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カマドの神様お願いがあります。

どうか家族がつつがなく年月を重ねますように。爺ちゃんや婆ちゃんが過ごしたように心安らかに老後を過ごせますように。

遠くに旅行など行けなくてもいいから、近所を歩いて散歩して、四季の過ぎていくを見れますように、心が狂わないで「孫、曾孫」の顔を見ることが出来ますように。

そこまで長生きできなくとも、くり返し同じ手術をうけて沢山の種類の薬を飲ませられないで老後を迎えられますように。

自分がいなくなった後も、時折家族に思い出してもらえますように。

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女性が家事から開放されたと言われるがそれは違う。

「飯」を買うようになっただけだ。それまでは収入の多い階層だけが「使用人」を雇って飯を作らせていた。ところが、輸送手段と貯蔵方法が発達して、グローバリズムが、「かまどの神様」を虐殺した

毎日の食事が「お金で買える商品」となっただけなのである。女性は社会において何ら解放などされてはいない。

厨房仕事はめんどくさい。何よりも後片付けが大変だ。食事を食べる連中はまるで殿様のように振る舞う。ぼくが小さい頃はそんなことはなかった。母の作るものに文句を言おうものなからどやしつけられた。

母が作っているのではない。「かまどの神様」が作っているのだ。

マガジン表紙

昨今の「ウルトラつまらないグルメ番組」は「食べる人間を殿様」のように扱う。そりゃあ金払っているだろうし、お客様は神様かもしれない。けどね、それはほんの最近の話だ。

トンデモナイ美辞麗句で料理を褒めるが、それでいくら貰っている?アジを採点して、自分の価値が上がると錯覚している連中の死に様を見てみたい。「かまどの神様の天罰」があたる(笑)。

そうやって料理作くらせて売っているレストランのオーナーは、売った金で外車かて豪遊する。カップ麺や8時に半額になる弁当の仕入れは40%だ。

そんな料理毎日食べてりゃ、身体も壊れる。「生活習慣病」と「商品化された食事」の間には明らかな因果関係がある。

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しっかりと素材から料理を作るべきなのだ。

医者や栄養学者は売られている食事で大丈夫と太鼓判を押す。けどね、「遠いどこかで食べる人のことも知らない労働者が工場で作る食事」と「かまどの神様の食事」を同じものと考えるのは間違えている。

皿の上の栄養素を分析しても、そこには「かまどの神様」はいない。その家に長く住んで、家族を見守っていくれた神様はそこにはいないのだ。

そして、自分の好きなものばかり食べてはならないと貪欲を戒めてくれるのも神様の大事な仕事だ。かまどの神様が作ってくれた食事を取らないということは、そういうことだ。

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僕は「かまどの神様」を見たことの有る最後の世代だ。

かまどの神様は、食事を作る人の身体を通じて現れる。長い年月の中で育まれた家庭という料理をつかさどるシェルタと共にに生きていたのだ。

もう、ほぼ絶滅した。けどね、残念がることはない。

どんなに小さい台所でも、心を込めて願い丁寧に食事を作ればそこに神様がいることに気がつくだろう。

たとえ今は一人でも、家族のことを思い、自分が元気でいようとしていることを願えばいい。

誰も見ていなくとも、神様が見ていてくれる。

かまどの神さま

毎日、捧げもの(調理)をして、後片付けをする。面倒で時間がかかる。スーパーで好きなものを選べばそれで文句は出ない。まずかったら店に文句を言えばいい。けどね、その料理を売っている連中はあなたの身体がどうなっても何も思わない。

かまどの神様は、きちんと一緒に生きてくれる。だから神様なのだ。

毎日お祈りして、捧げもの(料理、お下がりを家族が食べる)して、きれいに片付けて、明日に備えよう。きっといいことがある。

一人になっても、神さにはついてきてもらえるように研磨鍛錬を忘れずに、遠くに住む子供や友人を忘れずに、もういなくなった家族を忘れずに。

今日も僕は、かまどの神様にお願いをする。

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神さま

「気分はもう戦争」矢作俊彦さん、大友克洋さん より

神さはもう何も言わなくなった。けどね、「沈黙が不在の証明」だとは思わない。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。