格差の方程式:「聖火リレー」でノベルティ配る企業、かつて企業はパブリックなものであった。
宣伝は、自社の会社の商品売るため、上回る売上があるからされる。広告費は、社員の時給を削って作られた金だ。こういうことに金かける企業の商品は買わなくていい。ノベルティ貰って喜んでいる場合じゃない。
ノベルティは私たちの血の涙
コイツラがばらまくノベルティは、ニートだったり一生家賃を払い続けてローンやリースで、結局は借り物の人生を送る。断捨離とかミニマムとか、聞こえのいい言葉で「一文無しにされる人たち」の時給を削ったものだ。
彼らの毎日流す「血の涙」である。。
企業は利益を上げるために有るのではない
企業は、物を売る。そして売った人たちとともに生きる。私達は商品を買うと同時に企業とともに生きるのである。だから、買った人を幸せにすることに企業の利益は使われるべきなのだ。
スポーツはパブリックなものだ。私達はスポーツを愛する。オリンピックは企業の宣伝の場ではない。私たちの愛を使って金儲けするな。
しかし、どのくらいお金かかっているんだろうか。雇われている人たちって大変だねえ。どういう雇用体系でいくら位貰っているのか知りたいものだ。どうせ拘束時間で割ればとんでもない安い金額である。
もっと、怒ったほうがいい。
イベント系の雇用にはいいのかもしれないが、電通が安く買い叩いているバイト代程度だろう。
この企業で働いている人たちが自分たちの給料を削られてこの馬鹿騒ぎに回されていることを分かったほうがいい。
かつては共に生きる私たちの祭りであった。
お祭りのパレードは、小さく閉じた社会の中でコミュニティ同士が競い合いながら共に生きた時代のものだった。
どの企業でも参加できて、そこで暮らす人たちが主体の「ハレ」の場であった。オリンピックや多くのイベントはこの時代の私たちのメンテリティを利用して金儲けしているのだ。公式スポンサーを一社に絞り、参加料をとり、それで金持ちになる奴らがいる。
パブリックで金儲けする連中である。
『共に生きる』ということが重要である。グローバル化は「製品」をパーツに分解して、下請けに作らせて価格を叩く。コストダウンというのは、結局は下請けの時給を削るということだ。
母の実家はたんす屋さんで、祭りに宝船を漕ぎ出した。
決してパレードが悪いわけではない。
その土地で生きる人々にとって、企業は自分を守ってくれる大事なシェルターなのであった。家庭を維持して、豊かな人生を送るには企業を栄えさせるのは当たり前なのだ。
サーカスの象を借りて、まちなかをねり歩いたという。恐るべき企業広告である。聖火リレーなどあったら何をしていたことか!
問題は、今の企業のあり方である
問題は、今の企業のあり方である。株主に利益を与えるために働いている人たちを犠牲にしている。労働者を団結させないために社員の格差をつける。能力給というマジックである。(これは格差の方程式で今度論じます)
パワハラ・セクハラ、上の気に入らなければお仕置き部屋。諫言すれば裏切り者呼ばわりである。上位に行けば行くほど奴隷色は強まる。下にいる間は「使い捨ての鉛筆」程度ので。どこに行っても一緒である。
この社会は、私達を幸福にしていない。
この変化はこの80年で起こった。父が生まれた頃のあり方と今の社会の形は余りに変わったのだ。
来月うちの近くにも来るからノベルティ貰いに行こう。この馬鹿騒ぎを見物に行こう。末代まで語り継ごう。
世界中の聖火リレーって、こういうふうなイベントになっていたのかねえ。
企業に買い取られた民主主義
もっと問題は、行政が、完全に企業に買い取られたということがということである。
どれだけの役人がこのチンドン屋(チンドン屋さん失礼しました)のために働かされているだろうか?山梨知事は、アタリマエのことを言っている。国家の行事として企業の宣伝をしているのだ。
こちらもひどい話である。
なかなか面白いドキュメントである。へえ、なるほどねええって思えるのだ。
頑張れ、市民のメディア達、新聞やテレビは役に立たない。アイツラもすでに企業に買い取られたのだ。
#幸運な病のレシピ #素材から食事を作る #商品化された食事 #生活習慣病 #糖尿病 #食事療法 #家族というシェルター #グローバリズム #百年しばた
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。