はいつも格差があった。そしてその格差は政治(法律)が裏付けていたのだ。だから革命が起こった。革命は、既得権益者にとっては恐ろしい。皆殺しになるのだ。中国の戦国時代をの政権交代、近代に入ってからも類例(クメール・ルージュ)は多い。
この50年の公的な教育の徹底は、社会に対しての不公平の不満を「自己責任」に落とし込むことに成功したのだ。
憲法は財産権を保証している。「家賃・著作権・特許」いずれも50年前は大した収益を産まなかった。
土地は農業生産や工業生産(工場用地)に使われるだけであり、経済は閉じていた。ネットで物を買うことも出来なかったし、食べ物の長距離輸送は出来なかった。遺伝子操作された種を買わなければ農業ができないなどということもなかった。それが大きく変わったのである。
50年前には母の実家で長男に狛江市で一軒家を買えた。その時代にうまく不動産を買った連中は今や大金持ちである。都内に土地持っていた農家はセレブな農家に成った。
そして、田舎から出ていった子どもたちは一生家賃を払いながら時給で生活をする。家賃の奴隷である。勿論高級品をローンで買うから自分の未来を大企業に売り渡しているのだ。
使用料が大金持ちを生む
「家賃・著作権・特許」というのはいずれも使用料である。ものを作って交換して信用価値を受け取るのではない。利用した人間から金を徴収できるのだ。それも無制限に手に入るのだ。
鼻歌歌うだけで金取られる時代が来るのかも知れない。
かつて、土地を所有するとは言っても格差は大して大きくはなかった。金持ちと貧乏人はいたが、(今に比べれば)同じ様に貧しかった。殿様も夏は暑く、盲腸になれば死んでいたのだ。同じ様に感染症は人を殺した。
今はどうだろうか?
親が不動産や株式を持っていれば何もしなくとも金が入ってくる。
企業のオーナーに気に入られれば、給料を自分で決められる役職につける。
そして、コネがなければ、最低の時給で働かされて生きる他ない。辛い仕事をさせられて、嫌なら止めろと人扱いされない。そりゃそうだ、そういうアイツラも成績あげられなかったら首切られるのだから。
うつ病になって当たり前だ。統合失調症大いに結構、アンタは正常だ。
しかし、自分が格差の下にいるのは学校でいい成績をとれなかったからだ。資格がないから公務員になれないのだ。中学校でいじめられて不登校になったのもADHDとか学習障害とかの病気のせいなのだ。
決して社会のせいではない。病気のせいだ。革命を起こしても変わりはしない。病院行ってよく効く薬をもらうと良い。
ベーシックインカムというクソな仕組み
ニュースでベーシックインカムを導入すると良いことがたくさんあるという。うつ病がなくなるという本も読んだ(笑)。
ベーシックインカムというのは、格差の下の方の連中に「家賃や薬代や通信費」を払う分の金を「消費税(自分の時給)」から支給るという仕組みだ。
つまり、「大変な貧乏人」に「少し楽な貧乏人」から搾り取った金を補填する仕組みだ。その金は、家賃や通信費やローンに消える(金持ちをもっと金持ちにする)。
それを喜ぶ人も多い。まあ、もらえないよりはいい。けどね、ベーシックインカムっていうのは、「誇り」を奪い、大金持ちたちの収入を保証するための仕組みなのだ。
仕事からもらう時給では生きていけないから自分たちの食事を買うお金の一部である消費税から出させるのだ。
企業の所有者が、自分たちの取り分を減らして、時給で働いている人に分ければいい。
つまり、『時給を上げろ、下請けが十分に支払いができる金額で発注しろ。』ということだ。海外拠点で生産して、地元の従業員を首にして何が楽しい。
「ビスの一つまで吟味してコストダウンを図りました」って自動車メーカーがドヤ顔して上は年収数億である。ビス作っている会社の社員は生活保護を受ける。僕は、おかしいと思う。
神様が何もい言わなくなった現在では変わることは、のぞみ薄である。
「気分はもう戦争(大友克洋さん、矢作俊彦さん)」より
精神科で心を殺す薬もらっているずーっと寝てたほうがいいかも知れない。
段々気がついてきている人達もいる
僕は60歳だ。父と母の世代は、大学行って優秀になることで社会に貢献してお金持ちになるという事を信じていた。「末は博士か大臣か」と言う世代である。今や博士も大臣も格差の上の側にいる。
人の能力はそんなに違いはない。少なくとも「世界の所有者」の持っている富と僕の年収のさほどの差はない。
労働者がいいように時給を下げられたのはグローバリズムのためだ。しかし、もはや元には戻れない。
多くの人は、自分の(格差の下の)人生が、自己責任ではないということに気が付き始めている。何で何十億者貯金通帳の残高持っているのだ?みんなで働いて売り上げた金を独り占めしているんじゃないか?
物買ってくれる人がいてこその売上だろう。買った人にフィードバックしないでどうする。安くなくていいから、共に生きてもらいたいと感じても、それはかなわない。
僕は憲法を学んだ。素晴らしい理念があった。しかし、「ずるい心」はそれを上回る。僕だって父の残してくれた土地に住んでいる。一生アパートに住んでいる人に比べれば格差の上の方だ。決して今持っているものを捨てることは出来ない。
僕らは団結して戦うことは出来ないのだ。
どうすれば程々の格差の中に生きることができるのだろうか
カートヴォネガットさんは「拡大家族」と言う異言葉を見つけた。他人は見捨てられても、家族は見してられないのだ。もしかしたら、そこに道があるのかもしれない。
後は、勝ち組のSNS禁止だな。ワザワザ貧乏人挑発して何が楽しい。お前さんの手に入れた高級ブランドは俺の時給からでているんだぞ!
こういう風になってしまった社会は、多くの遺跡文明のようにテロで滅びる他ない。
次回は「労働組合という格差を支える仕組み」か、「学校教育」か「大学という格差の仕組み」か糠漬けのお話です。
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