糖尿病の病理学:多飲、多尿、口乾
2011年位のことだっったと思う。新潟に事務所を作り生きるか死ぬかの大博打の頃の話である(注)。
寝ていると、喉が渇くのである。明け方喉がバリバリと音がするくらい乾いて、痛み、四つん這いでトイレに行って水道の水を飲む。
明け方に事務所に向かう、40分くらいの間にコンビニに2回寄ってジュースを買う。そのまま24h営業の牛丼かお弁当のお店に行ってお腹いっぱい食べて事務所に着くとトイレに直行である。おしっこの量が只者ではない。
口乾きは辛い。
喉が渇くなどという生易しいものではない。バリバリと音がすすくらい粘膜が乾き、「つば」もでないのである。
酒を飲んだ時に喉が渇くことがあるかもしれないだ、そんなものではないのだ。スーパーに行っても、ドリンクコーナーで給水器で水を飲むし、家の冷蔵庫には2リットルのペットボトルに水を冷やしてく。
電車で移動する時は必ず駅でトイレに駆け込む、プールでも泳いでいる途中にトイレに必ず行かないと駄目だ。30分持たないのである。当然大量に水を飲む。一度電車で1リットルか750mlかなあ)のペットボトルをラッパ飲みしている人を見たが、いいアイデアだと思った。
治療を中断してしばらく経っていた。
記録を見てみると、08/11/28が最後の通院であった。毎月、病院で血液検査をして、処方してもらい忠実に薬を飲んでいた時は、そんなこともなく、快適に生きていける。生活習慣病というのは恐ろしい。医師のよく効く薬は症状を消すのだ。合併症以前の症状は、致命的ではない。だから医者は合併症が怖いと脅かす。
この頃は、まだ合併症という言葉を信じていた。だから怖かったが生きるか死ぬかの大博打の最中であったから10年後の合併症などはどうでも良かった(笑)。
2011年ぐらいからの糖質制限で一変する
ほぼ100%糖質をとらなくなったのだ。なんと、喉の乾きが消えたのである。僕はこれを第一期の糖質制限と呼んでいる(笑)。
とにかく驚いた。糖尿病の治療をしていないのに、症状が消えたのである。当然「多飲・多尿」も無くなった。
人生は我慢大会でも耐久試験でもない。
しかしこれは当然といえば当然なのだ。血液中の何らか「代謝物の閾値」が上がりすぎればそれを尿に出そうとする。血糖値が180を超えるくらいになると尿に糖が出る。それでもどんどん食べ続けると300-400くらいにまでなる。そしてそのブドウ糖を体外に押し出すために水を飲まねばならないのだ。当たり前の反射だということである。今の僕は、おおよそ一時間で10mg/dlのブドウ糖が筋組織と脂肪組織に取り込まれて落ちる。食事開始時点で130mg/dl位だったら200mg/dlを超えるくらいで落ち着いてそのまま何も食べないで6時間間があくとまた130mg/dlぐらいに落ち着く。血糖は毒でないとわかっているが、生命に溢れた食事をするためには炭水化物で満腹になるのは余り懸命ではない。しかし、好きだ。時折がツンと食べる。
II型糖尿病と言われるあまり名誉でない病気は「食事に対する身体の当たり前の反応だ」と考える切っ掛けになった出来事である。
糖質制限が日本で流行り始めたのはこの時期であるが、まだ医学界(糖尿病治療での利権集団)は否定的であった。一部の医師が主導して始まるが、やはり彼らの収益源は「医療」なのだ。患者の生活を変える事ではないともわかった。
糖質制限が次のステップに入るきっかけでもあった。
血糖値は下がったのだが、またもとに戻るのである。流石にこの時期ほどの状態ではないが、もとに戻りはじめて行く。
そして「2015年の失明予告」に結びつき、今の生活を見つけるのである。
血糖自己測定と言う武器で自分の身体を調べ始めるのである。
しかし、このときの経験がなければ、眼科医に手術とインスリンの治療を進められた時、もう一度頑張ろうとは思えなかっただろう。
「バーンスタイン博士」との出会いはまだ先である。
生きるも死ぬも、自分である。
自分お身体には自分で向き合うほかないのである。権威の言うことを聞いても何もいいことはない。主治医は自分なのだ。医師の意見はセカンドオピニオンであり、彼らは薬を売り手術するのが商売なのだ。
学び、専門家と同じ様に知識を得て自分の身体を見つめねばならない。
家族という「私達を守るシェルター」が消えて、拠り所が無くなった。医師は家族の「代わり」にはならない。
家族という「欲望を閉じ込める檻」も消えた。だから好き放題しても誰も諌めてはくれない。しかし、貪欲にはお返しが待っている。信じるか信じないかは別だが。
神様という共通の価値はもう無い。しかし、食事の価値を信じることで僕は厨房にいる神様を見つけた。それは僕を慈しんだ父母の姿である。
注)合併症という言葉を信じていた
高血糖の状態と、「腎不全、失明、壊死・壊疽」の間に因果関係があると医学は考えているので、血糖値を闇雲に下げようとする。多くのサイトでは血糖が毛細血管をボロボロにすると言う。糖尿病治療のアウトカムは血糖値の安定化なのだ。それが合併症の防止になるというのが基本の考え方だ。
しかし、血糖値が身体を壊す毒であるという「分子生物学的な機序」は見つかっていない。。僕は「商品化された食事」が本質的な原因であり、「高血糖」と「合併症」は相関関係は有るが因果関係はないと考えている。つまり、「腎不全、失明、壊死・壊疽」は食事に由来する重要臓器、組織の致命的な破壊であると考えている。
だから、毎日素材から食事を作っている。自分と家族のために作っているのだ。「幸運な病のレシピ教」である。
細胞内の最終糖化物質が悪いなどという輩もいるがどう悪いかは分からぬまま随分時間が過ぎている。分子生物学的機序が見つかればその薬で大儲けなのだが見つからないようだ。探しものはそこにはないのだ。
この話とも関係します。
注)新潟に事務所を作り生きるか死ぬかの大博打の途中であった
10年お付き合いしていた会社とシステムのリニューアルの話し合いをした。次の10年を考えて人を雇い、事務所を開いたのだが、大きなトラブルになった。死ぬかと思った。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。