五輪反対をいい出した文化人の醜悪さ
何を今更言っているのだ。こういう連中は不愉快だ。上野千鶴子なんてまさにセレブな文化人である。庶民を殺す側の論理的指導者である。お一人様などとスカしたことを言っているが、タワマンに召使いのように介護職員を呼ぶであろう。不愉快を額に入れたような写真である。お見事朝日新聞。
オリンピックはやればいいのである。
誘致決定から、僕は反対してきたが、それはオリンピックが「パブリック」が生んだ「格差の象徴」であるからである。ここまで反対意見がでてきたならば、今度はその意味を忘れないことだ。
コロナ対策に関しても同じ、コロナという専門家が作り出した「フェイクな災厄」に対しての問題だと思っている。やがてはっきりするだろうし、ワクチンによる死亡した家族の怒りは収まりはしまい。
コロナでバタバタ人が死んでいるように言うが、そんな事ない。身の回りで、で何人死んでいる?
僕の知り合いでは、平均年齢以下でコロナで死んだヒトはいないがワクチンで熱出した人はいる。ワクチンでの『発熱や腕の痛みの延長に死亡」があることを分かっているのか・
医療現場が逼迫しているというが、ICUは人を蘇らせる魔法の小部屋ではない。ICUがコロナで独占されて困るのは臓器移植で利益を得る大金持ちばかりである。コロナなどフェイクな病でワクチン売る連中とそれの派生で設けている連中がどれだけいるか。
コイツラは皆お仲間なのだ。陰謀論である。
スポーツ選手は、企業からの寄付で飯食っておる。それが悪い訳ではない。だれでも自分の力を評価してもらうことはいいことなのだ。問題は、アスリートだけではない、芸人やもそうである。
会社の社員でも自分の力が無くなったあとでどの様に生きるかである。実際は、「年金」という仕組みを設計されたのである。
問題は、引退後のアスリートが何を元に飯食っていくかである。
コーチのような仕事や、大学の教授、競技団体の役員、国会議員、いづれも何も作ったり売ったりしない。税金で給料にしたり、現役選手の売上をピンはねする。もっと酷いのは天下り役人である。ICQやJCOがどれだけ金をあきあげている。
猿回しは、投げ銭盗んで猿に菓子をやる。
この問題は、引退後の人をいかに養うかという問題である。私達はかつて、家族を見捨てなかった。共に生きて共に苦しみ、共に死を見送った。
残念ながら、既にそうではない。
大学が求められている役割
上野千鶴子が不愉快なのは、「大学」という制度が、私達庶民に求められている役割を忘れているからだ。このお偉い方は、そもそも考えもしなかったのかもしれない。
1960年代に大学は自治と言う形で社会に発言をしてデモを行った。自分たちが生きる未来を伝えたかったのだ。しかし、政治(官僚)は自分が誤っていることを指摘されるのを嫌う。
つまり、自分が正しいのだということを決めてしまうのだ。そして、大学を紐付きにして、理事会を強力にして、学生を過激派にした。格差を助長することで自分たちが豊かになたのだ。
もちろん一部の学生(企業のご子息や高級官僚の子供)を支配する側に置いて、自分たちの利権を守ろうとした。しかし、それが問題ではない。だれでも自分の未来を安楽にしたいのだ。その安楽さが「他人の絶望」で作られていることが問題である。
そしてそこで力を持ったのこそが「パブリック」と言う概念である。言い換えると「行政」のことなのかもしれない。公平で平等に扱う。しかし給料は自分で決める。そして世界の所有者の手先である。
この考え方は「スターリニズム」と言われる。
権力者が「正しいという理論」が正しいということになるのだ。コロナでも、専門家会議が出した結論が絶対の真理である。
反対するものは「異端」で「陰謀論」で犯罪者か病人である。
星占いの昔から、専門家は為政者の求める答えを出す。
1980年代はまさに大学が変質して言った時代だ。上野はこの時代に上手く立ち回り、金のなる木を掴んだのだ。
学術会議が学問の自由を殺したのだ。補助金と学生が借金(奨学金)をして払っている金は世の中を良くしてもらいたいという庶民の望みであった。
しかし、権力を正しいと太鼓判押すのがアイツラ(格差の上の側の学者連中)の仕事になった。科学を求めていた人たちもいたのだろうが、高い給料には勝てない。学者は金で買われたのだ。おそらく1980年代に分水嶺が有る。
しかし、この女、本当に上から目線で腹が立つ。自分たちが政府にお墨付きを与えて、大学教授としての給料をもらい、必死で世界を変えようとしている学生たちをいびり殺したのだ。そのうち時間があったら、この女のやった犯罪を書きたいものだが、時間がもったいない。
こういう奴らの言うことを聞いていると命が危ない。
そしてそれ以上に問題なのは「こういう輩」を偉いと思う僕らの奴隷根性だ。
僕が素晴らしいともうのは青木雄二先生である。尊敬している。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。