東京マラソン2020クラウドファンディングに挑戦しています #走れこはた
4月から始まった東京生活も今日で4ヶ月が経ちました。まだ少し先のことではありますが、東京生活の最後を締めくくる2020年3月に向け、ある挑戦を始めました。
7月22日から、東京マラソン2020チャリティのクラウドファンディングに挑戦しています。
東京マラソンチャリティとは?
東京マラソンにはチャリティランナーという部門があり一般エントリーとは別枠で、大会が指定するNPOやNGOなど約30ある寄付先団体へ寄付することで出場権を得られます。その中でも個人、法人で寄付するものとクラウドファンディングで支援を募って寄付をする2種類に分かれ、僕はクラウドファンディング部門で今回の東京マラソンへ挑みます。
出場するためには、7月22日〜9月13日の2ヶ月弱クラウドファンディングを行い、支援額で上位300名(※10万円以上)に入ることが条件です。
僕は今回のクラウドファンディングで、寄付先に「意欲と創造性をすべての10代へ」をミッションにキャリア教育事業を行う認定NPO法人カタリバを選んでいます。
どうして“NPOカタリバ”へ寄付?
そもそも、僕が今回東京マラソンにクラウドファンディング部門から出たいと思っているのは、寄付先であるNPOカタリバの人たちに高校生の頃から背中を押されてきたからです。
(画像出典: 認定NPO法人カタリバ)
2人に1人が「自分は人並みの能力はない」と言い、
3人に1人が「孤独感を感じる」と言う。
5人に3人が「自分はダメな人間だ」と思っていて、
5人に4人が何だか疲れている。
そして、5人に3人が「自分が参加しても社会は変わらない」と言う。
これが、世界第2位を誇る経済大国日本の、明日を担う高校生たちの現状です。
この文章は、NPOカタリバの創業期のストーリーが描かれた著書「『カタリバ』という授業」の「はじめに」より抜粋したものです。
自己肯定感が低く、未来に対して希望を持てずにいる人が多いと言われる日本の10代に対する課題意識から2001年に慶應義塾大学総合政策学部(SFC)の学生だった今村久美さんが中心となり立ち上げたNPOカタリバ。
大学生ボランティアたちが高校へ出張し、将来を考え始める世代の高校生が大学生とともに対話しながら“自分の未来”について考える「カタリ場」事業からスタート。
2011年3月11日に東日本大震災が起きたのちには、被災地の子どもたちの居場所づくりとして岩手県大槌町と宮城県女川町に放課後学校「コラボスクール」をつくりました。
僕自身、震災後の3年間、高校生時代を石巻で過ごしたことがカタリバと出会う大きなきっかけに。
カタリバの人々が、震災後にコラボスクールを立ち上げ子どもたちの居場所づくりをしていく中で浮き彫りになったことは、自分の居る地域に対して希望を持てないまま高校・大学という進学のタイミングで地元から離れてしまう人たちが多いということ。
これは、震災というネガティブなことが起きたことで課題になっただけでなく、あらゆる地方において同じ課題があるということを震災後の東北が浮き彫りにしたのでした。
(画像出典: 認定NPO法人カタリバ)
一方で、コラボスクールを含めて、被災地沿岸部では震災復興のために活動する大人たちの元に集まってきた10代が至るところで「地域のためにアクションを起こしたい」と想いをもち自分のできることを始めました。
そこから始まっていったのが、自分の興味のあることと地域や社会課題の重なる部分にアクションを起こしていく「マイプロジェクト」であり、各地でマイプロジェクトを行う高校生が集うカタリバ主催の全国高校生MY PROJECT AWARD(通称、マイプロアワード)でした。
僕自身が当時沿岸部で「地域のために自分のできるアクションを起こそう」と行動していた10代のなかのひとりでした。
2013年、高校3年生の時に『高校生世代から見た「石巻」』をテーマに、自分たちでインターネットを使って発信していく高校生団体くじらステーションを友人たちと立ち上げました。
