庭いじりの贅沢:池の浄化機(湧清水5型)の濾材交換
池の浄化装置は実に優秀なのだが、定期的(2年に一回)に濾材(11000円)を交換する必要がある。交換のタイミングは、排水の中に「濾材(プラスチックの小さな玉)」が出てくるので分かる。先日から濾材の漏れが出始めたので注文して、交換することにした。
『庭いじりの贅沢』の「心」
地元では、どんどん池を持つ家がなくなっていっている。そもそも庭を潰すのは当たり前の風潮である。
皆アパートにしたり駐車場にしたりする。池を持っているという「資産家」だと言われるご時世である。「資産」とは貸すことでは金を生む所有物のことだ。たしかに売ったら「あぶく銭(あっという間に消える現金)」になるが、持っているだけで金が入ってくる「債権」のことである。
僕のこの「資産」には、金がかかって仕方がない。アパートにして毎月家賃を受け取りたいと東京に住むバカが考えても仕方がない。
ちなみに65歳になった時に貯金は2千万円ないので、「政府の公式見解」では、引退はさせてもらえないようである。老人でもできる仕事を探して、時給で朝から晩まで働いて、家も庭も売って、(断舎離=温和な自殺)の後で生活保護で暮らして、死ぬほかないのである。
しかし、この「資産」は金では買えない物を僕に与えてくれる。金で買えないというのは、僕にしか見えない妖精のようなものだ。怨霊かもしれない。
どちらにしても心療内科に行けば、いい薬がもらえる。
50年前(僕の小さい頃)は当たり前のように、近くの家では庭を持っていた。この町内は当時始めっていたサラリーマン向けの宅地であった。農家や商店の次男三男が、サラリーマンになって家を建て始めたのだ。サラリーマンとは社会の変化で生まれた「階級(?)」なのだ。
緑を眺めて庭仕事をして日々を過ごしていた。そして、家族とともに老いて、小さな老人になり、静かに死んだ。
大きく変わったのは1980年代から土地が金を生むようになってからだ。使用料の発明である。
せいぜいで農地か工場用地としてそこで生んだ金がその土地の価値であった。労働を透過して生産物を作りそれを売ることが経済の基本であった。家賃を生むようになった。水洗トイレとエレベータが高層ビルを可能にして、自動車の一般化が郊外のショッピングエリアを作った。そこらじゅうで土地成金が生まれ、より収益のある姿に土地は変わっていった。
この使用料という概念は、多くの変化が一斉に生まれることで見つけ出されたのである。「経済の奴隷制度=憲法が保証する格差」である。
僕はその変化を考えている。今の私たちの格差や多くの人の苦しみとの間には深い関係がある。直交的ではなくわかりにくいが、それを浮き彫りにすることが解決への第一歩なのだ。
アマゾンが本社をニューヨークに移そうとして、反対され、シアトルに建てたという。かつては、大企業が町に来ることはとてもいいことだと思われていた。雇用が生まれるからである。しかし、実際には格差が生まれ、スラムができる元になるのだ。つまり、金持ちが町を買い占めるのだ。僕はこれを「ゴッサムの法則」と呼ぶ(笑)。すでにニュヨークは金持ちの町になっている。多くのジョーカーがそこにはいる。この変化は面白い。
僕は庭いじりの楽しみを続けることで。『この時代』がいかに歪んでいるかを描きたいと思う。
私達は、決して豊かになったわけではないのだ。
庶民の私達(時給で時間を売って、ローンとクレジットで未来を予約販売して生活する流浪の民:死ぬまで家賃を払い「断捨離という自殺」をして、病院で管だらけになって同じような手術を繰り返して辛い10年を過ごし、施設で孤独に死ぬ)が失ったものを描きたいと思っている。
メンテンしているシステムの月次更新が何とかうまく言ってホッと一段落したので、今日は一日何もしないことにした。いつものとおりである(笑)。実は夕方にトラブルが判明して、死んでしまいたくなって飯も食えなくなるのだが、このときは意気揚々であった(さっきまで)。「今夜は寝かせないぞ」と仕事に言われるのは楽しいことではない。
濾材漏れ発見
濾材とともに、小さな工具を買ったのだが、これが実にすぐれものである。届いたので交換することにした。
