Tristan und Isolde 徒然⑤ 前奏曲冒頭のヴァリエーション その1
前回記事で取り上げた前奏曲冒頭部分は、そのヴァリエーションが全曲中に4回現れます。最も印象的な音楽ですので、これが現れると誰もが特別な感覚を覚えます。出現箇所のシチュエーションを探りながら、音楽的にどのように展開されているのか見てみたいと思います。長くなりそうなので4回に分けて語っていきます
ヴァリエーションの一つ目は全曲中で大きな転換点となる、1幕5場トリスタンとイゾルデが死の薬、もとい愛の薬を飲む場面です。まずは前奏曲冒頭の楽譜をご覧ください。今後の話を円滑にするために3つのセクションに分けることにします。
そして薬を飲む場面の楽譜は以下。
p.88/2段目より「眼差しの動機」が上声部に、「憧れの動機」の最初の部分がホルンとバスクラリネットに現れます。「憧れの動機」は前奏曲開始部分の「ラ」ではなく「ラ♭」です。前奏曲のクライマックスの部分と同じ和声になっています。
イゾルデの
"Ich trink sie dir"(お前のために飲もう)
がその「憧れの動機」そのまんまですが、動機の最初の部分はトリスタンを表すと言われています。トリスタンの音形をイゾルデが歌うと思うと、イゾルデは2人の愛の成就を願って飲んだと解釈することができそうです。
急速に落下した音形から
Fø(ファド♭ミ♭ラ♭)
だけが残ります(4段目Langsam)。全ての持続音は前奏曲のセクション1で出てきた時より引き伸ばされています。
その4小節後、チェロの下降音形がかすかに聞こえてきますが、飲んだ薬液が二人の喉から体内へ落ちていく描写音楽です。ヴォーカル譜はレガートで書いてありますが、実際はトレモロを伴っています。
ト書きに「二人は戦慄にとらわれ」と書いてある部分の音楽は一種の不気味さを湛えています。ここ印象的ですけど一般の解説ではほとんど触れられていません。先ほどのチェロのトレモロ下降と対照的にヴィオラのトレモロ上昇音形が聞こえ、ファゴット、バスクラリネットの鈍い響きが続きます。明るいんだか暗いんだかよくわからない響きです。
Fø(A♭なし)→E♭m/F →A/F → F₇ → E₇
という進行。
バスクラリネットの最後の「ソ#ーラドーーシ」は「運命の動機」の最後の部分を思い起こさせます。
ここからやっとセクション2に入ります(ヴォーカル譜p.89/1段目/3小節)。前奏曲と同じようにチェロからの入声になりますが、そのタイミングは3拍目からで持続は引き伸ばされています。
その後ティンパニのトレモロに導かれて二人は震えます。ここに出てくる「痙攣の動機」(p.89/2段目/4小節)は全曲中、ここと3幕途中、たった2回しか現れませんが、その音楽はあまりにも印象的です。Fo Fø Bø Boを行ったり来たりしながら震える様子を描写的に捉えています。(ちなみにFとBはポピュラー音楽でいうところの「裏コード」の関係に当たります。第3のヴァリエーションでは「裏コード」のという用語を使っての説明になりますので、興味のある方は調べてみてください。)
3段目6/8拍子になった箇所はト書きに「手を再び額にあてる」とあります。セクション2のトリスタン和音A♭øからの進行がもう一度、ヴァイオリンのトレモロでかすかに鳴り響きます。
「それから二人は再びお互いを視線で求め合う」となる箇所からがセクション3になります。ここはチェロに加えヴィオラも演奏に参加します。前奏曲では持続の変化が 4→3→2 と変化することは前回説明しましたが、ここでの持続の変化は 6→4→2 となります。
ここで特筆すべきはハープが鳴ることです!!!!(ヴォーカル譜3段目最後)実はハープ、前奏曲の初めからここまでずーーーーーっとお休みなのです。まさに二人が愛を確認するきっかけになる瞬間にハープが聞こえるわけです。私も稽古の時、このハープには特別な思いを込めて演奏するように言っています。
この後は前奏曲の音楽と同じものが再現されて二人の言葉の交わし合いへとつながっていきます。ただしp.89/5段目/1小節のヴァイオリンが前奏曲より1拍長く書いてあります。ここは微妙な変化を求めたワーグナー先生のことですから、この楽譜どおりに演奏するのが良いのでは、と私は考えます。
というわけで「トリスタンとイゾルデ」という劇(Handlung)で最初に大きな転換点となる場面を紐解いてきました。次回は第2のヴァリエーション、マルケ王の嘆きの後の場面を見ていきます。