血糖値の研究:検査値は災厄の原因なのだろうか?
「政治的に正しい医療」はブドウ糖が細胞を破壊するという。だから、「透析や眼底網膜症、壊疽壊死」が起こるのだという。
2010年くらいまでは分子的な機序が判明すると言われていたが、未だ見つかってはいない。先日、サプリメントメーカーのホームページで「HBA1cはエネルギーを運べない赤血球の比率だ」と訳のわからない事がかかれていた。
相関関係と因果関係
「透析や眼底網膜症、壊疽壊死」が嫌なら薬を飲んで血糖値を下げろという。では、「食事をそのままに」血糖値を正常にしているだけで、不幸な人生の終わりを避けられはしない?
僕はIi型糖尿病という余り名誉ではない病気だ。パスタ少しで血糖値は200mg/dlを超える。
長く医者の言うことを真理だと思い、本を読み勉強した。確かによく効く薬を処方されれば血糖値は下がる。
しかし、僕は血糖値を下げてもらいたいのではない。幸せな死に方を望んでいるのだ。
医学のアウトカム(成果)は検査値の正常化になってしまったのである。
健康診断を欠かさず検査値を測っていけば、いずれ異常になる。そこから先は「予防医学」というフェイクな検査値の正常化のための薬売り(医者)が活躍する。
次には「早期発見」という奥の手が出てくる。自然に治癒する余裕も見せずに、いらぬ治療をする。ガンの統計で、早期発見での手術の5年後の生存率と何もしなかった場合の生存率が同じという記事を読んだことがある。わざわざ金を払って辛い思いするのだ。
I型の患者にとってインスリンは福音である。自己免疫疾患などで生きていく上で必要な「インスリン」という小さなタンパク質を作り出す臓器が動かなくなったからである。しかし、インスリンで血糖値を下げていても、食事をきちんとしないとひどい目に合う。
僕は運良く(まだ)基礎分泌と言われるレベルまでインスリンは作ることが出来る。
幸せな死に方とはなにか
僕の定義では、年老いて死ぬまでの10年を元気に生きて、ある朝ころりと死んでいるのが幸せというものだ。
そんな食事はどうすれば見つかるのかが僕の研究課題である。
とは言っても面倒なことをしているわけではない。食事をしながら、血糖値を測るのだ。そうすると、満腹になった時に、どんな食事で血糖値が上がるかがわかる。2015年の頃大変な回数の血糖値測定を行い、A1cは単なる数字にしか過ぎないことが分かった。同様に、様々な高血糖の病状と合併症の間には因果関係がないと考えるほうが合理的と感じ始めた。
生命の食事
生命の食事と聞くと神秘的な匂いがする。成分を分析して必要な量を食べる食事は科学的に証明された食事に聞こえる。しかし、食材の中の「成分の分析」は乾燥させた(単純な)物質の含有量である。
タンパク質を学ぶと大きなタンパク質は複雑な三次元構造を持ち、脂質などと絡み合いながら整体の内側で機能する。
私達は食物連鎖の中で、食事の中から様々なタンパク質や脂質を受け取ってきていたのだ。調理プロセスは水分を大事にして加熱は適切なものとなるようにしてきた。
それが一気に破壊されたのだ。食事の商品化は効率的な「乾燥・濃縮・抽出」工程を通す。その時点で、これらの構造が失われると僕は考えている。冷凍や、最新の調理技術に関しても要注意と思う。
食べた時の美味しさが違うのがそのエビデンスだ。
アミノ酸のサプリとか食ったとコオロで美味しいお肉を食べた美味しさはない。ネジやビス、部品をいくら並べてもスポーツカーは出来ない。
これから大きく食事を取り巻く環境は変わる。
医学’(権威)が何も私達を幸せにしないことをコロナと五輪は教えてくれた。
自分の命を守っるための食事を見つけよう。
それはどこにも売っていない。世の中で金で買えないものは少ないが、ピンコロの人生は金では買えない。
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