前回、色々と勉強した。濾材というのは池の泥を分離するための小さなプラスチックの玉で粒子の大きなドロをブロックするのだ。2年位で浮力が無くなり、排水時に一緒に外に漏れるのだ。構造がわからないと結構ややこしい。今回はスムースにいくといいなあ。まあ、交換は2年に一回である。勉強するチャンスは10年で5回しかない(笑)。
交換は鯉やさんにお願いする家が多いようである。裏の家でも、この型を使っている。ぼくがメンテナンスしてあげている(笑)。イチゴがもらえる。
湧清水(池の浄水器)とは
池には、青藻が繁殖するし、鯉は毎日餌を食べて水を汚す。毎年一回は水を替えないとドロドロになる。
毎年水換えは楽しいものだった。一日がかりで池の「詮」を抜き水を捨てるのだが、時間がかかるので、バケツで汲み出すのだ。大きな樽を借りてきて、中に鯉を上げて水を空にして底を洗うのだ。
昼ぐらいには鯉を皆上げて縁側でお昼を食べる。母が握ってくれたおにぎりであった。5月の連休の行事であった。
やがて、僕も東京に行き、浄水器を買うことになった。そして父も母も亡くなり、僕がこの庭と生きることになったのだ。
前回(2019年)の動画である。
1)古い濾材の除去
まずは、古い濾材を取り除くために濾過室との隔壁を取る。ネジ止めになっているので、落とさないようにしないと恐ろしい。
蓋をとって、濾過室の様子を見ると、古くなった濾材がこんもりと有る。
ポンプを稼働させて濾材を浮かび上がらせる。池側に向かっているパイプは流れ込まないように90度回転させて差し込む。
モクモクと上がってくる。ちょっと緊張する。
金魚用の細かい網ですくえる位まで水上げる。相当な量になる。
おおよそすくったら、排水ロの掃除もする。濾材の下に泥がたまり水が上がれなくなると感圧スイッチが入り排水モードになる。
留め具を外して、水を排出する。U時の配管が間に噛まされているので、ここからは濾材は本来でないのだが、浮力が足りなくなると、沈んでしまい漏れ始める。
水道水を入れて、濾過室に溜まっている濾材を浮かばせて取り除く。
まだ濾材は濾過室の壁面などに残っているので上がってくる。一番下のドレンを開けると。全部の排出が可能になる。玉ネギネットなどを使うといいかもしれないが、持っていなかった。鯉やさんは使っていたかもしれない。
ここはU字の一番下になる。濾過室内の壁には濾材が残っていたりするので、水道水で洗ってやると、出てくる。
この鉄板が、「ノズルプレート」というものだが、実に優秀であった。このズルは、固くしまっていて外れなくて、とったことはなかった。実に簡単にはずれてびっくりである。やっぱり道具は大事である。
古い濾材がこれで皆とれた。
2)新しい濾材の投入
新しい濾材を真ん中の交換口から入れて、蓋をして終わりである。ビニール袋に余裕があるのでこぼさないように入れるといい。
乾燥しているので袋を逆さまにするとサラサラと入っていく。
濾過室にしっかりと新しい濾材が入った。
蓋をしてポンプを稼働する。水の色はまだ汚れているが、ドロの部分は上がってこないで排出される。
せっせと浄化しておる。少し濾材が散らかっているが、すぐに気にならなくなる。環境にどうだろうかと考えるが、まあ、仕方がない(笑)。できるだけ散らかさないようにしよう。
夕方見に行ったら排水されていた。ドロの部分が排出されている。ちょうど雨だったのだが、かなり濁ったいいろの水が出てくるのだ。
このドロは庭にまかれて土を豊かにする。池で鯉が食べて糞をしたドロである。マイクロバイオーム的には最高に豊かな土が生まれるであろう。昨年までは溝に排水していたのである。もったいないことをしていた。
ああ、楽しかった。次に晴れたら池の水を替えることにしよう。昨年の枯れ葉が沈んでいるのだ。
まだ水は濁っていて鯉は見えないが、一匹も死なないで冬を超えた。元気な姿を見るのが楽しみである。
生命とともに生きることは素晴らしい。自分もその一部であるということに気が付かせてもらえる。
濾材の購入でお世話になっているのはトーゲンさん。
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