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愛されることを受け取ってもいい
はっきり言って、自分は「闇」とか「影」のある人間だと思う。できれば明るく平和に生きていたい。言葉を恐れずに言えば誰にでも愛されるような人、幸せそうなものへの憧れもある。
そういった「愛嬌」が自分のなかにあることもわかる。しかし、自分の持つ影や闇の部分により、本当に愛されるに足る人間なのか、自信を持っていいのかグラグラと揺れてしまう。
昨日、書店で手に取った小説「52ヘルツのクジラたち」は影を持つ自分ゆえに共感した物語だった。
主人公である貴瑚(きこ)は幼い頃から母親による虐待を受け続け、21歳の時に母親から離れられるまで、生きていながら死んでいるような空気感が物語には流れている。その後の恋人が豹変していく様や大分の漁村で暮らし始めるシーンなどは、閉塞感が漂いこの世のどこに自分がいるのだろうかと思うような感覚になる。
貴瑚を救い出すきっかけになるアンさんや美晴、大分の漁村で出会った虐待を受けている少年、それぞれも影の部分を持っている。
親から虐待を受けたり、こうでなければならないと規定された経験はない。しかし、親との関係性の拗れやセルフネグレクトの経験があるからこそ、物語に流れる雰囲気や誰かに救われることの大切さは身に沁みて共感できた。
親から暴力を振るわれたことはないし学校に行けなくなるようなことはなかった。しかし、家庭の金銭的な事情で周りの友人が親からしてもらっていることが受けられなかったことがあった。また、高校生くらいまで母親の体調が悪いことも影響して、一般的に親の愛情を受けて育ったというところからは離れていた。「虐待」や「ネグレクト」とまでいかずとも、いろんな事情が絡み合って家庭内の雰囲気はあまり良くなかった。
また、人生への諦めという視点では、大学3年生から留年をしていた時期まで自暴自棄になっていた頃があった。大学2年生の頃、学生団体の活動の延長で起業したいと思っていたが、上手くいかずズルズルと時間だけが過ぎていった。致命的なのは周りの大人から良く思われていなかったことだろう。信頼関係が作れず、自分から壊していった。結果として身動きが取れなくなり、自暴自棄になって将来何をするかについて全く希望を持てなかった。東北の大人たちとの関係について、正直今でも気まずいところが一部ある。この闇のような期間については、本当に書くべきか悩む。肩書きは大学生だが、年齢だけが上がっていく。在学しているだけで無職のようなものである。お金が無さ過ぎたこともあるし、クレジットカードが使えなくなったこともあった。今思うと本当に闇だった。
自業自得ではあったが、この世のどこに自分は存在しているのか分からない。生きていることが苦しい時期だった。
「52ヘルツのクジラたち」へ話題を戻すと、そんな自分だからこそ、誰にも届かない“52ヘルツ”(タイトルの意味はぜひ読んでほしい)の声を発する登場人物たちが生きる時間へ投影できた。
そんな絶望的な時間を生きる彼らにとって、救ってくれる人や環境との出会いは大きく映し出されている。そして、注がれる愛情を受け容れることで変わってゆく。
闇のような時間を過ごした自分が変わる転換点は場所を移動だった。2019年インターンで上京したことや、就職後も横須賀へ移住したことが安心する居場所を得るきっかけになった。
それまでの自分を生きなくて良くなったのは、本当に楽になった。
一方で、過去の影を気にするあまり「自分は愛されるに足りない人間だ」と思ってしまう。愛されたいと願っているのに。
周りから愛されているのは分かるけど、それを受け取っていいのか分からない。一度そうした自分への認識を持ってしまうとなかなか剥がすのは難しい。
「52ヘルツのクジラたち」を読んで感じたのは、そうした人・環境へ出会えることの貴重さと、影を持っていてなお人は愛されていいということだと思う。
そんな、自分の過去の時間へ想いを馳せると同時に勇気づけられた小説だった。
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