活動していくなかで出たのが、2013年初開催だったマイプロアワード。第1回、“たった18人のため”の全国アワードに集まった高校生たち、そして当時10代だった僕たちの背中を押してくれたカタリバの大人たちが、僕にとってその後の人生で語っても語り尽くせないほどの出会いになりました。
あの日の夜、宿泊先の部屋で同い年の高校生たちと自分たちの未来について熱く語り合ったこと、枕投げをしたこと、カタリバスタッフや審査員の大人たちから受け取った言葉は、今につながる原点になっていると感じるのです。
悩んだ先に再び走ることを選んだのも、今Runtripでインターンすることを選んだのも、未来のことを語り合える同年代がいるのも、原点はあの場に集まった人たちと語り合った日があったから。
あれから6年経ち、マイプロアワードも“たった18人”から、全国500を超えるプロジェクトが集うようになりました。小さな気になるやこんな自分になりたいと思う多くの高校生が行動を起こし、地域や身の回りの社会が少しでも動くようになったのは、カタリバが10代の未来を誰よりも真剣に考え続けて背中を押してきたことの結果ではないでしょうか。
2016年3月、全国高校生MY PROJECT AWARDで再び集まった
あの日の僕たちも今年24歳になります。地方で起業する人、メディアでマイノリティについて発信する記者、好きなことを仕事にしようとする人。それぞれが、自分と向き合いながら生きています。そんな僕たちは、10代のあの時まさしくカタリバという存在に背中を押されたのでした。
どうして“東京マラソン”を走りたいのか
ところ変わって今。
東京マラソンを走りたいのは、もちろんシンプルに走りたいからとしか言いようがありません。
ただ、そこにも想いはあって。
僕は高校時代足の大怪我をきっかけにに陸上を諦めました。そして2年前、再び始めて、高校時代に出せなかったタイムを出せるようになりました。
けれども、それ以上に僕にとって大きかったのは「走ること」を通して多くの人に出会えたことだと思います。Runtripの人たち、noteランニング部の人たち、底上げマラソン部の人たち、東北風土マラソンの人たち…。
僕が走ることを選んでよかったなと思うのは、シンプルにそんなことだと思います。
そして、その選択をしてきた原点には、あの日カタリバの大人たち、未来を語り合った同年代がいたからだと思うのです。
自分が高校生の頃から出会ってきた素敵な人たちに感謝を伝えられるのは、やっぱり走ることです。そして、東京生活の締めくくりの3月だからこそ、東京で僕を応援してくれる人たちへ一番自分の姿を伝えられるのは東京マラソンだと思うのです。
長いながい文章になりましたが、これが東京マラソンに出たい僕の率直な気持ちです。
2020年3月1日東京マラソンを走りたい僕に応援してくださる方、そして教育を誰よりも考え10代の心へ火を灯すNPOカタリバを応援してくださる方、1,000円からご支援いただけますので、寄付をよろしくお願いします。
▼支援はこちらから
https://www.runwithheart.jp/charity_sheet/22792
P.S. ちなみに、今noteランニング部でお世話になっているオトバンク社長の久保田さんを知るきっかけになったのはNPOカタリバなのです。カタリバは、カタリバランナーズとして毎年24時間リレーマラソンに出ていて、2013年そのメンバーの中に久保田さんがいたそう。
2014年にカタリバの今村亮さんが「日本最速の社長」のインタビュー記事をfacebookで「一緒に走った人」とシェアしていて、経営者でそんな人がいるのか…いつか会ってみたいと思っていました。
時は経ち2018年、オトバンク女子陸上部が創設された際に久保田さんの走り始めたストーリーをみていて、過去に読んだその記事とあまりに似ていて「もしや……?」と思い調べてみるとやはり、当時読んだ記事の人は久保田さんでした。
2014年から5年、あの時この走る社長に会ってみたいと思っていた方には期せずしてオトバンク陸上部、noteランニング部という接点で会うことができたのでした。
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