生命を食べる食事:牡蠣鍋
牡蠣には様々な栄養素が含まれているから食べろと栄養学者や医者は言うが、バカみたいだ。食事は「栄養素」を食べることなのだという結論にたどり着く。そして、牡蠣は食べにくいから「サプリメント」を食べましょうと言うことになる。
しかし、牡蠣には栄養素しか含まれていないのだろうか?
意味がないと医学や栄養学が切り捨てたものは(食品成分表に乗っていないもの)、人が生きる上で「なくとも良いもの」なのだろうか?実験してみればいいのにと思うが、今の社会がその実験だと考えるとぞーっとする。
たしかに牡蠣は食べにくい、調理が難しい。煮過ぎれば縮こまり、フライも火が通っていなければ生臭い。食中毒が恐ろしいから生は怖い(笑)。貝のたぐいは自分を守るために生体毒を作り出す。また、共生するマイクロバイオームも捕食者を攻撃する。
しかし、人は調理という「伝統」を家族というシェルターで維持していた。「調理=食物連鎖のパーツ」を得ることで、生息域を広げた。極北から赤道直下までほぼ同じ形態で適応した。深海の眼のない魚や極北の脂肪が多く体毛で覆われた形態にはならないで生息域を拡大した。多くの生命というコロニーはその生息域に対応した形態となり、やがては相互の「交尾ー>出産」さえもできなくなる(進化・退化という人間中心の擬人化した眼で見ると訳が解らなくなる)。
コアラはユーカリ、パンダは笹、イルカやオットセイは鮮魚と言うふうに加工された食事に耐えることの出来ない「種」は家畜化が出来なかった。最も多く家畜されているのは「ヒト」である(笑)。
体内の代謝系を維持するマイクロバイオームもそれを助ける方向に働いた(かのように見える、擬人化は強く戒めなければならない)。
生命の美味しさ(美味しさは脳が感じるのではない)
牡蠣には牡蠣でしか味わえない美味しさが有る。その美味しさこそが、生命なのだ。僕の「身体というコロニー」の中にいて僕を統べるマイクロバイオームは美味しく牡蠣を食べろと命じる。
しかし、炭水化物は強力だ。美味しくてコスト安く満腹になる。
身体は決して「腹一杯になれば何でも良いからジャンクフード食え」とは言わない。それ以外の選択肢が無いから、そして美味しいから、食べちまうのだ。やすいしね。
食事をインスタントに済まさなければならないことは悲しい現実だ。その上炭水化物は美味しい。だから満腹になるだけで満足しなければならない状況も有るだろうが、なにかのきっかけがあった時(身体が不調になったとき)には、人生の終わりを考えると良い。
僕は美味しすぎる炭水化物が食事から生命を追い出していると思う。毎日の生活を考えてもらいたい。「炭水化物抜きで満腹になる食事」をしているだろうか?そしてそんな食事を取り続けるとどうなるかは生活習慣病の蔓延を見れば分かる。医学が無能なわけではない。無能ならば医師(商売人)があんなに金持ちになるわけがない。
妻が、焼き豆腐とネギと安い牡蠣(200円で1パック)を買ってきた。昼、フライだったのでカキフライはやめておくことにした。春にとれたタケノコの水煮を瓶詰めしたものが最後の一つになっていた。鍋には意外とあう。
僕は、牡蠣自身が海から様々な栄養素を取り込み、身体の中に保持する仕組みこそが重要だと思う。膜タンパクが様々なミネラルや代謝物を受け取り外に漏らさない仕組みがそこには有る。
医学は、組織特異性を維持する細胞のしかけを全く解明してはいない。それが証拠に、同じ機能を持ったものをつくれない。インスリンは血糖値を下げるが、そもそもは豚の膵臓から抽出していた。今は大腸菌に作らせるが、注射は患者の事故リスクでの医療行為だ。低血糖で患者は勝手に(自己責任の災厄)死んだり生涯が残ったりする。
医学というのは、生命の劣悪なコピーでしか無い。
牡蠣の持っている「仕組み」をできるだけ壊すことなく食べるとき、美味しさを感じるのだ。同じ牡蠣鍋でも、小さく縮こまった牡蠣は美味しくない。カキフライにしても食べたときに何か分からないほどに熱の通った物はパン粉のフライのようだ。
あの滋味あふれる「牡蠣の味」はそこにはない。
自分いピッタリの美味しい食事は自分で作るほかない。売っているものに碌なものはない。
美味しくて、満足できて、満腹である。
大事なことは、これは、日常の食事に取り入れる当たり前の技なのだ。どこぞのレストランのシェフの神業ではない。当たり前で誰にでも出来て、毎日続けることのできる技なのだ。
そもそも、今のように飯屋、レストラン、ラーメン屋が林立したのはごく最近である。僕の小さいころは食事は家でしなければならなかった。冷蔵技術・運送手段は発達していなかった。屠殺は腐らない範囲で行われ、町には歩いていける範囲に「八百屋・肉屋・乾物屋・豆腐屋」があった。そして病院はなく、小さい頃から自分を知ってくれている「内科医」が家族とともに住んでいた。家以外で食べることは贅沢と言われ、高級料亭(結婚式や法事で使う)が有るだけだった。当然、「勿体ない」と言う言葉が当たり前に使われていた。テクノロジーと社会の仕組みは相互に対応する。
母はシェフで、シャーマンで、名医で最高の看護婦だった
今では、子供をまっさきに医者に連れて行く。『発達障害・ADHD』といった「関係性の病」においては、原因であったりもする。
少なくとも「拒食・過食・リストカット・依存」を流行させる「病原菌」や不足している栄養素は見つからない。医学の大好きなエビデンスも食事調査もコホート研究も約には立たない。
母が牡蠣アレルギーだったので小さい頃はほぼ食べた事がなかった。東京で料理を作ることもあったが牡蠣を買うことはなかった。毎日酒ばっか飲んでおった。本当に食事のことを考えだしたのは2015年の糖尿病の悪化と失明宣告からである。
下茹での技
下茹でするのであるが、ホタルイカ系の下茹でと同じ様に、沸騰したお湯に入れて再沸騰しかけた所で止めてそのまま1分くらい待って、水にとって洗う。もう一度鍋で煮るのでそんなに長くは下茹でしない。
ホタルイカやサラダにいれるイカを下茹でする時は4分くらいおいておいてから水にとって洗う。そのまま食べる時は時間かけたほうが生臭くならない。下茹でしたあとはよく水で洗うのが大事、生臭さが取れる。
野菜やキノコを煮ていた鍋に、最後にソーッと入れて、少し加熱して完成だ。絶対フットさせないことだ。味をまとめる程度に火にかける。
生ホタルイカが有ったら買うとよろし。一物全体食である(笑)。
揚げ物の日は後片付けが大変だ。