幸運な病のレシピ:トマトの季節
濃縮j還元の果汁ジュースを見るたびに、憂鬱になる(もう長く飲んでいない)。濃縮工程は、水分とともに食材の中の水を蒸発させるのである。その時点で、細胞内の多種多様なタンパク質や脂質の姿は一変する。だから不味いのである。食事の商品化が、メーカーに利益多く私達に「満腹」しか産まない食事を提供する。
濃縮還元は、タンクで輸送するにはコスト安くなるから良いのだろうが、それ飲んで野菜とっている気になっている方々にはご愁傷さまである。コスト安く(利益多く)するために食事の質が落ちる。
トマトは手間なのだ
トマトというのは意外と作るにも食べるにも手間がかかる。まな板を専有するし、包丁が良く来れないと潰れる。食べるにも一個丸々では飽きることが多い。かぶりつくのもいいが、飛沫が飛ぶ。ミニトマトは「頬張って」はならない。食卓で噴出したら一発レッドカードでペナルティボックス行きである。
マヨネーズもいいが、一手間かけると美味しい。
料理は一手間である。最初からそういうものだと思えば面倒でもない。自分の未来だと思えばなんということはない。難病の治療だと思えばこんな楽しいものはない。
今日はセロリの酢漬けとニンニクを微塵にしてペッパーと塩で酢をたした。このままバケットに乗せても美味い。ニンニクの微塵はトマトに合う。
トマトは強烈だ。食べた感がある。定食屋で1/6カットの少し硬めのものを食べても満足である。そして当たり外れも多い(笑)。
メバチカツオの薄く切ったカルパッチョである。香味野菜はないがトマトでも十分美味い。メバチマグロは脂が弱いので値段が安いし、あっさりしているが、我が家向きである。
昨日遅くに昼のさぬきうどんを食べた。トマトさぬきである。
マユも大好き。あと一息である。
レトルトカレーも食べた(笑)。
今日の昼飯はトマトタップリのパスタ
炭水化物テストを僕は考えた。生命が溢れた食事かどうかの確認である。パスタや御飯を食べないで満足できるかだ。売っている弁当やお店の食事からご飯やパン、麺を抜いてみれば分かる。
僕のパスタは美味い。とにかくタップリの野菜と肉をジックリと火にかける。味がフライパンの中で一つにまとまっていく。
パスタは、美味しさの接着剤だ。毒ではない。商品になった食事は利益を出すために生命を追い出すのだ。
ドッグフードみたいな食事ばっかしていると「辛い人生の終り」が来るのだ。
あ、温玉入れたらカルボナーラになった。
一箱800円のトマトが出回り始めている。
妻は毎週2回はトマトを買う。一日4子は食べるから、週2回位は行く。買い出しはとても大事な仕事である。安くて美味しいところを探さなければならない。僕はレジに並ぶのがどうも苦手で、行くスーパーはレジの待ち時間が短いスーパーである。あとはいい魚が有るスーパー。地元に一軒ある。
もう少しするとこの倍の量が冷蔵庫にあふれる。
家で作っていたこともあるが、それでは足りなのである(笑)。地元のトマトが出回り始めると拾に嬉しい。味が違うのである。
トマト一箱800円である。家で調理しなければこの満足感は味わえない。
マユのご飯、セロリの酢漬け、地元の納豆、毎日つくる料理、でいっぱいである。
10年前に妻と冷蔵庫を買いに行ってあまりに野菜室が小さくなっていておそろいたことを思い出す。おまけに野菜室が真ん中の段の商品が少ないのだ。ケータリングのおかずを入れる程度になったのだ。
冷蔵庫が世界を変えたのはそのとおりだ。そして。変わった世界が新しい形の「家庭用」冷蔵庫を求めたとも言える。冷蔵庫の歴史はまたいずれ。
新しい天体
刺し身が残ると、父は醤油につけて「ヅケ」と呼んでいた。醤油の味が染みて温かいご飯で少し緩んで、醤油がご範囲染み込んで、極楽である。今日は、温玉があったので、カルボナーラにした。あたらしい新しいご馳走である。
開高健さんは「ご馳走の発見」は新しい天体の発見などと比較にならないという。そのとおりである。毎日の食事は、同じ様に作りながら、食材の旬は変わり、身体も変わり、変わった身体で世界に向き合うために、家族の食事をつくる。
秋に葉が落ちるように、僕もいつか死ぬ。その時まで、食事をたいせつに生きようではないか。
食事の中の生命を大事にすれば、食事の中の生命も大事にしてくれる。それこそが、輪廻転生であり食物連鎖なのだ。
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